( 豆腐屋さんのかけ醤油 ) 2009.12.20
先日、このブログでMさんから「金色のしずく」なる北陸の日本酒
ワンカップをお土産で頂いたことを書きました。
上の写真は、そのお返しとして先週Mさんに差し上げた醤油なんです。
秋に松本清張記念館を訪れた際、途中の市場で見つけて、数本買って
いたものなんです。(ちなみに明日12/21が、清張の生誕100周年の日)
冷奴にかけると最適、でも今は真冬ですから、冷奴で活躍してくれるのは
もう数ヶ月先になると思いますが、それまでは、卵かけごはんに使っても
美味しく頂けるはずです。
実は、私が、人に飲食物をあげる場合に、守っていることが1つあります。
一種の型(スタイル)と言えましょうか。
人に食べ物をあげる時は、必ず自分が食べたことがある、味見をしたことが
ある、或いは自身が使った経験がある と必ずその味見をしていることです。
お酒だろうとチョコレートだろうと饅頭だろうと蕎麦だろうと野菜だろうと
旅の店先で、初めての物を買う場合には、大箱のほかに必ず自分用の
小袋を買って、それを自身食べた上で、渡すかどうか判断するように
しています。
もし味見もせず渡して、それがまずかったりしたらこれほど恥ずかしく、
信用を落とすことはありません。(たぶんまずくても もらった人は
「まずい」なんて伝えてくれる事はないでしょうけど 確実に私の
人間性とか信頼感が低下するのは間違いありません。)
たとえとして、飛躍しすぎると言われるかもしれませんが、
私があげた物を食べて「お腹を壊した」「食中毒になった」なんて
ことになったらそれこそ最悪です。好意は仇にしたくありません。
だから食べ物や飲み物を人に渡す際は、自分の作った野菜でも
一旦自宅で食べた上で渡すようにしています。
3年ほど前、食品偽装が横行した年、お隣の大国(C国)の覆面現場
取材ドキュメンタリーをTVで見ました。
食品に工業用染料を混ぜ、食品を作っている人が「内(家族)で食べる
はずがないでしょう。」なんてせりふを平気でインタビューに応えて、
こんなこと、ありえない!と驚いたものです。
自身や家族に食べさせられないものを市場に流して、それをお金に
変えようとしているなんて、考えられないことだし許せないことです。
人に物を渡す時に緊張感を感じる私は、まだマトモだと感じました。
先日、ある印刷会社の見積りが、また間違っていました。
私がいくら電卓をたたいても書いてある合計が、51,000円も高い。
三回続けて間違って叱って報告書まで持ってきた直後のことです。
仏の顔を通り越し、四回も続けて間違うこと自体、根本的な問題が
あるはずですが、話を聞いても根本的かつ初歩的なことが原因だと
いうことに本人たちは、まだ気づいていないようです。
「申し訳ありませんも 四度続くと 本当に申し訳が皆無なのでしょう。」
「あなたは、あなたが購入者の立場になって見積書を確認しましたか?」
もしあなたが、自身のマイカーを買う時なら、セールスマンが出す見積書に
一度は電卓を入れて確認するのではありませんか?
