てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

死の種類

2015年08月10日 20時48分46秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
恐ろしいタイトルを付けてしまった。


人は誰しも必ず死ぬ。
遅かれ早かれ誰も逃れられない・・・。
今の格差社会の世の中でも、こればっかりは完全に平等である。


その死因の割合を知りたくなった。


平成26年人口動態統計月報年計(概数)の概況から
主な死因
病死・・・67.3%
老衰・・・5.9%
不慮の事故・・・3.1%
自殺・・・1.9%
などとなっている。

病死67.3%の内訳は、
悪性新生物・・・28.9%
心疾患・・・15.5%
肺炎・・・9.4%
脳血管疾患・・・9.0%
腎不全・・・1.9%
大動脈瘤及び解離・・・1.3%
慢性閉塞性肺疾患・・・1.3%
である。

ちなみに悪性新生物とは大雑把にいえば、癌(ガン)のことだ。


このデータからいえることは、
老衰という自然に死ぬなんてのは、
どうやら難しいということだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・。

この事実、
45歳を過ぎたオッサンが知っておいていい知識なんだろう。


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金沢(石川県)が空襲を受けなかったのは、いまだに謎である

2015年08月09日 22時00分00秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
今年は戦後70年ということと安保法案のこともあって、
例年以上に戦争関連の報道が多いような気がします。

本土空襲、沖縄地上戦、広島原爆投下、長崎原爆投下と・・・、

あまりにも悲惨でしたから・・・

先の大戦と地元の関係でいうのなら
昔からの疑問がある、なぜ金沢は空襲を受けなかったのだろう?

考えれば考える程、不思議なことなのだ。

当時の金沢は日本海側屈指の軍都だった。


町の歴史的文化財を破壊せぬため?
いやそれは違う、京都や奈良でさえ少々の空襲を行っている。

金沢市はまったく空襲が無く、また石川県にも空襲がなかった。

不思議だ、金沢は軍都で陸軍第9師団司令部はじめ、軍の施設や官舎があったし、
松任には国鉄松任工場があった、
小松空港なんかは海軍航空基地だったんですよ。
七尾港も天然の良港で当時は重要港湾だった。
その金沢(石川)を攻撃しないなんて常識では考えられないんです。


ちなみに県庁所在地級で、まったく空襲を受けていない都市は、
金沢、松江、山形、山口などがありますが、他の都市と違って、
敵からすれば金沢は必ず叩いておかねばならない場所なのだ。


隣の富山や福井は空襲を受けている。

昔、婆ちゃんが言ってた。
富山の空襲の時はその方向の空が真っ赤に染まって、それは恐ろしかったって・・・。


まさか、金沢も原爆投下の候補地になってたとか・・・。
小倉や新潟はまさにそれが為。

それはないな・・・。

う~ん、金沢に空襲が無かったのは、
いまだに合理的な説明がつかず、まさに奇跡としかいいようがないのだが、
おかげで、歴史的・文化的な財産を失わずに済んだし、
今オイラがいるのも、空襲がなかったおかげかもしれません。
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コメント (2)
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ブラオイラ#36(湯涌リメイク編・後編)

2015年08月09日 15時34分22秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
湯涌には、驚くべき施設が2つあって、
一つはすでに撤去されて更地だが、
もう一つは一部が移築され今も残っている!?

温泉街から高尾山へ登る道をあがっていくとそれらの場所がある。


まず今はもう無い方から、


中腹のここが跡地だ。

なんか、前に紹介したヘルスセンター跡地みたいな・・・

まったく何も無い、だけど綺麗に整備され管理されている。


ここにあったのは・・・・・・・、







なんと東洋一のホテルなのだ!

