龍体力学覚え書き

中央競馬メインレース雑感・ジョギング日誌・夢日記・読書備忘録、アレルギー持ちのぼやき、その他諸々

「日本一役に立つ!龍の授業」読了

2020-01-31 23:54:05 | book
「日本一役に立つ!龍の授業」(小野寺S一貴著)を読了。

本屋さんのオカルト本系の書棚には、龍神さま関連の本がチラホラ目につくが、「2大潮流」があるとするなら、大杉日香理さんによる龍神さまシリーズと、この小野寺S一貴さんによる龍神さまシリーズの2系統がある。

大杉さんの本は去年一冊読んだので(「龍使いになれる本」)、そろそろ別系統も一冊くらい目を通しておきますか・・・という気分になって、この本を新年早々手にした。

いろいろな自己啓発本のエッセンスが脈々と息づいているというか、「売れる本を出すためにはどうすれば良いか!」という戦略を元に出された本の香りがしないでもないけれど、末尾の「おわりに」の4ページに来て、ようやくダイレクトに響いてくる記述と出会えた。

著者は宮城県の人とのこと。宮城の小野寺姓というと、防衛大臣をやった人の一族というか、そちら方面と関係のある人のなのかな?・・・と妄想しながら読み進めていたが、龍が付いたという著者の奥さんも同じく宮城界隈の人?とすると、自分の場合、東北の東サイドの神仏系とはあまり個人的に縁がなさそうなので、そちらの神仏&龍神さまの影響下にある想念由来のものを読んでいるから、あまりピンとこないのかも・・・と感じていた。

よく旅番組をチェックしていても、同じ東北地方でも西側の岩木山、鳥海山、出羽三山、朝日連峰、飯豊山方面のラインにはゾクソク来るものの、東側のお山や聖地、神社仏閣の映像を見ても、グッと来る度合いが西側ほどではないため、今回もそういう影響があったかも・・・。

とはいえ、ラストで戸隠神社のエピソードにチラリと触れられていたことには満足。そう来なくては!

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フライニットの泥を落とすためのRUN

2020-01-30 21:37:58 | jogging
日曜日のマラソン大会が終わったあと、2時間ほどバスに揺られて館山から千葉市内に戻ってきた。

最寄り駅に着くまではそこからJRに乗る必要があって、階段の上り下りをすると、11月初旬、12月初旬の2回と同じシューズを履いているのに、今回は脚へのダメージがかなり出ているのが露骨にわかった。

その2回と比べると特段無理をしたわけでもなく、むしろ頑張ることなく楽に走ったくらいだったのに。

考えられることは3つ。

ズームフライフライニットの使用が300kmを超えて、クッションないしプレートないしが劣化してきた?

それなりに雨が降っている中を走り、さらに水たまりにもシューズを突っ込んだことにより、クッションが水分を含んでいつもよりもしなやかさが失われていた?

当日は雨で花粉の飛散は殆どなかったはずだが、もはや花粉シーズンの初期段階に突入していると言っても良いので、アレルギー体質持ちの自分に例年あるように、症状が呼吸器官だけにとどまらず全身がちょっとした炎症モードに陥るため、脚全体にも先月にはなかったダメージが出た?

さてどれが正解に近いのか?・・・なんてことを考えながら、今日もZFFKを履いてスタートした(シューズの周囲に付いた泥が乾燥したので、走っているうちに落とそうという魂胆)。

脚の疲労はもうすっかり消えており、人と多くすれ違う序盤はマスクをしたままで、3km目からはマスクを外して多少ペースアップ。

館山では1kmたりともなかったキロ5切りを意識して(途中、1kmだけ5:00/kmジャストがあったものの)、残り6km追加。

うーむ。このシューズを買った早々に感じた前への「ぐいーん」という推進力が失われたとまで言えないけれど、そこはかとなくもっさり感が出てきているような気がしないでもないな・・・(調子落ちを実感しているこちらに、キレがなくなっただけとも言えそうだが)。

本日8.05km(4:56/km)
1月26日42.195km(5:29/km)
1月合計234.385km

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第40回館山若潮マラソン(その4)

2020-01-29 21:37:05 | marathon
30kmを過ぎて、そろそろ最後の大坂とやら来るはずなんだが・・・と思っているうちに何度か坂を乗り越えて、たぶん今のが最後なのかな?・・・とボーッと脳内と対話しているところで、右の沿道に私設エイドを出しているテントが目に入った。

そのテーブルの上に、レモンの輪切りが丸くきれいに並べてあるお皿を発見。

吸い寄せられるようにそのテーブルに近づいて、一切れ頂戴した。そして温かい紅茶も。そこは天国のエイドだった。ヤバいときの柑橘系。これに幾度救われてきたことか。

今回の大会で公設、私設のエイドがいくつもある中で、実際に利用させていただいたのはそこだけ。道中は持参した蒸しパン1個と350mlの粉ポカリを溶いたもので賄えて、最後の活入れがそのエイドのレモン一切れと紅茶軽く一杯。

