読書感想76 秋瑾火焔の人<o:p></o:p>
生年 1875年11月8日 生誕地 福建省厦門<o:p></o:p>
死没年 1907年7月15日 死没地 浙江省紹興<o:p></o:p>
所属 中国同盟会
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著者 山崎厚子<o:p></o:p>
生年 1936年<o:p></o:p>
出身地 東京都<o:p></o:p>
出版年 2007年<o:p></o:p>
出版社 (株)河出書房新社<o:p></o:p>
感想<o:p></o:p>
近代中国の女性革命家、秋瑾を主人公にした小説である。アウトラインは史実に基づいて大幅に変更されてはいないと考えられる。それで人間関係の細かいやりとりや感情が著者の創作によるのであろう。<o:p></o:p>
秋瑾は清末の時代に生をうけ、辛亥革命が成功する4年前に武装蜂起の失敗から処刑されている。秋家は代々浙江省紹興を本貫とする科挙を受験する名門であった。祖父が厦門の地方官吏に任命されたため、秋瑾は厦門で生まれた。子供時代から優秀で科挙を目指して学んでいた兄を追い越す神童ぶりだった。乗馬をし剣舞もよくした。そうした活発な秋瑾は纏足を強いられる女性の境遇に強い反発を感じた。結婚は湖南省の富豪の王家の息子としたが、王家が望んだのは頭の良い男の子を生んで育てることだった。太平天国の乱を平定した曾国藩の甥にあたる夫は、科挙に関心も能力もない人だった。曾国藩の一族の名誉は秋瑾の生んだ息子にゆだねられていた。当時の中国では、妻妾同居で女性は教育も受けられず、男の子を生む役割を期待される生活だった。売官によって官職に就いた夫とともに北京に行った秋瑾は、新しい交流関係の中に身を置くようになった。革命派や日本人とも知り合うようになった。そして1904年に単身日本留学を決行した。下田歌子の実践女学校に入学する一方で、武術や弾薬の作り方も習い、孫文の率いる中国同盟会のメンバーになった。清国留学生が革命運動の中心になっていることを危惧した日本政府の取締規定に反発した秋瑾は全員総引き揚げを主張し、1年半の留学生活を終えて1905年に帰国した。帰国後は上海で女学校を作ったり「中国女報」という雑誌を発行したりして女性の啓蒙活動を行った。そしてついに故郷の紹興で武装蜂起の準備に取り掛かった。清朝の新軍(西洋式陸軍)を作る名目で陸軍将校を教育する士官学校を設立した。秋瑾はその「大通師範学堂」の主任(校長)に就任した。しかし革命勢力の連携のまずさやスパイの暗躍で武装蜂起は未遂で終わり秋瑾も捕らえられ処刑された。<o:p></o:p>
辞世の句「秋風秋雨、人を愁殺す」<o:p></o:p>
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留学に向かった時から目的が明確だった。その目的に集中して最後の日まで走った。以前の何もできなかった生活の鬱憤を一挙に晴らす勢いだ。新しい時代の風を受けて羽ばたいて高く飛んだ女性だ。たくさん新しい女性はいたのだろう。そうした女性の代表だし、革命運動の未熟さによって死の代償を払わされた時代の申し子でもある。こうした勇気と気概のある人が生きていたと知るだけで、気持ちがよくなる。
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