その名を白雲楼ホテルという。


在りし日の白雲楼だ。


すごい


日本じゃないみたい


まるで城内の大広間

(ネット画像よりお借りした)

今はこう・・・・。


ウィキより
白雲楼ホテル(はくうんろうホテル)は、石川県金沢市湯涌温泉にかつて存在した温泉ホテル。1932年(昭和7年)桜井兵五郎により開業した豪華なホテルで、かつては東洋一といわれ、GHQが保養施設として接収したり、昭和天皇・皇后が食事をとったことがあるなど栄華を極めていたが1999年(平成11年)倒産した。


そんなスゲーホテルが、こんな所にあったのか・・・
驚くばかりです。



続いて、
驚くべき施設で、しかも今も存在するいう方だが・・・・・・、










それがこれだ。


こちらは、
なんと世界遺産級の建築物である。



これも前回の記事で書いた→山中に世界遺産!?

世界遺産の富岡製糸場に次ぐ全国第二の大きな規模であった金沢製糸場の建築物なのだ。

金沢の中心街にあったその製糸場は、役目を終えてから、
建造物の一部をなぜかこの地に移築し今は人知れず草薮の中に置かれてる。

すごい・・・



もっと近づきたかったけどここが限界。

金沢市で草刈りしてくれないかなぁ~


加州金沢製糸場之図




(2014.5.6北國新聞記事より)
遺構は木造平屋建てで、湯湧温泉にあった白雲楼ホテルが保養所として進駐軍に接収された終戦直後は、進駐軍が馬小屋に使ったと伝えられる。
現在は周囲に草が生い茂り、地元でも建物を訪れる人はほとんどいない。
なお、製糸器械場が金沢市長町から移されたことを記す史料は確認されておらず、移築の時期は不明。
村長は、建物が戦前、白雲楼ホテルを開いた時にここに移されていた可能性があるとみており、「保存に向けて、近代建築の専門家に価値や状態を見てもらう必要がある」と話した。
教授は、世界遺産登録の勧告を受けた富岡製糸場に注目が集まっていることを挙げ、「ほぼ同時代に造られた金沢製糸場にも今後、光が当たる」とみて、将来の保存、利活用を見据えた実測調査の必要性を強調した。

これほど重要な建築物が今は藪の中でひっそりと・・・・。

なんとなく感動する。
金沢の奥山中に、誰も知らない世界遺産級の建築物があるなんて・・・・。

それにしても、湯涌とは面白い所である。
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ブラオイラ#35(湯涌リメイク編・前編)

2015年08月09日 14時06分15秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は娘の吹奏楽の北陸大会、
カミさんは当然応援に見に行ったが、
オイラは遠くから、ちゃんと応援してるよ。
<がんばれー!!!

・・・ということで、またオイラは一人でブラついた。


今回は以前に記事にしたことがある場所で、
オイラが出身地を伏せていたこともあって
地名等を明かさなかった金沢の奥座敷、湯涌の町をブラついた。

前回の記事→1時間だけの


湯涌へ向かう途中のいい感じの橋


川がきれいで上から魚が見えました。


さらに進むと、道路沿いに現れるのがこの人形達。


おっ金沢マラソンのTシャツ

でも前回に比べて人形の数激減してるけど、気持ち悪いから撤去されたのかな


いよいよ、湯涌温泉街に入る。


数年前に、ここはアニメの聖地にもなったらしいね。


金沢の奥座敷。


ここの温泉街は竹久夢二がこよなく愛した場所で記念館もあります。

竹久夢二・・・1884年(明治17年)岡山県生まれ、日本の画家・詩人。
数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。1934年(昭和9年)に50歳で死去。


いい雰囲気ですね~。

稲荷神社はとにかく絵になる。





んん!?