これでぎりぎりなんとかなったのは、やはり気温が極度に低くて体温を下げる負担が少なくて済んだことと(心機能の負担軽減になっていたはず)、雨天によるミストを含んだ空気で呼吸が楽だったことも大きかったものと思われる。

夏の湿度と冬の湿度とでは、体への負担の度合いで天と地の開きがある模様。別物ですな。

その私設エイドを出して下さっていた方々にお礼を言って、さーてここからペースアップするべ!・・・とその先の坂を下った。レモンの気分転換効果で。

33kmは通過していて、もうあとは楽になるだろ?・・・と思っていても、また軽い坂がやってきたりするので、安易にぶっ放せない。そうこうするうちに35kmも過ぎ丘陵地帯を抜けて海上自衛隊の館山航空基地の領域に戻ってくる。

ネイビー系のウェアを着た航空隊の隊員たちが沿道にチラホラ出てくれていて、「また館山に来てねー」とか声援を送ってくれる。そんな若い隊員さんに「ご苦労さまですー」とちょっと敬礼すると、やはり軽く敬礼し返してくれるレスポンスがあったりして楽しめた。

あとは序盤も通ってきたコースを、スタート地点へと逆走するだけ。この海沿いの道路も、それなりに消耗している帰路に通ると微妙ながらアップダウンを感じるじゃないの・・・。

先月初旬のフルマラソンのときには、ラスト5kmは根性のキロ5切りの意識で頑張ったものの(3時間50分を切れるのがわかったから)、こちらの不手際と悪条件が重なった中でもどうやらグロスでのサブ4が確実になっていたので、今回はそこまで追わずに安全運行を心がけた。

ゴール地点への最期の直線は足場がぬかるんでしまっていて、ナイキの厚底も関係なく半分近く埋まってしまい、「うわっ・・・」と思いながらのちょっと悲しくせつない気分でゴール。

その後豚汁をいただくも、手がかじかんでいて小さな具が掴めないほどだったが、この温かさには救われた。

温かさといえば、帰りのシャトルバスで館山駅に送ってもらったあと、駅へと向かう階段脇の観光協会さん?のスタッフさんたちが用意してくださった甘酒もしみたのなんの。甘酒って、こんなに美味しいものだったのね(しみじみ)。

今回は極寒の雨模様という過酷な気象条件だったので、沿道に出て下さった応援の方々や、大会のスタッフさんやボランティアさんたちの苦労も尋常ではなかったはず。本当に感謝の言葉しかない。

ありがとうございました。

館山からのお土産は、今回もお約束の中村屋さんのパン。

ピーナッツクリーム系のパンは売り切れだったけれど、フィッシュバーガーを確保できて十分満足。今回初めて購入したチーズバーガーもシンプルで美味しかった。

それなりに坂のあるコースでネットタイムはセカンドベスト(グロスは3番目)。風邪もひかずに済んだし、すべてに感謝感謝である。雨のおかげで花粉対策のマスクも不要だった事も含めて。

00-10・・・57分
10-20・・・56分
20-30・・・55分半
30-40・・・53分
残り・・・11分半

小出監督の著書「30キロ過ぎて一番速く走るマラソン」作戦一応成功。

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第40回館山若潮マラソン(その3)

2020-01-28 21:22:36 | marathon
海を横目に見ながら走れる場所が幾度もあって、晴れていたらここは最高のコースになっていたはず。

ということは海から吹く雨まじりの強風をくらう可能性もあったわけだが、幸いなことにちょっとした横風が吹くことはあっても、全体を通しても風の面でうんざりすることはほぼなかった(1ヶ所だけ向かい風を一瞬くらっただけ)。

海と切っても来れない館山の地理的な位置を考えた時に、この日の想像以上の気温の低さはさておき、風のダメージが殆どなかったのは幸せなことだった。

25kmを過ぎてUターンするように折り返し気味になる地点から内陸へ入っていく。要は、覚悟のアップダウンへと向かう。ただその前の海沿いの道路は比較的平坦で走りやすく、こういうコースを千倉方面までずーっと走っていたい・・・と思った。つくづく。

そのナイスなフラワーライン沿いのリゾートホテルだったか、或いは道の駅・南房パラダイスだったかの大きめの駐車場の入口で声援を送ってくれた栗色ロングの女性が、今大会の沿道ミューズのMVPだ(次点は、30km手前の左側にいた潤んだような黒い瞳が印象的だった大会の女性スタッフさん)。

内陸方面へと向きを変えていくと、やがて今月初旬に参拝に来た安房神社入り口の停留場のあるコメリ前を通過。一度でも見知った場所を通るだけで、気が休まるというかホッとする。

ここからしばらくかすかに上り、館山駅から安房神社前を結んでいたバス通りを左折してローカルな道路へ。すぐさま下りが来て、そしてまた上り・・・。

やがて左手の下にさっきまで走っていたフラワーライン。その先には当然海が見える高台へ出た。アップダウンはアレだが、ロケーションとしては本当に最高(晴れていたらさぞや絶景)。

まあそうはいっても問題は繰り返されるアップダウン。下りはZFFKの効能で無理しない程度に軽く跳べるのでキモチイイけれど、さすがに「また上りかよ・・・」とはなってくる。

