青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

戦前、戦中、戦後

2008-08-15 13:20:00 | Weblog
昭和16年12月8日太平洋戦争は勃発した。というよりは日本空軍が米国ハワイの真珠湾を攻撃した。これが宣戦布告である。
そこへ至るには国際間の様々な事情が重なっていた。
今の国連、元国際連盟で日本の主張は通らず、脱退して孤立していった。
大東亜共栄圏と称してアジアに勢力を伸ばしていた日本を快く思わなかった西洋諸国とは当然摩擦が拡大した。戦火は世界へ広がり第二次大戦へと拡大していった。古くは日英同盟、日露不可侵条約なども存在していたが、二次大戦近くには日独伊同盟が結ばれて、その他の国と対立した。
独はヒットラー、伊はムッソリーニが指導者だった。
独の独裁は世界から誹謗が起こっていた。
日本のアジア進出には正義も混じっていたが、敗戦と同時に全てが侵略のための戦争と決め付けられた。
無条件降伏によって戦争責任は敗戦国日本だけに負わされて、裁判が連合国側で開かれ裁かれた。
国民を惨めな戦争に誘い込み、戦火にさらした責任は大きいから、当然の責任は問われるべきであった。
しかし、終戦のためと称して非戦闘員を何十万人も犠牲にした原爆投下の責任は誰も負わない偏った処理がなされた。即ち、勝てば官軍、何事も勝者の采配できまったのであった。責任は賠償責任にまでに呼んだ。何年もかかって日本は賠償金を諸国に支払ったのであった。
東南アジアの諸国にはヨーロッパ、アメリカの植民地支配を受けていた国が多く、その解放も日本の理想のひとつであった。それも単なる侵略として処理されたのだが、民間ベースでこの諸国と交流をするとき、彼らは日本の進攻を歓迎していたことも多いことを知るのである。
歴史を詳しく知るにつれて、中に、軍部の暴走もあったことを知るのであるが、政治力の弱体がそれを許したのである。
戦後処理は国境、領土にまで及び一方的な線引きもなされたのである。
無条件である以上それも甘受の日本ではある。
韓国間の竹島などもそれゆえに残った問題なのである。千島列島も同様に、同盟を破って終戦寸前に参戦したソ連が権利を主張したのである。今日はここまでにしておくが、国際問題は単純な判断と偏った処理は避けねば将来に憂いを残すことでもある。
とにかく、二度と戦争を起こさないことを国民は真剣に一人ひとり自覚することが必要である。

6時半過ぎ出発

2008-08-15 12:24:00 | Weblog
連日の疲れの取れない孫たちを起こしてパジャマで車に乗せて娘夫婦は出発した。パパが今日から休みのこともあるが、うれしくない旅行らしい。
出好きのママのプランで、車では最も遠い白浜を選んだのは理解できない。
空気のよい山間の地を選ぶのは爺婆の趣味だと言い放す。
孫たちはそれが好みなのだが、大人になりきれない母親の趣味に付き合わされる状態である。
片道数時間運転のパパが最も疲れるのだが、タフなのが救いである。
オリンピックで不規則な生活の私は彼らを送り出すことができず眠っていた。