夢二の歩いた道

ここか・・・。

へぇ~


近くには江戸村もあります。


江戸時代の農民の家屋や農具などが展示



温泉街の一番奥は玉泉湖で。


池の奥に小屋が見えますあれは・・・


氷室小屋です。

江戸時代、加賀藩主が夏に徳川将軍へ雪を献上する為、冬にここへ雪を詰めて夏まで保存した。
初夏に食べる氷室饅頭も有名。

雪氷は6月1日に取り出されますのでありません。


しかし氷室小屋の周辺、アブが多くて大変でした。


それでもオイラ、
この湯涌は、町の魅力やちょうどいいそのサイズでお気に入りなんですわ。


後編に続く
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行ってみた~い#25(筒川)

2015年08月08日 22時03分16秒 | 【ヒゲ親父】行ってみた~い
行ってみたいのは、丹後半島にある
宇良神社~筒川~本庄浜である。
住所は京都府与謝郡伊根町本庄浜、京都でも日本海側だ。

その前に・・・、
日本の昔話といえば、
桃太郎とか、さるかに合戦とか、鶴の恩返しってのもあったっけ。
でも古代史好きから言わせてもらえば、
「浦島太郎」の話が全てにおいて別格なんだよね。

なんというか、そのリアルさに・・・、

まず、浦島太郎の話は、他の話と違って日本の正史である「日本書紀」に書かれていることからも特別なのであります。(エヘン

日本書紀に、丹波国餘社郡(現・京都府与謝郡)の住人である浦嶋子は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋子は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬莱山へ赴き、各地を遍歴して仙人たちに会ってまわった。

実際、この地で何かあったんだろうね。


まずは宇良神社(浦島神社)

なんと主祭神は浦嶋子(浦島太郎)



亀の甲羅に、わらで作った亀の作りもの(みの亀)



次いで近くを流れる筒川も見なければ、


丹後国風土記には、
「筒川の里、日下部首等の先祖に姿容秀美の筒川嶼子という者、即ち水江浦島子がいた。」
とちゃんと筒川のことも出てくる。

まさか、この村か?

ぜひその村にも訪れたいものだ。

そして本庄浜だ。

亀を助けた浜?・・・というよりも実際はここから出た小舟で沖合で難破したんだろうね。




さてオイラの推理はこうだ。

浦の嶋子が体験したのは海難事故である。

嶋子が体験したのは、おそらくこうだ・・・・。

筒川の近くの村に母親と住んでいた嶋子は、いつものように本庄浜より小舟を出して漁に出たものの、
途中で転覆し、海中に投げ出された。

もがき沈みゆく海中で見たのはこのような景色で、



そのうち意識が薄れていく嶋子・・
「あぁオラは死ぬのだな・・・

ところが、
なんと運の良い男だろう。死んだと思ったこの男は仮死状態のまま、波に流されて奇跡的に遠く離れた浜に打ち上げられた。


九死に一生を得た嶋子だったが、事故のショックで昔の記憶を失ってしまった。

打ち上げられた浜の村で十数年間、生活を送った嶋子、
結婚もして美しい嫁ももらった。
(本人曰く天女のように美しい妻だそうで)

そんなある日、
仕事の用事で遠くの村へ行くことになり、故郷の筒川の付近を通った時に、
嶋子は、はっと昔の記憶を思い出す。
(ここはオラが育った村じゃないか!

記憶の戻った嶋子は母の待つ家へと向かう

しかし、嶋子の母はすでに他界、現代と違い平均寿命の短い昔では
嶋子を知る村の者もすっかりいなくなっていた。

そんな中、ある男が「そういえばじいさんから聞いたことがある、昔、村に嶋子という者が沖合で流されて帰ってこなかったと。」と。

このことが嶋子の体験談も含め、村で評判になり、
長く記憶されることとなる。
(少し大袈裟に脚色されて・・・)

数十年後・・・、

遠く離れた朝廷から、地元の昔話を伝えよとの命令があって、
村の古老がこの話を上げることとなる・・・・。

まぁ、こんなとこだろう。

う~ん、行ってみたいなこの場所へ。
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ブラオイラ#34(湊町金石:後編)

2015年08月08日 16時16分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
さて、いよいよ金石の街に入る。

