陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

裁判員?

2009-02-06 08:54:37 | Weblog
5月から裁判員制度がスタートするとのこと。
スタートをひかえ、名簿の作成、候補者への通知など、準備が着々と進んでいる模様。

さあ、見ものだゾ。
実際に始まったときは。

最近、誰かが言っていた。時々テレビに出る弁護士(ヤメ検)が。
- 従来の日本には、制度として国民が司法に参画する権利がなかった。
(立法権は選挙で投票することで、行政権は選挙に立候補することで参画する道があった。)
今回は司法権への参画を(他国並みに)切り拓いた、 との言。
(注)ヤメ検=検察あがりの弁護士

面白い見解ですなぁ。
そういう言い方も出きるんだ。
世の中、ものは言いようですなぁ。
だが、ちょっと待てよ。
  ヤメ検の言うことは要注意なんだよね。
  その筋のスポークスマンというか、広報代弁者としての立場がバックにあるからね。
  それらしく聞こえる、きれいそうな発言ほど何かあると思うべし。
法律で裁判員としての勤めを国民に強制するのは如何なもんでやんしょう?
そういうのを「権利の行使」とか「参画」というのかね?
勝手に、法律で義務にしてしまっただけじゃあないの?
また、ひきずりこめばいい、というものではないでがんしょ?
徴兵制と同じ。
                
そもそも裁判とは何か?
それは「神」の場ですよ。本質的には。
裁く者は、一時にせよ、擬似的に神の立場にたつわけですな。
周りから押されて、そういう立場にたてば、やらざるを得ないだろうけど、
人間、一部の狂信者を除き、自らそういう立場にたちたいと思っている者はいないのでは?
失礼、いたね。今の裁判官がいる。

狂信者?
- 自分とは無関係の人を裁くことに、自ら手をあげるなぞ、狂信者でない訳がない。

要するに、機能が劣化した日本の裁判制度をどうするか?
そうだ、いろいろ言うヤカラを引きずりこめばいいんだ! 他国もそうだから。
という(誰にも告げない)隠れたホンネが見えてきますなぁ。
裁判制度の劣化を国民のせいにする、一種のメクラだまし。

何よりも、国民は、そんなにヒマじゃあありません。
日々生きるだけで精一杯。
少なくともワタシは。
中にはヒマな人もいるだろうけど。
そういうヒマな人にやってもらったら?

最大の問題は、上記の様に、神の立場を受け入れる人がどれだけいるか?
この点は、ワタシも大いに関心がある。だから見もの。
幸か不幸か、裁判員に選ばれた人は、
いっそのこと、神ならぬ、エンマ大王になった気分で裁いてやったらどうかね?

とにもかくにも、世の中で、
法とか、正義とかを大上段に振りかざすヤカラは要注意ですよ。
そういう者は、だいたい腹のなかで何かをたくらんでいるに決まっているんだから。

裁判官といえば思い出すことがある。
それは次の機会に書く。
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太政官札

2009-02-04 08:49:31 | Weblog
何だか、総くずれになってきましたなあ。
各社の決算見通しが。
自動車、電機を中心に、日本のリーディングカンパニー、優良企業が軒並み大幅な赤字。

しかし、ワタシから見れば、まだまだ大したことはありませんよ。
どうして?
従業員一人当りの損失で計算・比較すると、ワガ社の方が遥かに大赤字。
大手各社の赤字幅など、どうってことはない。

彼我の規模が違う?
それはそうだ。比較にならん。
社会に与える影響度も 天と地 以上の差がある?
うむ、おっしゃるとおり。

既に、昨年から各社内では大騒ぎかつ深刻だったと思うけど、
それが表面に噴きだしている現在、これからの対策は当然に厳しいものとなる。
行きつくところまで行くんでしょうなあ。
雇用への波及も、今までは派遣切り云々で騒いだけど、これから本格化し、正社員が対象になる。
単なる景気循環ではなく、土台そのものが揺らいでいるんだから。

報道で知ったが、こうした状況を受けて、太政官札の案が出ているそうな。
日銀券とは別の政府紙幣の発行案のことだが、何というアホなことを!
ブレーンストーミングで、景気対策の案を何でもいいから出すという場合は、いい案でしょうな。
マトモなアタマでは考えが及ばないものほど良い案なのだから。
しかし、この案は本質的な現状打開策ではなく、小手先&問題先送りでしかない。

しょせん泡沫の案だろうが、もし、今後その案が消えないなら、
ワタシは、貝貨(子安貝など)や石貨の発行を提案したい。
新規発行の他に、博物館から殷時代の貝貨を持ち出して流通させたら、古代貝貨の人気沸騰!
世界は驚くゾ! というより、もの笑いになるネ。
これが古すぎる案というなら、ドラえもん札はどうだろう?
ドラえもん銀行を作って、「ドラ札」を発行する。フジコ氏に総裁就任を要請すると良い。
日本政府発行の紙幣(太政官札)より、よほど信用があると思うけどネ。
ヘタをすると、日銀券やドル札を凌駕したりして。。。

【蛇足】
貝や石がお金? などとバカにしてはいけません。
要は、信用の裏づけがあるか、ないかであって、表現(流通)する手段は何でも良い。
貝が変だとすると、今の紙幣だって物としてはただの「紙」じゃあないの、となる。

