もう貼るところがないので、とうとう天井まで・・・・・。今まで天井に貼っていた絵はすべて張り替え。捨てるのなら欲しい、といわれていましたが、光り焼けしていたので全部捨てました。
来客があればいつもきれいになる我が家!
もう貼るところがないので、とうとう天井まで・・・・・。今まで天井に貼っていた絵はすべて張り替え。捨てるのなら欲しい、といわれていましたが、光り焼けしていたので全部捨てました。
来客があればいつもきれいになる我が家!
縦55センチ×横75センチのこの七福神の絵。後にも先にも4枚しか描いていない貴重な絵。4枚目をゲットされた方からの依頼でもう一枚描くことに・・・。今度は我が家用にも一枚余分に描いておかなくっちゃあ。
「会社に行く」と「会社へ行く」。どっち?どう違う?
「に」は到着点に、「へ」は方向性に注目した表現であるが、到着点と言っても方向性と言っても会社を目指している事に相違はなく、この文脈では意味はほとんど同じ。
しかし、「投票に行く」、「旅行に行く」などでは「へ」は使えません。方向性を全面に押し立てた「前へ前へ進め!」「国会は解散の方向へ」などでは「に」は使いにくい。
真っ暗な夜空に、大きな爆音とともにぱっと火の粉の花が開くと、言いようのない爽快感を覚えます。今のような観賞用の花火が発達したのは、江戸時代。日本で初めて花火を観たのは徳川家康だと言われています。それは打ち上げ式ではなく、手筒花火だったそうです。
火薬を詰めた大きな筒を小脇に抱え、そこから噴き上げる火の粉を鑑賞するのです。大変危険ですが、その勇気を、惚れた女性に示すために男たちは手筒花火を上げたそうです。
打ち上げるときの勇壮さと迫力、花火が開いたときの華麗さ、豪華さ、そして、その後訪れる静けさ・・・・。
それを知っているからこそ、遠くから観る音のない花火は切なく映るのでしょうか。色だけ鮮やかに、浮かんでは消えていく遠い思い出のように・・・・。