龍体力学覚え書き

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「進撃の巨人」完結編の回想

2023-11-08 12:15:27 | tv
アニメの「進撃の巨人」が先の土曜深夜の放送で完結した。

内容が内容だけに、情動的に怪しげな作用をもたらしそうな変なサブリミナルが入っていても不思議じゃないナと思いながらも、結局最後まで観てしまった。

が、一応、今年3月に放送された完結編の前編や、そのまた前に放送されていたファイナルシーズンの後半まで遡ってから見直したわけだが、細かい部分をだいぶ忘れている我がヴォケっぷりには悲しくなった。変な洗脳をされたくないから、あまり真剣に観ないようにしようと自己規制モードだったのもあるけれども。

こういう「大作」が最終回を迎えたんだから、ついでにどこぞで行われている戦争もひょっこり停戦して終わってくれんか?・・・と心底思ったりもしつつ・・・。


それこそ次から次へと描かれた人の末期の場面。そんな中で、死の場面における「正しい回答」シーンをひとつ見せられた気もする(半年前の完結編の前半部分にて)。

死の瞬間の直後に本人が目を開けると、直前までの悲劇的な状況の引きずり(壮絶な痛み苦しみ)はなく、安らかな展開が当たり前のように始まり、生前の知り合いとの穏やかな語らいの場面が進行していくという描写がまさにそれ(調査兵団前団長の末期のシーン)。

先日「聞いてビックリあの世の仕組み」(松原照子著)を読んでいたからこそ、あらためてそう感じるのだろうが・・・。

生ある限り惰性にならず、主体的に「調査兵団」し続けねば。


結局のところ、ヴァカが強大なパワーを握ってしまうと、甚大な副作用で周囲が壊滅的な大迷惑をくらうという予定調和。そんな当たり前の真理を見せつけられた作品でもあった。

初期設定の立場が根本的に違えども、奇跡的なコトでも起これば、(流れによっては)見識ある者同士ならわかりあえる可能性も少しはあるという点も救いといえば救い。

とどのつまり、それも「縁」のなせるわざなのだとしても。

そして。尋常でなく強く美しい女性キャラ(ミカサ)が、最後まで活かされていたのも救いをもたらしたのであった。

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