陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア3-(2) ボタンのかけ違え?

2009-01-17 14:53:01 | Weblog
昭和30年代、40年代を振り返れば、
人間が労働力として、地方から都市へ流れ、どんどん地方が疲弊してゆく。過疎化が始まる。
地方でも工場ができ、一次産業から人が流入する。公害が多発する。
別の見方をすれば、地方の犠牲の上に都市生活が向上した時代で、
それを都市の側から見たのが(世でいう)「夢があった時代」。
戦後から今に至る道のりが本格化する時代。
このブログでいう「中流貧民」の時代の始まり。

世では、中間層が形成される時代だというが、それは貧民層の拡大の時代。
更に言うと、老人を邪魔者扱いする社会の始まりでもある。
また、換言すれば、貧困な生き方、貧困な社会、つまり「プア」の始まり。
今の時代は、その流れの果て。

日本の昭和30年代、40年代は、正に今の中国と同じ。
諸子は今の中国を見てどう思いますか?
「夢がある社会、時代」だと思いますか?
中国人が、数十年後に今を振り返るとすれば、今の中国に古きよき時代の匂いや夢を感じるでしょうかねぇ?
確かに勢いはある。様々な矛盾をまき散らかしながら猛スピードで走る勢いは。
ただ、その行くつく先は何なの?
世界の食料を食いつくし、資源をあさり、自分の欲望を満たすために、ただただ走る。
そうした時代が、夢の時代だろうか?
勿論、古きよき時代であって欲しい、欲しかったという願望はあると思う。
アメリカ人が、1950年代を想起するのと同じ。

つまり、「今はダメだ」、「昔はよかった」ではなく、
「こんな筈じゃあなかった」という感覚が正しいと思われる。
みんなが豊かで幸福な社会を目指した筈が、こんな風になってしまった。
あれ? これでよかったんだろうか?
それを目指したあの時代は何だったんだろう? - という感覚。
 
みんなが何かを目指したあの時代は「よかった」では済まされない。
頑張ったのは確かだが、その頑張りは何だったのか?

幕末の志士が、倒幕後の明治をどう思ったか、
太平洋戦争を命がけで闘い、生き残った人が、今の時代をどう思っているか、
に似ている。
「こんな社会になるなんて、何かおかしい、何か違う」という感覚。
大変無礼な表現だが、倒幕の過程で倒れた志士、日清・日露・太平洋戦争で死んだ人は幸いだった。
その後のおかしな世界を見ずに済んだから。
もっとも、あの世があるとすれば嘆いているだろうけど。

新しくできてた社会に適応できるものと、できない者、それが「プア」の根源。
また、非適応者=プアを受け入れない、廃除するのが、今の社会のルール。
勝ち組、負け組なんて言葉がそれを象徴している。

社会としては、適応できない者を廃除したり、無理やり適応させるのだろうが、
もし、その社会そのものが狂っているとすれば、むしろ非適応者の方が正常。
こんな筈ではない。
どこかでボタンをかけ違えてしまったのでは?

どこかで?
ひょっとすると、一番最初の出発点からじゃあないの?
いや、ボタン穴もさることながら、手にしたボタンそのものも間違えたのでは?
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