どこかで耳にしたこと
あるかと思いますが
畳の上で死にたい…ていうあれ。
なかなか色々と
大変だったりするようです。
先日のドラマ(Mother)を見ていて
思ったのですが、
身内などが
“家”で亡くなった場合
どうするか。
間違いなく臨終だと
判断できる人は いるでしょうか?
病院でちゃんと
みてもらいたいですよね。
でも
そうすんなりといかないことも
あるみたいです…
祖母の時がそうでした。
最初に見つけたのは
父でした。
明け方、
トイレの便器に
うつぶせた状態で倒れていた
祖母の姿を見た父のショックは
計り知れません。
この日に限って
眠りこんでしまい、
数時間おきに様子を
見ることができなかった
とのこと。
後悔。
電話口の声が
別人のように震えて
動揺していました。
なのに。
最初、病院では
追い討ちをかけるように
強い口調で
言葉をかけられたそうです。
搬送先の病院は
診察歴がなく
時間外の飛び込み状態でもあり
先生側からすれば
当たり前のことだったのかも
しれませんが。
こちらは
シロウトです。
再々
そんな場面に立ち会うことは
ありません。
できないことがあるなら、
何か問題があるなら、
当たり前の口調で
わかるように話してほしかったです。
で、
死亡診断書じゃなく
死体検案書…(だったかな)
になります。
発見までに時間が 経っています。
どれくらい経っているか
具体的な返答ができなかったから。
でも、
死体、という言葉は
腑に落ちない感じです。
決まりなのでしょうが、
死に動揺してる遺族には
辛い言葉です。
死体は
色々調べられます。
当然ですが
時間がかかります。
ずっと病院で待ちます。
葬儀屋さんと連絡をとりますが
いつ、引き取れるのか
わからないので
次の段取りが
はっきり決められません。
事件性がないか
という観点からも調べられるので
もちろん、
警察も家に入り
現場の写真も撮られます。
病院待機と
警察の対応と
ふた手に分かれ
遺族は悲しむ間もなく
動かなければなりません。
幸い
警察の方は事情をわかって
くれたようです。
よくある状況なのでしょうか。
納得のいく言葉をかけてくれた
ようです。
突然やってきた不幸。
バタバタと対応。
夫婦二人いても
心細いと思います。
慣れないことの上に、
周りがそれなりの
配慮をしてくれるとは
限りません。
幸い、
旦那や義父母の方が
子どもや家のことを
引き受けてくれたので
駆けつけることが出来ました。
親戚も来てくれて、
ああいう時は
関係者が複数集まるのは
心強いことだと思いました。
それだけで
周りの目も違う
のかもしれませんから。
親は
その時のことで
かなりまいったようです。
自分があぶなくなったら
病院へ入れてくれ~
と言っていました。
昔なら
眠るように逝っていたら
大往生やねと
皆で静かに見送り
それで済んでいたそうです。
今では
親族といえども
疑わなければならないような
事件も少なくありませんから…
なかなか
難しい世の中になりました。
ちなみに
祖母の最期の状況ですが、
それほど苦しまずに
逝ったのではないかという話でした。
悲しいながらも
せめてもの救いだと
話したものです。
それでも父は
ことあるごとに悔やむ言葉を
口にしていました。
側でいる母が心配するくらい。
たぶん父は
私たちとは違うのです。
父だけが一人
その状態を目にしています。
そして、
倒れていたのは自分の肉親。
一時期
母方の祖母の介護もあり
こちらを主に介護していたのは父です。
私にも母にも分からない
気持ちがあるように思います。
結局のところ
誰も
相手と全く同じ気持ちには
なれないのかもしれません。
だからこそ
推し量り 近づこうとするのには
意味があるのだと
改めて
あの時からもずっと
思っています。
あるかと思いますが
畳の上で死にたい…ていうあれ。
なかなか色々と
大変だったりするようです。
先日のドラマ(Mother)を見ていて
思ったのですが、
身内などが
“家”で亡くなった場合
どうするか。
間違いなく臨終だと
判断できる人は いるでしょうか?
病院でちゃんと
みてもらいたいですよね。
でも
そうすんなりといかないことも
あるみたいです…
祖母の時がそうでした。
最初に見つけたのは
父でした。
明け方、
トイレの便器に
うつぶせた状態で倒れていた
祖母の姿を見た父のショックは
計り知れません。
この日に限って
眠りこんでしまい、
数時間おきに様子を
見ることができなかった
とのこと。
後悔。
電話口の声が
別人のように震えて
動揺していました。
なのに。
最初、病院では
追い討ちをかけるように
強い口調で
言葉をかけられたそうです。
搬送先の病院は
診察歴がなく
時間外の飛び込み状態でもあり
先生側からすれば
当たり前のことだったのかも
しれませんが。
こちらは
シロウトです。
再々
そんな場面に立ち会うことは
ありません。
できないことがあるなら、
何か問題があるなら、
当たり前の口調で
わかるように話してほしかったです。
で、
死亡診断書じゃなく
死体検案書…(だったかな)
になります。
発見までに時間が 経っています。
どれくらい経っているか
具体的な返答ができなかったから。
でも、
死体、という言葉は
腑に落ちない感じです。
決まりなのでしょうが、
死に動揺してる遺族には
辛い言葉です。
死体は
色々調べられます。
当然ですが
時間がかかります。
ずっと病院で待ちます。
葬儀屋さんと連絡をとりますが
いつ、引き取れるのか
わからないので
次の段取りが
はっきり決められません。
事件性がないか
という観点からも調べられるので
もちろん、
警察も家に入り
現場の写真も撮られます。
病院待機と
警察の対応と
ふた手に分かれ
遺族は悲しむ間もなく
動かなければなりません。
幸い
警察の方は事情をわかって
くれたようです。
よくある状況なのでしょうか。
納得のいく言葉をかけてくれた
ようです。
突然やってきた不幸。
バタバタと対応。
夫婦二人いても
心細いと思います。
慣れないことの上に、
周りがそれなりの
配慮をしてくれるとは
限りません。
幸い、
旦那や義父母の方が
子どもや家のことを
引き受けてくれたので
駆けつけることが出来ました。
親戚も来てくれて、
ああいう時は
関係者が複数集まるのは
心強いことだと思いました。
それだけで
周りの目も違う
のかもしれませんから。
親は
その時のことで
かなりまいったようです。
自分があぶなくなったら
病院へ入れてくれ~
と言っていました。
昔なら
眠るように逝っていたら
大往生やねと
皆で静かに見送り
それで済んでいたそうです。
今では
親族といえども
疑わなければならないような
事件も少なくありませんから…
なかなか
難しい世の中になりました。
ちなみに
祖母の最期の状況ですが、
それほど苦しまずに
逝ったのではないかという話でした。
悲しいながらも
せめてもの救いだと
話したものです。
それでも父は
ことあるごとに悔やむ言葉を
口にしていました。
側でいる母が心配するくらい。
たぶん父は
私たちとは違うのです。
父だけが一人
その状態を目にしています。
そして、
倒れていたのは自分の肉親。
一時期
母方の祖母の介護もあり
こちらを主に介護していたのは父です。
私にも母にも分からない
気持ちがあるように思います。
結局のところ
誰も
相手と全く同じ気持ちには
なれないのかもしれません。
だからこそ
推し量り 近づこうとするのには
意味があるのだと
改めて
あの時からもずっと
思っています。