右手に金石バスターミナルが見える。

赤い串軒は今は昔・・・。


金石(かないわ)・・・石川県金沢市の地域。金沢市北西部に位置しており、犀川河口右岸の地域で日本海に面する港町である。
北前船の寄港地で繁栄した地域で、かつて銭屋五兵衛を代表とする商人が金石を拠点に商業活動が盛んに行われた。加賀藩時代、前田利家が宮腰から金沢城へ入城した縁もあり加賀藩の外港として優遇を受けていた。


金石港である。

小さな港で、イカ釣り漁船が数隻停泊していた。


海岸を走ると、・・・らしい風景。

今は使われていない煙突

そして大野灯台



大野港である。

金石港に比べても磯の香りが強い。

さてここら辺を歩こう

...........

ん・・・?

尊月明?

行ってみよう。


これか、

正しくは明月尊。嘉永年間1850年に大野浜に打ち上げられていた尊像を地元民が祠を建て祀ったことが起こり。


さらに進んでみると、

大野弁吉屋敷跡


中村屋弁吉は、享和元年京都で生まれ、長崎で医学、理化学、天文学、算学、などを学び、ここに来住した。
優れた頭脳と天性の器用さで人形やからくりや彫刻などの数多くの作品を作った。清貧の生活で70歳で亡くなった。
加賀の平賀源内と呼ばれた天才発明家だったらしい。
近くに「大野からくり記念館」があり、大野弁吉のからくり人形などがある。


どこかなつかしい街並み。




そして、
金沢でもトップクラスの人気寿司屋の「宝生寿司」である。

県外からのお客さんも足しげく通っているお店。


そして金石と言えばこの人である。



銭屋五兵衛(ぜにや ごへえ)である。
オイラ昔から横を向いているこの銅像が好きだ。
(フンと横向いてる感じが好き

加賀の銭屋か銭屋の加賀かといわれるほどの加賀一番の大金持ちで、また大きな廻船問屋であった。
銭五は、外国との密貿易を行っていたということでも有名である。もちろん当時は鎖国体制下、外国との交易は厳禁されていたが、金沢藩への献上金への見返りとして黙認されていたと言われる。銭五は本多利明の経済論や、からくり師として名を知られた大野弁吉などに影響を受けていたと言われ、海外交易の必要性を痛感していた。蝦夷地や択捉島ではロシアと通商し(礼文島には「銭屋五兵衛貿易の地」の碑が建てられている)、樺太ではアイヌを通じて山丹貿易を、また自ら香港やアモイまで出向いたり、アメリカ合衆国の商人とも交易したといい、オーストラリアのタスマニア島には領地を持っていたともいう。
(まじかいや!


五兵衛さん、お金貸して
なんちって

あらためて見ると金石は味わいのあるいい街です。
再確認できたかな。

さて、次どこ行こかな・・・。
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ブラオイラ#33(湊町金石:前編)

2015年08月08日 15時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は金沢の古くからの港町、金石(かないわ)をブラついてみた。

オイラの金石のイメージは、
金石海道の長~い直線道路なんだよな。


県道17号線、通称金石街道(古くは宮越往還)と呼ばれる一直線の道。

さて、まずは新しいところから行ってみよう

金沢海みらい図書館である。

2011年に開館し、2013年にBBC「世界の素晴らしい公立図書館4館」の一つに選ばれている。

たしかに美しいです・・・。図書館にはうるさいオイラ


次に行くのは、由緒ある大野湊神社だ。


神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、ここに祭神として祭ったのが始まりとされる。

オイラ初めて参拝する。


それにしても不思議な神社である。
参道入口から本殿までが直線となっておらず、微妙に右にずれていると思ったら、

2つめの鳥居をくぐってから大きく右に曲がって、左横に出てくる3つめの鳥居をくぐる。


そして、進んで左に折れて左に折れて、ようやく本殿だ。


ん!?要するのに本殿が表参道から後ろ向きに建っているんだが???

