北朝鮮拉致被害者5人が平成14年10月15日に帰国してから15年となる。
福井県小浜市で拉致問題の早期解決を訴える地村保志さん(右)と妻、富貴恵さん(写真:産経新聞)
(拝借
)地村さんも歳とったなぁ
もう15年になるのか・・・。
この憎むべき北朝鮮拉致事件は、1977(S52)年から1983(S58)年頃にかけて頻繁に行われている。
1977年9月19日 久米裕さんが石川県宇出津海岸で拉致される。
1977年10月21日 松本京子さんが米子市の自宅近くの編み物教室に向かった際に拉致される。
1977年11月15日 横田めぐみさんが新潟市において下校途中に拉致される。
1978年6月頃 東京で田口八重子さんが拉致される。
1978年7月7日 福井県で地村保志さんと濵本富貴惠さんが拉致される。
1978年7月31日 新潟県で蓮池薫さんと奥土祐木子さんが拉致される。
1978年8月12日 鹿児島県で市川修一さんと増元るみ子さんが拉致される。
1978年8月12日 新潟県佐渡で曽我ミヨシさんと曽我ひとみさんの母娘が拉致される。
1980年5月頃 石岡亨さんと松木薫さんが欧州滞在中に拉致される。
1980年6月中旬 原敕晁さんが宮崎県の青島海岸に連れ出され、拉致される。
1983年7月頃 有本恵子さんが欧州にて失踪、拉致される。
石川県能登町の宇出津から始まったのだ。
宇出津事件の概要は以下の通りだ。
(文字が多くてごめんなさい
)
1977年9月18日、東京都三鷹市の警備員だった久米裕さん(当時52歳)と在日朝鮮人の李(同37歳)は、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能都町(現・能登町)宇出津の旅館「紫雲荘」に到着した。午後10時。2人は黒っぽい服装で宿を出た。怪しんだ旅館側は警察に通報し、石川県警からの連絡で能都署員と本部の捜査員が現場に急行した。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。
北朝鮮による拉致事件の第1号事件なのだ。
久米裕さん
(拝借
)
オイラは、この現場に必ず行くつもりだった。
珠洲への国際芸術祭の帰りに寄ることができた。
あそこか・・・対岸より
あそこに現場である「舟隠し」という入り江がある。
1977(S52)年9月19日午後に李と久米さんが宇出津の旅館「紫雲荘」に入る。
ここだ。
バスが駐車してあるが、旅館自体はすでに廃業している。
ここで李は久米さんに旅館ではしゃべるなと注意している。
旅館の女将は落ち着きなく口をきかない二人を怪しみ、夕食後に110番に通報している。
この場所は海岸より高台にあり、旅館の前には遠島山公園がある。
ここには吊り橋があって、
しらさぎ橋(S43.3架)があって、けっこう高い。
橋上から舟隠しの入り江が見える。
あそこだ。
S43年架とあるので、この橋は事件当時には存在していたことになる。
夜9時すぎ、短波放送で「決行」指示の「南山の青い松」が流れた。
李と久米さんは黒い作業ズボン、紺のアノラックに着替え、夜の10時過ぎに旅館から外へ出て行った。
この付近の案内地図。
40年前であるが、二人が歩いたルートは想定できる。
赤い紫雲荘からおそらく黄色線のルートを通ったであろう。
今では「潮騒の小径」などと呼ばれている。
ここ。
今では整備されているが、
当時はどうだったんだろうか、
あまり人が通らない道だったと思うが、
坂をどんどん下りていく、
何かが地面で動いたので、見てみると、
カニがいた。
夜の10時過ぎならば当然真っ暗なわけで、懐中電灯で照らしながらここまで来たんだろう。
入り江が見えてきた。
着いた。
拉致現場である・・・・。
想像するだけで不気味だが、
李が小石を三回打ち付けて合図を送ると、暗闇の中から三人の男たちが現れたという。
遠くにしらさぎ橋が見える。
李は久米さんを三人に引き渡したのち、旅館に戻った。
まさにここから北朝鮮拉致事件が始まってしまったのである。
この宇出津事件、警察が北朝鮮工作員にもっとも迫った事件と言われている。
もし未然に防いでいたのなら、その後に連続して起こる拉致事件に影響を与えたといわれている。
新潟の現場もそうだったが、宇出津の現場も何ともいえない悲しさを感じてしまう場所である。
前に横田めぐみさん拉致現場を訪れた時のことを投稿しました。
⇒
横田めぐみさん拉致現場
福井小浜の拉致現場も訪れた
⇒
地村夫妻拉致現場
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