それでも一昨年の12月に出走した静岡県の袋井クラウンメロンマラソンのコースに比べれば「坂の角度はちょっと楽」・・・と脳内であの時のことを思い返し、「まだまし、まだまし」と気を紛らすようにしていって何とか乗り切った。

平坦時に同じようなペースで走っている人が周囲に何人かいても、坂に差し掛かると前傾度をやや深めつつちょっとした忍者走りっぽく腕を下げ気味にして、その下げた腕をいったん後方へと引きながら推進力を得る意識で前へグイッと振り向け続けると、脚でそんなに頑張っているつもりはなくても周囲を引き離せることに気が付いた。

この腕の動作は、何年か前のEテレの「3ヶ月でサブ4」といったタイトルの趣味講座で、講師の金哲彦さんが生徒役の元世界チャンプの内藤大助さんと声優の金田朋子さんにアドバイスしていたもの。

考えてみると、あの番組をたまたま観たことがジョギング生活、やがてはフルマラソン大会出場へと繋がっているので、チェックできたのは後半の4回だけだったとはいえ良い番組を観たものだ・・・とあらためて実感した。

(つづく)

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第40回館山若潮マラソン(その2)

2020-01-27 23:20:56 | marathon
自業自得とはいえ、スタート地点が思惑よりも後方になってしまったため、起点に到達するまでのタイムロスは4分余。

もともとこの館山若潮マラソンのコースからして、自己ベストを狙う場所ではないのは承知していても、出来ることならグロスでもサブ4は確保したい・・・という思惑が早くも風前の灯になった気分でゆったりと走り出した。

大降りではないものの、雨はそれなりに降っている。道路にはそこかしこに水たまりがあって、細かいサイドステップをしつつも、時には思いっきり水たまりに足を突っ込んだり、そうやって片方の足が水を跳ねると、逆側の足の甲めがけて飛んで来て水がシューズの中へフリーパスで入ってきたり・・・。

フライニット素材を履いているので致し方ない。

雨が降ると重くなって走りづらいという噂のあったナイキのズームフライフライニットだが、「エース」なので今回も迷わず投入した。初の本格的な雨の中のマラソン大会出走であり、ナイキの厚底は上り坂ではどうなのよ?・・・という噂もあったし、今回は二重の意味(雨と上り坂)での実験にもなった。条件的に厳しいのは覚悟して。

買いたておろしたてだったら躊躇したとは思うものの、今回でZFFKを履いてフルマラソンに出るのは5回目。練習を含めると今朝の段階で280km使用していたので、雨実験出来たとも言える。

その雨での使用感というか履き心地は、たしかに雨が筒抜け状態で入ってきて鬱陶しいものの、さぞやもっと不快指数が高いのではないか?と身構えたほどではなかった。

そもそも厚底であるために、多少水が浮いている程度の舗装路なら「高下駄効果」を発揮して水没せずに済んでいたものと思われるし、最近縫い目の粗いソックスを履いていることもあってか、中に水が入ってきてもフライニットと粗目ソックスが過度なウエット感をごまかしてくれていたイメージも(勿論、シューズ内はウエットだが)。

それに途中からは雨も弱くなって、後半は殆ど気にならなくなったのも良かった。実際、30km過ぎからは止んでいたような・・・。

というわけで、ZFFKの雨中での使用感は全然許容範囲だった。重くなるいうても、自宅を出てから出走直前に履き替えるまで履いていたズームストラクチャーと比べたら水を吸っても軽いのなんの・・・だったから。「落差」で少しでも軽く感じるよう意図したのも奏功したものと思われる。

序盤の特筆すべき出来事は、5kmあたりで妙齢の女子に腕をトントンと叩かれたこと。

何事ゾ?・・・と横を見ると、彼女は「背中(ミニリュック)のファスナーがあいていて、中のものが落ちそうです」と教えてくれたのだ。

スタート前に中身(補給剤の類)を取り出そうと一度開けたものの、結局出さずにファスナーを締めたはず・・・だった。ところが慌てていたことと、指先が冷たくなっていたうえに既に手袋をしていたことでテキパキと出来ず、それでも強引に締めたつもりだったのに・・・。

中からはよりによって財布が顔を覗かせていた。後で確認すると落としたものはなかったけれど、まかり間違ったら全財産を落とすところだった。危ない危ない。

財布は普通一番下に入れるべきなのに、手荷物預けの際に現金300円を出したあと、リュック内の一番上に来ていたのだ。中身の配置を変える間もなかったのである。かえすがえすも時間的余裕をもたなかったのが愚か。現地に早く来すぎても雨が降ってるし寒いから・・・とスタートの1時間ちょっと前に最寄り駅に着けばいいや・・・と考えたのがそもそもイケなかった。

その恩人のお姉さんには、走りながら丁寧に御礼の言葉を述べて頭を下げた。本当に「感謝」していたし。

まあそうやって背中のリュックを外して中身を確認できる程度のペースだったということは、序盤はそんなに速くなかった証。

エネルギー不足の懸念もあって、余力を少しでも先送りにする意識で巡航。中間点到着はほぼ2時間とちょっとだった。

(つづく)

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