不思議・・・。

碇を奉納している。さすが湊の神社だ。


白馬


今日も暑かったが、神社の森は涼しい風が吹いてました。


お参りした後、隣接する公園へ、

きれいな公園。

亀が甲羅干ししてる。

今問題のミドリガメだ。


台場跡があった。

寺中台場跡・・・幕末に加賀藩が築く、海岸より内陸に築かれたのは外国艦隊の攻撃を避けるためという。



さてといよいよ金石の町に入ろう

後編に続く

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ブラタモ予想結果・・・05

2015年08月08日 00時14分01秒 | 【ヒゲ親父】ブラタモ予想結果
ブラタモリ新たな場所が確定した。
(NHKオンライン:ブラタモリより)

軽井沢が確定!


キタ──ヽ('∀')ノ──!!

軽井沢で大当たりー!!



また当たった(テーマは日本一の避暑地)で2連勝
きてるねー!

<オイラ予想都市>( )は予想テーマ
高知(幕末)
富山(海の恵み)
つくば(学園都市)
軽井沢(リゾート)
尾道(映画)
佐渡(島の文化)
富士吉田・御殿場(富士山)
別府・湯布院(温泉)
出雲(神話)
那覇(琉球)
2か所は当てたい。


<結果>
奈良×
仙台×
東京×
松江×
出雲○
軽井沢○
2勝4敗

目標の2個は当てたぞ!
よし、3個当てを目指そう


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広島原爆投下の日

2015年08月06日 20時36分24秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
本日8月6日
70年前の午前8時15分に広島に原爆投下・・・・・・・・・・・・

された日である。


わかりきってることだが、
我が国は、
世界で唯一原子爆弾が投下された国であり、
しかも広島、長崎と2発も。


戦後70年か・・・・・。


いろいろ考えさせられるし、
考えなければならないのだろう。

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暑い暑いってこればっか・・・

2015年08月05日 22時00分00秒 | 【ヒゲ親父】評論的な・・・
暑い、暑いってこればっか。

会社の会話でも、
来客の挨拶でも、
テレビのニュースでも、

暑い、暑い、暑い、暑い。

もう~言わんでも暑いのは十分わかってるって!

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驚異のONE PIECE

2015年08月04日 21時31分15秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
いい歳をしてと笑ってください・・・・・。






又吉先生
「火花」発行部数200万部って、すごいですね~。
(絶対読むから)

でもね、そう考えると、
尾田栄一郎の「ONE PIECE」単行本は現在78巻まで発行されていますが、
例えば第67巻は初版発行部数・・・・・・・・・・・・・

405万部です!

どれだけ凄いねん

そして累積発行部数は3億部です。
(もちろんギネス世界記録)

ワンピース、やっぱこのマンガは凄すぎます。

オイラ46歳この歳で、これほど気になるマンガはない。


最初はあまり興味もなかった→一応読んだ

考察本だけ読んでいた時もあった→考察本のこと

でも食い入るように立ち読するように→立ち読み


(オイラとワンピースの関係はこうだ)

読んでいない・・・東の海編(1巻 - 12巻)
読んでいない・・・アラバスタ編(12巻 - 23巻)
読んでいない・・・空島編(24巻 - 32巻)
読んでいない・・・ウォーターセブン編(32巻 - 46巻)
読んでいない・・・スリラーバーク編(46巻 - 50巻)
途中から読む・・・頂上戦争編(50巻 - 61巻)
断続的に読む・・・魚人島編(61巻 - 66巻)
全部読んだ・・・・・パンクハザード編(66巻 - 70巻)
全部読んだ・・・・・ドレスローザ編(70巻 - )



昨日も会社帰りのコンビニで立ち読みしようと
週刊ジャンプのワンピースだけを読んだが、衝撃の回だったので思わず買ってしまった。


第795話「自殺」というタイトルだが、
待ちに待った四皇のカイドウ初登場の回である。

(生きとし生ける全てのもの達の中で最強生物)

