2006年の正月、私は都心の事務所もたたんでいたし、残存業務を少々こなしていた程度であり、娘も結婚して居を移したし・・色々あって、少々の時間を得ることが出来た。しかし結果的にはこれは、ほんの少々の期間であって、二番目の娘がアメリカから帰ってきて、入れ替わりに寄生生活を始めたり、社会情勢の深刻化もあり、ゆっくり引退させてもらえないような揺り戻しがあった。従って現在はきわめて多忙である。
かくして、コーラスが余計ごとになりかねない生活が再び私の時間を不自由にする事態と相成ったのである。それでも、2006年はフルに自由が楽しめたし、ああ、コーラスというのはこんなものを言うのかとか感じた。仲間と交流する中であちこちの演奏会に引っ張られり、義理で切符を買わされたり、それなりに軽い興奮を覚えながら過ごしていた。何よりも嬉しかったことは、これまで老年になって合唱に参加するのははなから無理という考えにとらわれていて舞台に上がって、ユニフォームを着て合唱に参加する姿など思いもよらなかったのに、実際にコーラスに加わってみると恥もてらいもなく舞台に上がってニコニコ笑えるからである。2006年の正月に、今年は何かのサークルに入り、友を作ろうと決心したとき、一番に考えたのは、俳句であり、二番目に考えたのがボイストレーニングであった。どちらも声を出すので健康に良い。正しい発声法を学ぶことは私の夢だった。
しかしコーラスに入るということは私の当初の選択肢には無かった。ところが、結果はなんと合唱のサークルへのもののはずみの入会になってしまった。区役所に並んで区立の文化センターが建っていてそこには市民グループの趣味の会が活動していた。ダンスや絵、カラオケ、詩吟、合唱、英語会話、料理、編み物などである。募集中を書かれたポスターをいい加減に眺めただけで責任者に電話したところ「是非に」ということで、その熱心さも手伝って、多少の躊躇を払いのけて加わったのであるが・・・。私はこのサークルは、はなから、お年寄りたちが集い、健康のために声をだして、唱歌でも斉唱するものとばかり思っていた。従ってコーラスだとは少しも思っていなかったのであった。参加してみてびっくりしたことは、予想していたとは言え女性が圧倒的多数を占めていることだった。男性の居場所が無いのである。男性声は私を入れて3人しか居ない、勇気のある三人である。女性の数はその10倍であった。教師も年配の女性であった。このコーラスは花からじょせいさんぶがっしょうであり男声は一オクターブ下でソプラノ、メゾソプラノ、アルトのパートを歌うのである。最初に出席したときのことは、私は「しまった、ちょっと違う」という気持と「久しぶりに声を出したい、声のラジオ体操と思おう」という気持が入り交じっていた。数十年ぶりに声を出したわけであるから、音は外すし、楽譜は読みづらいし、勿論声がかすれてしまうことに気が付いた。もともと私はリズム音痴の嫌いがある。これらの4つの欠点が重なると結果はどう出るか、声をだしている自分には気付かないかも知れないが、ピアノを叩きつつ指導している先生には、浅ましい声がよく聞こえていたのではなかったと思う。私は、自分に腹が立ち、家に帰ると、ピアノに向かい音をなぞりながら、発声の練習をした。自分の発声法ではすぐに疲れて、喉が痛くなった。これは醜い声になっていることは自分でも分かったが、気をつけて歌おうとすると今度は声のボリュームが全く無くなる。要するにか細い声になる。私は知らず知らずのうちに声のラジオ体操を繰り返していたわけである。
かくして、コーラスが余計ごとになりかねない生活が再び私の時間を不自由にする事態と相成ったのである。それでも、2006年はフルに自由が楽しめたし、ああ、コーラスというのはこんなものを言うのかとか感じた。仲間と交流する中であちこちの演奏会に引っ張られり、義理で切符を買わされたり、それなりに軽い興奮を覚えながら過ごしていた。何よりも嬉しかったことは、これまで老年になって合唱に参加するのははなから無理という考えにとらわれていて舞台に上がって、ユニフォームを着て合唱に参加する姿など思いもよらなかったのに、実際にコーラスに加わってみると恥もてらいもなく舞台に上がってニコニコ笑えるからである。2006年の正月に、今年は何かのサークルに入り、友を作ろうと決心したとき、一番に考えたのは、俳句であり、二番目に考えたのがボイストレーニングであった。どちらも声を出すので健康に良い。正しい発声法を学ぶことは私の夢だった。
しかしコーラスに入るということは私の当初の選択肢には無かった。ところが、結果はなんと合唱のサークルへのもののはずみの入会になってしまった。区役所に並んで区立の文化センターが建っていてそこには市民グループの趣味の会が活動していた。ダンスや絵、カラオケ、詩吟、合唱、英語会話、料理、編み物などである。募集中を書かれたポスターをいい加減に眺めただけで責任者に電話したところ「是非に」ということで、その熱心さも手伝って、多少の躊躇を払いのけて加わったのであるが・・・。私はこのサークルは、はなから、お年寄りたちが集い、健康のために声をだして、唱歌でも斉唱するものとばかり思っていた。従ってコーラスだとは少しも思っていなかったのであった。参加してみてびっくりしたことは、予想していたとは言え女性が圧倒的多数を占めていることだった。男性の居場所が無いのである。男性声は私を入れて3人しか居ない、勇気のある三人である。女性の数はその10倍であった。教師も年配の女性であった。このコーラスは花からじょせいさんぶがっしょうであり男声は一オクターブ下でソプラノ、メゾソプラノ、アルトのパートを歌うのである。最初に出席したときのことは、私は「しまった、ちょっと違う」という気持と「久しぶりに声を出したい、声のラジオ体操と思おう」という気持が入り交じっていた。数十年ぶりに声を出したわけであるから、音は外すし、楽譜は読みづらいし、勿論声がかすれてしまうことに気が付いた。もともと私はリズム音痴の嫌いがある。これらの4つの欠点が重なると結果はどう出るか、声をだしている自分には気付かないかも知れないが、ピアノを叩きつつ指導している先生には、浅ましい声がよく聞こえていたのではなかったと思う。私は、自分に腹が立ち、家に帰ると、ピアノに向かい音をなぞりながら、発声の練習をした。自分の発声法ではすぐに疲れて、喉が痛くなった。これは醜い声になっていることは自分でも分かったが、気をつけて歌おうとすると今度は声のボリュームが全く無くなる。要するにか細い声になる。私は知らず知らずのうちに声のラジオ体操を繰り返していたわけである。
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