よっちゃんの独り言

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南郷道を歩く

2014年10月07日 | 日記
スケジュールの調整ができず欠席が続いていた「歴史講座」に参加した。

今回のテーマは「南郷道を歩く」だ。

江戸時代の道路は「五街道と付属道」、「脇往還と脇街道」があり、南郷道は脇往還脇街道に属する。

江戸時代、常陸国北部の主な街道は水戸を起点として北茨城の平潟方面に行く「岩城相馬街道」、福島県棚倉を目指す「棚倉道」「南郷道」、栃木方面に行く「那須街道」「茂木街道」などがあった。

このうち「南郷道」水戸から瓜連、大宮、山方、大子、八溝山、棚倉へ向かうものだ。
大まかに言うと現在の国道118号だ。

そもそも「南郷」とは陸奥国高野郡の南部を指し、現在の棚倉町、塙町、矢祭町を言う。


今日は常陸大宮市内に残る「南郷道」の痕跡を求めしっかり歩いた。

旧大宮町にある自然石の道標(右山方、左檜澤とある)




現在の常陸大宮市北三丁目から南郷道を歩く。
この道は江戸時代以降、国道118号として活用されてきたが、今ではバイパスが通り、その面影はない。








南郷道の近くに「鎧(よろい)神社」があった。

もともと「鷹巣神社」だったそうだが、鷹巣神社は移転、現在は「鎧神社」として祀られている。


鎧神社裏手には「大宮町の民話」に登場する「逆さ杉」があった。
江戸時代から続く松として貴重なものだ。

「大宮町民話(逆さ杉)
室町時代のことです。辺垂城主であった佐竹義元が本家と争って滅びました。その家来に大へん力持ちの小林大炊介という武士がいましたが,城が滅びたあと、辰ノ口に百姓となってすんでいました。 あるとき大炊介は近所の人と口論し、激しく怒ったその時です。近くに生えていた杉の木を根こそぎに取り、相手めがけて投げつけました。ところが力が余りすぎ、杉の木は相手の頭の上をはるかに高く飛び越え、むこうぎしの鷹巣まで飛んでいって田んぼの中に落ちたのです。 その杉はそのまま根づきましたが、枝がすべて逆さに垂さがっていました。そのため村人は「逆さ杉」と呼ぶようになり、いまもその杉は健在です。




上大賀地区にある「善光寺跡」、野上地区にある「宿並」を見学した。

江戸時代、徒歩や馬等での移動にさぞかしこの南郷道は賑わったことだろう。

江戸時代を想像させる研修だった。