なぜいい歳したオッサンがこのマンガにはこれほど心惹かれるのだろうか。


とにかくワンピースは・・・・・・・・・、
キャラクター設定のバランスがいい。

バトルタイプの伝説のマンガには
「ドラゴンボール」もあるが、
フリーザまでがピークで、
後半は17号、18号、セル、魔人ブウだと、より強い敵が現れて、
死んだけど生き返ると読んでいても疲れてくる感じになったし、

「北斗の拳」も、敵はラオウまではバランスがよかったが、
サウザー、ファルコ、ヒョウ、カイオウと強引に強敵が順番に現れて内容がグダグダになってきた。


ワンピースはすべてが完璧であるとしかいいようがない。


いい歳をしてと笑ってください・・・。

でもONE PIECEだけは別格なんです。




とはいえこのペースだと完結するまでにあと10年くらいはかかりそう・・・。
(その頃オイラ56歳・・・・・・・・
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八田与一・・・必ず行かねばならない所

2015年08月03日 21時35分00秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
オイラまだ訪れていない重要な場所がある。

金沢市今町にある八田与一の生家だ。

石川県民であるにもかかわらず、
ほとんど八田技師の事は知らなかった。
こんなにも近くに生家があることさえも・・・。
今でこそ知る人も多くなってきましたが、
子供の頃にも習わなかったし、数年前まで名前さえも知らなかったんです。
地元が生んだ偉大な偉人なのに・・・


台湾の人にとって八田技師がいかに尊敬されているかということがよくわかった。
台湾に行った際にもよくこの話題が出たし、現地添乗員の方も我々が石川県民と言ったらなぜか感動してたよ。
(時間があったら読んでね)
台湾旅行記1
台湾旅行記2
台湾旅行記3
台湾旅行記4
台湾旅行記5

ところで八田与一ってどんな人?
(ウィキより抜粋)
日本よりも、八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある八田の銅像はダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民々意と周囲意見で出来上がったユニークな像は、固辞していた八田本人の意向を汲み一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置された。その後国家総動員法に基づく金属類回収令の施行時や、中華民国の蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際も、地元の有志によって守り隠され続け、1981年(昭和56年)1月1日に再びダムを見下ろす元の場所に設置された。今は台座上に修まる銅像の経過や、八田が顕彰される背景、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、八田の人柄によるところも大きく、エピソードも多く残されている。



必ず行くよ。
【ヒゲ親父】
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ブラオイラ#32(鳥越城跡&二曲城跡編)

2015年08月02日 19時45分32秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
夏の一日は長い、
飲んでゴロゴロ昼寝の予定はもったいないからやめまして
出掛けることにしました。
ドライブがてらブラついた。

城跡が見たかった。悲しい戦いの地を訪れたかった。

とすると、鳥越城しかないじゃないか!
・・・・ということで、ブラオイラ#32は鳥越城へ行ってみま~す。


オイラは鳥越城跡には何度か行ったことはあるけれど、
今までのようなテキトーな訪問と違って、
こうやってブログで記事にするとなると意気込みが違うわい。

その前に鳥越城の情報を
加賀一向一揆の最後の拠点として知られ、手取川とその支流大日川に挟まれた標高312mの丘陵上を利用して築かれています。大日川を挟んだ対岸には、同じく国指定史跡の二曲(ふとげ)城跡があります。鳥越城がいつ頃からあったのかについては、詳しくは分かっていません。落城したのは天正8(1580)年のことで、織田信長の家臣、柴田勝家によって攻め落とされました。その後、一揆方は再び城を奪回したりしますが、最後には鎮圧され加賀一向一揆は壊滅したとされています。


ふもとから見た鳥越城です。

典型的な山城。

あの頂上付近が本丸があった場所です。


さて車で登ります。


中腹に社があったので見てみると


熊野社とある。

へえ~

頂上の駐車場に着きました。


ここからの眺めが素晴らしいです。

(鶴来方面)