私なら先にも書いたように人に物をあげるだけでも緊張します。
ましてや、それで百万円単位のお金を相手に払ってもらおうと思えば、
単価を確かめ、何十回も検算をすることでしょう。
(実際、私はその立場の時には、そうしてきました。)
私は言いましたね「商業高校の生徒の方が、まだまし。」
これは、能力の問題ではなく、心の問題なのです。
機械に数値を打ち込んでそれを検算することなくクライアントに
提出する、相手に渡すものを確かめないという基本的ミス。
これを読んで是非発奮してもらいたいものです。
「今後、一切、見積書ではミスをしない」と。
何よりも貴方のため、そうすればやがて私の方から
「立ち」に誘って驕ってあげることもやぶさかではないでしょう。
足りてないのは、能力ではなく「心」とその上に置く「今」
つまり『念』の入れ方という基本的緊張感なのです。
少なとも私は、そう思います。
今年も残すところ11日、そう書くのも適度な緊張感を
失いたくないから・・・ です。
(寅)
先日、このブログでMさんから「金色のしずく」なる北陸の日本酒
ワンカップをお土産で頂いたことを書きました。
上の写真は、そのお返しとして先週Mさんに差し上げた醤油なんです。
秋に松本清張記念館を訪れた際、途中の市場で見つけて、数本買って
いたものなんです。(ちなみに明日12/21が、清張の生誕100周年の日)
冷奴にかけると最適、でも今は真冬ですから、冷奴で活躍してくれるのは
もう数ヶ月先になると思いますが、それまでは、卵かけごはんに使っても
美味しく頂けるはずです。
実は、私が、人に飲食物をあげる場合に、守っていることが1つあります。
一種の型(スタイル)と言えましょうか。
人に食べ物をあげる時は、必ず自分が食べたことがある、味見をしたことが
ある、或いは自身が使った経験がある と必ずその味見をしていることです。
お酒だろうとチョコレートだろうと饅頭だろうと蕎麦だろうと野菜だろうと
旅の店先で、初めての物を買う場合には、大箱のほかに必ず自分用の
小袋を買って、それを自身食べた上で、渡すかどうか判断するように
しています。
もし味見もせず渡して、それがまずかったりしたらこれほど恥ずかしく、
信用を落とすことはありません。(たぶんまずくても もらった人は
「まずい」なんて伝えてくれる事はないでしょうけど 確実に私の
人間性とか信頼感が低下するのは間違いありません。)
たとえとして、飛躍しすぎると言われるかもしれませんが、
私があげた物を食べて「お腹を壊した」「食中毒になった」なんて
ことになったらそれこそ最悪です。好意は仇にしたくありません。
だから食べ物や飲み物を人に渡す際は、自分の作った野菜でも
一旦自宅で食べた上で渡すようにしています。
3年ほど前、食品偽装が横行した年、お隣の大国(C国)の覆面現場
取材ドキュメンタリーをTVで見ました。
食品に工業用染料を混ぜ、食品を作っている人が「内(家族)で食べる
はずがないでしょう。」なんてせりふを平気でインタビューに応えて、
こんなこと、ありえない!と驚いたものです。
自身や家族に食べさせられないものを市場に流して、それをお金に
変えようとしているなんて、考えられないことだし許せないことです。
人に物を渡す時に緊張感を感じる私は、まだマトモだと感じました。
先日、ある印刷会社の見積りが、また間違っていました。
私がいくら電卓をたたいても書いてある合計が、51,000円も高い。
三回続けて間違って叱って報告書まで持ってきた直後のことです。
仏の顔を通り越し、四回も続けて間違うこと自体、根本的な問題が
あるはずですが、話を聞いても根本的かつ初歩的なことが原因だと
いうことに本人たちは、まだ気づいていないようです。
「申し訳ありませんも 四度続くと 本当に申し訳が皆無なのでしょう。」
「あなたは、あなたが購入者の立場になって見積書を確認しましたか?」
もしあなたが、自身のマイカーを買う時なら、セールスマンが出す見積書に
一度は電卓を入れて確認するのではありませんか?
私なら先にも書いたように人に物をあげるだけでも緊張します。
ましてや、それで百万円単位のお金を相手に払ってもらおうと思えば、
単価を確かめ、何十回も検算をすることでしょう。
(実際、私はその立場の時には、そうしてきました。)
私は言いましたね「商業高校の生徒の方が、まだまし。」
これは、能力の問題ではなく、心の問題なのです。
機械に数値を打ち込んでそれを検算することなくクライアントに
提出する、相手に渡すものを確かめないという基本的ミス。
これを読んで是非発奮してもらいたいものです。
「今後、一切、見積書ではミスをしない」と。
何よりも貴方のため、そうすればやがて私の方から
「立ち」に誘って驕ってあげることもやぶさかではないでしょう。
足りてないのは、能力ではなく「心」とその上に置く「今」
つまり『念』の入れ方という基本的緊張感なのです。
少なとも私は、そう思います。
今年も残すところ11日、そう書くのも適度な緊張感を
失いたくないから・・・ です。
(寅)