驚く+問題先送りといえば、
ジンバブエ(アフリカ南部の国)がデノミを実施したそうな。
ジンバブエ・ドルを1兆分の1にするデノミネーション。
1兆ジンバブエ・ドルが1新ジンバブエ・ドルとなる。
デノミ前の 2/01 の為替相場は、1米ドル=約4兆ジンバブエ・ドル。
同国は、年率2億%を超すインフレとのこと。
数字で書くと、200,000,000パーセント。
毎年のデノミが恒例行事になるね。
すごいですなあ。これじゃあ、ビジネスどころか日常生活も破綻。  
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プア3-(5) 若者よ

2009-02-01 21:04:38 | Weblog
新聞その他の報道は、くら~い話しが多い。
景気が悪いとか、百年に一度の経済危機ということもあるけど、
人類社会そのものが下降線上にあるわけだから、やむをえない。

世が末法の時代に入る、ということで民衆が恐れおののいた鎌倉時代を想起させられる。
あの頃の民衆の気持ちが、何となく分からないではない。

若者というと、このところ、ニート、フリーター、日雇い派遣のイメージが重なる。
勿論、そういう人ばかりではないが、イメージとして。
老境の者からみると、20代、30代は、まだまだ多くの可能性を秘めている、とつくづく思う。
活動的で、体力・生命力が最も旺盛な年代。
しかし、現実には、心の底で閉塞感を感じている人が多い様に感じる。

「可能性」といっても言葉だけで、現実は八方ふさがり、将来も期待できそうもない、というパターン。
まさに、閉塞感そのもの。

本人自身の問題もあるけど、若干気の毒であるのは、
自身が心体ともに伸びる時期に、時代が下降線をたどっている、そのギャップの中で生きなければならない、という点。
このプア3で書いてきた様に、戦後の大衆の中流意識は「幻想」ではあるが、
幻想であったとしても、閉塞感あふれる代を生きることと比較すると、
まだ幻想の中で生きる方が「マシ」かもしれない、という気もする。

先週の日曜日の夜(2009年1月25日)、NHKスペシャル
- 沸騰都市 第5回「ヨハネスブルク“黒いダイヤ”たちの闘い」

南アフリカを殆ど知らない者が語るのは、僭越このうえないが、印象が上と重なる。
世に悪名高きアパルトヘイト政策が撤廃された後(1994年)、
反アパルトヘイトの闘士 マンデラ(ネルソン、後にノーベル平和賞を受賞)が大統領に就任し、
様々な改革を実施した、その後の現状をレポートしたもの。

アパルトヘイトの撤廃で、希望ある社会の到来を手にした筈が、
結果として、黒人への富の再配分の実現には至らず、失業は増大し、社会犯罪も激化。
黒人の貧富の差が拡大し、200万人の富裕層が生まれる一方、貧困層が二倍に拡大しているとの内容。
黒人中間層は、「黒いダイヤ」と呼ばれているのだそうな。
政府の黒人経済強化策で、優先的にレアメタル鉱山の採掘権を得、鉱山経営で成功を収める黒人など、
成功者は、何らかの形でマンデラ等の元 反アパルトヘイトの闘士とパイプを持つ者たち。
確かに、勝利した者、それに貢献した者は果実を得る訳だが、
闘争の目的は、スローガンはスローガンで、本音はそういうことだったの? と聞きたい感じ。
印象を一言に集約すると、「南アよ、おまえもか」に尽きる。

昔、会社勤めの頃、アパルトヘイトに話しが及ぶと、いつも二つの意見に分かれた。
一つは、アパルトヘイトはけしからん、白人相手のビジネスは、結果としてその体制に加担しているのでは? という意見。
もう一つは、白人が支配しているからこそ、貧しいとはいえ最低限の生活は維持できている、そうでなくなったら黒人は食えなくなるぞ、というもの。

そんな話しをしてから20年以上が過ぎた。
勿論、これからの南アも紆余曲折を経るだろうが、現時点では、後者が正しかったことになる。

反アパルトヘイトで闘っていた時代は、等しく貧しくて苦しかったが、希望はあった、と思う。
アパルトヘイトが撤廃された今、黒人の間の格差を、南アの民衆はどう感じているのだろう?

ここからの教訓-
①苦しくても、夢や希望があれば生きられるが、その希望がなくなったら苦しい。
②等しく貧しければ、貧しく感じる度合いは薄い。貧しくなくても、もっと豊かな者がいると貧しく感じる。

日本の若者よ、もし今の自分を不遇と考えているのなら、あなたの選択肢は二つある。
(不遇でない人は読むに及ばず。)
(1)不遇の原因を取り除く、そのための活動をする。
(2)社会への幻想は捨て、自分自身で希望を見出し、例え、ちっぽけなものであっても、そのために生きる。

さて、どちらをとりますか?
消去法で選ぶのではなく、積極的に選択すべき。
これは人きる姿勢であり、どっちつかずや消極的な選択は、すなわち現在の不遇がずっと続くことを意味する。
中途半端は人生の失敗につながるよ。ワタシの様に。

自分たちだけでなく、今までの歴史でも、どうしようもない混乱期や低迷期があった訳で、
その「時代」に押しつぶされない様にしたいもの。
勿論のこと、そこここにいる善人らしき仮面をかぶったペテン師にしてやられないためにも。
人間だけじゃあないよ、国家や公益という仮面をかぶった組織だって同じこと。

   and / or 
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