16世紀半ば、西洋の一神教文明、その先兵としてのイエズス会と出会い、これを契機として日本国の性格が大いに揺すぶられていった。人々は地球が丸いことを知った。こういう知識を必要としていない生活文化の中にあった日本が、この時期から、わけの分からないコンタクトを積み重ねて、西洋化が始まり、交易が始まった。この時期から、日本は地球の他の半分の地域(米国大陸、インド亜大陸)との接触の渦の中に巻き込まれた。この時点からグローバル化が始まったとおもう。
安土・桃山時代の日本人のキリスト教信者数は30万に上る。信者の大半は、キリスト教の信仰を領主の強制によって受け入れたものであった。だからポルトガルとの商取引を狙う領主や大名が、領民を強制的に改宗せしめた。当時のイエズス会は、日本での布教の財源をポルトガルの中国産生糸貿易の利益から得ていた。九州の諸候はイエズス会を抱き込むことが、商売のための一番の近道であることをよく知っていた。
一番儲かる商品は何かといえば、当時は人身売買であった。同時に日本でキリスト教を普及させる上で最も大きな障害になったのはポルトガル船でやってくる商人による人身売買であった。これで密かに利益を上げていた人々が封建領主をはじめ日本にもあった。秀吉がこれに怒り、奴隷船を襲わせて打ち払いを命じたという史実がある。イエズス会の帳簿には奴隷売買の記録が残されている。イエズス会が布教を武器にして黒人奴隷をスペイン領ならびにポルトガル領アメリカでの砂糖プランテーションに労働者として、またフィリピンやポルトガル領アジアで広く家内労働者、下僕として使用していたことは今ではよく知られている。大航海時代の幕開けは、アフリカ大陸における海外奴隷貿易の幕開けでもあった。規模こそ違え、日本でもポルトガル人は交易の開始とほぼ同時に、日本人男女を低賃金労働者としてあるいは売春婦として海外に輸出する商人として跳梁していた。儲かるものには何でも手を出すという商人の本能が宗教の戒律を利用したり蹴飛ばしたりしながら莫大な取引を成立させた。黒人奴隷貿易に限ってみればその最盛期は17世紀から19世紀までであり、この200年間で推定約5000万人のアフリカ黒人が旧大陸から新大陸に販売された。今のアメリカの繁栄、そして今のヨーロッパの繁栄の基礎は大航海時代に始まるグローバルな人身売買ビジネスにある。天正少年使節もヨーロッパ訪問の往復にマカオ、マラッカ、ゴア、モザンビーク、モガディシュに立ち寄ったが、彼らもまた「我が民族中、あれほど多数の男女やら童男、童女が、世界中のあれほど様々な地域にあんな安い値でさらって行って売りさばかれ、惨めな賎役につくのを見て、憐びんの情を催さないものがあろうか」と方々で日本人奴隷を目撃したことを記している。
西洋文明が世界を荒らし回った足跡はまだ清算されていないが、この清算を行うに当たっての一つの力は、自由貿易と強力な資本主義で地上を席巻したこの500年の人類史の総括とこれからの方向性をどう築いていくのか、その基本理念が何なのか、模索することから始まろう。
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