好き勝手を全うしたる母なれど叶わぬことの幾多ありしや
母親の半生在りて古びたる義足一本立てかけてあり
(私家版『立ち葵の譜』より)
梅雨入りと共に道端に聳える花は立ち葵。
母は東日本大震災の死者には数えられませんが
そのショックから脳出血を起こし、六月に死にました。
73歳でしたが、37歳で交通事故により左脚を膝上から
失くし、以降は義足をつける生活となりました。
両脚のある生活が一年ほど長かったことになります。
意識を失ってから数か月後、6月20日に亡くなりましたが
戸籍を取り寄せたところ6月20日は両親の
50回目の結婚記念日でありました。
それまでは死ねないと思ったのでしょうか。
母とはいろいろ確執がありましたから
最期まで語り合う時間はもてませんでした。
生前に如何なる罪のあろうとも死ねば仏になるのですから