(白山方面)


さて、城にいきましょう。


水の問題は深刻だったでしょうね。

あやめが池には水はほとんどありませんでした。



おっ見えてきました。

(枡形門)


かっこいいですね

(本丸門)


建物跡がいろいろと

(礎石)

便所跡だって

なんとなくわかる・・・。


ここの感じ好き

(空堀)


鶴来方面より最強の織田軍団の軍勢が迫るのが見えたときの百姓兵達の心境やいかに・・・


鳥越城跡はこのくらいにして、
次いで、大日川を挟んで対岸の山にある二曲(ふとげ)城跡へ向おう!


こっちは初めての訪問です。


車を降りて徒歩で登ります。

わお~

ここですか


向こうに鳥越城が見えます。



まだ上に道が続きます。


ここか?

どうもまだ上に登れますが、道が悪いのでここまでとしました。


鳥越城とその支城の二曲城で織田軍団の柴田軍や佐久間軍と戦って敗れた百姓。
世界史上稀な100年続いた百姓の持ちたる国はここに潰えたのだ。

それにしても、オイラ以外の見学者は鳥越城は車2台、二曲城は0台。
鳥越城跡なんかはうまくPRすれば、
有名な天空の城「竹田城跡」にも負けないくらいの観光地になれると思うけどね。

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ちょっぴりいい事が起きた時

2015年08月02日 11時32分00秒 | 【ヒゲ親父】出来事
図書館に行って、ちょっぴり得した気分になるのは、
入口付近にある新入荷コーナーの本で興味ある本が3冊以上並んでいてゲットできたとき。

今回はそれが起こった。



右から、
「北陸新幹線金沢開業記念決定版写真集!!ふるさと金沢」
「地図と写真で見る東京のれきし」
「発掘された日本列島2015」
の3冊である。
これはイイこれはイイですよ。

こんな時は、スーパーに寄って、
ビール(キリン一番搾り)を買って、
なんと特売で、「ますのすし」が半額356円だ
アジフライとメンチカツと海老だんごで乾杯だ。

そして日曜の午後に、読書しながらそのうち昼寝に突入だろうね。

こういうちょっぴりいい事が起きた時は、
素直に世の中に感謝しようと思う。
だってそうでしょ、
健康で、興味あるモノを読めて、美味しいものを食べれて、美味しいビールを飲める。
なんてありがたいんだ。
なんてこの世はすばらしいんだ。

謝謝!
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ブラオイラ#31(川北の花火大会編)

2015年08月01日 23時46分37秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
まず最初に断わっておきますが、
打ち上げ花火の撮影というのは大変難しいということ。

まずピントが合わないし・・・

(こんな感じ

うまくピントとタイミングが合った写真も、
見てみるとしょぼく写ってる。

(ホントは10号玉の大きな花火なのに・・・


まぁ、言い訳はこれくらいにして
ブラってきました川北の花火大会。
れっつらGO!


川北町民がそこらじゅうでBBQを行っています。
右も左も前も後ろみんなBBQ、珍しい光景だわ

旨そうな匂いがするな~(くんくん

会場に着いた。

なんじゃこの人は~!

(例年30万人以上と言われてますからね・・・)

ちなみにこの催しは、手取り火祭り(川北まつり)でもあるから、
川北町の各町内会の方の虫送り太鼓の乱れ打ちなどが披露されます。



次いで盆踊りが始まった。



今年はライティングショーもありました。



いよいよ花火大会の始まりである。



そして、高さ45Mの大かがりにも火が入った~!



北陸最大級2万発の花火が打ち上がる。

凄い

写真ではうまく伝わらないけど・・・

でも凄かったよ。


娘が撮った写メ



(娘の方がうまいじゃん・・・



迫力があって堪能しました。
久しぶりに会場で花火大会を見ましたよ。

そして帰りはお約束の大渋滞。

明日の北國新聞第1面もお約束です。

疲れたび~
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