青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

北京オリンピック閉会

2008-08-24 22:57:00 | Weblog
大量の派手な花火は今の中国を表しているように私には見えた。

これが消えた後の中国は一体どうなるのだろうか。

世界の国々との輪が持てた、将来それを発展してゆきたいと首脳は挨拶した。

それはあくまで理想であって、将来には厳しい現実が待っているようである。

対中貿易量の莫大な関係になっている日本にも、安定を保つ中国であって欲しいものである。

昆虫採集

2008-08-24 14:11:00 | Weblog
夏休みの男の子の提出物は圧倒的に多かった昔。

何年か前に孫に採集した昆虫たちを標本にしようとしたことがあった。

そのとき困ったのが無とをとめる虫ピンがどこにもない事だった。

時代の変遷を知ったのだが、今日は仕事で春夏秋冬の絵を付けて欲しいとの注文に図録や素描は出てきたが、実感がわかない。

止まっている蝉やトンボが欲しい。

向かい側の小公園で蝉を三匹ほど捕まえた。

近くで遊ぶ子供たちに、あげようかと問うと、可愛そうだから、蝉は一週間しか生きないから捕まえてはいけないよと言われた。

愛情のように思われたが、そんな子供たちが成長して「切れる」と親も弱いものも、何でも平気で暴力を振るい、殺害までに及ぶ。

どこが違うのだろうか。

猟師は野生の動物を捕まえて生業とし、小鳥は焼き鳥で食べることが平気だった時代。

そんな、生臭い事件は滅多に起こらなかったように思う。

今の幼児期の子供は我が家の孫たち同様に「かわいそうだら・・」と言う、慈しみの心を持っていた。

それはそれなりに嬉しいのだが、われわれ少年時代とあまりにも価値観の違いが不思議にさえ思われた。

私も捕まえた蝉を木に止まられて写真を撮った。

終わって庭でトンボも見つけた。

それぞれ写真撮影を済ませて、「ご苦労さん」と言って、空へ放してあ
げた。

考えると、われわれ時代はカメラ撮影などと言うものは子供には無理で、昆虫の生態を詳しく知るには標本しかなかったからだったのかも知れない。

日本で学んだワンジル

2008-08-24 11:19:00 | Weblog
仙台育英高校で学んだケニヤのワンジル選手が高記録で北京マラソンに優勝したことは、日本人として嬉しいことである。

ケニヤは何故か日本と縁が深い。
我慢することを日本で学んだと言う。日本精神とケニアの肉体の成果ナのかも知れない。

緒方選手は13位と入賞を逃したが、76位で誰もいない会場へ完走の姿は、流石の中国人もブーイングはなく、寧ろ、静寂が最後まで走りきる彼の姿に感動があったのではないだろうか。

そして、中国応援メンバーの黄旗だけがたなびいていた。彼の記録は2時間41分である。