8月15日 渥美半島駈け廻る自転車バカ親子 その3
朝一のフェリーに乗るために、4時半に起きた。毎日早起き(笑)。
飯食って家を出ようとした時、近所の親戚の叔父さんが、家に寄ってくれた。
しばらく見ない間、凄く痩せていた。
剣道五段で、私が小さい頃から手取り足取り教えてくれた。当時子供ながら叔父さんの太い腕を見て感心していた記憶がある。その腕も今は凄く細い。その細い腕を見て寂しくなった。
父が死んだのは、私が26歳の時であった。その時父は58歳だった。私もあと8年で同じ年になる。オカンは元気だが、70も半ばだもんな。皆歳を取っていく。
三重県の志摩は、父とオカンの田舎。
二人が大阪で商売をしてる時、二人とも早朝から深夜まで働いて、子育てする事が不可能だった。当時は深夜までやってる保育園なんて無い。仕方がないので志摩の爺ちゃん婆ちゃんの所に預けられて、保育園~小学校と8年間、この志摩で私と妹は暮らした。
中学に上がる前に、大阪の親の所に引越しし、ようやく親子で暮らせるようになった。
私が38歳の時、会社傾いたのでUターンで志摩に帰り3年過ごす。
志摩に住んだのは少年時代の8年間と、Uターンした後の3年間だけです。
少年時代の8年間は、良い思い出がいっぱいあります。山があり川があり海があり、毎日駈け廻っておりました。楽しかったなあ。爺ちゃんも婆ちゃんも凄く優しくて、素晴らしい少年時代だった。
Uターンしてからの3年間は、就職した会社がブラック企業だった事もあり、悪い思い出しかありません。
ですから、志摩という田舎には複雑な思いがあります。もしオカンが死んだら、志摩との繋がりも消えて行くんだろうなあ。と寂しい事を考えてしまった。
オカンと別れて5時半出発。目標は8時10分発の伊良湖行きフェリーだ。搭乗時間もあるので、7時50分には到着しなければいけない。
早朝で車がほとんどいない。志摩の阿児町目指して国道をガンガン飛ばす。緩やかな上下はあるが、昨日の坂に比べれば屁である。
10km先の阿児町鵜方で18分。磯部の入り口で30分。磯部上之郷で40分。速い!
五知峠への登り口の沓掛で50分であった。
「行くぞ!五知峠!」
と親子で気合を入れて、全長2kmの坂を上って行くが意外に簡単。やはりパールロードの坂に比べれば子供である。10分で峠に着き、鳥羽市白木の集落まで一気に下った。そのまま惰性で国道を北上し、市内を横切ってフェリー乗り場に着いた。たったの1時間半である。フェリー出発の1時間前に到着してしまった。これもまた新記録である。
1時間前はまだフェリー乗り場は開いておりません。バイク1台と車5台ほどしかいませんでした。30分ほどでゲートが開いて、乗り場前に行きましたが、最終的には自転車は私達2台のみで、バイクは5台ほどでした。
昔は夏休みともなると、自転車やらバイクでいっぱいになったものですが、最近の若い奴は乗らないんですかね?全然少ないです。しかもバイクは中年の人がほとんど(笑)。
搭乗口で親子でウダウダ話してる時に、バイクの中年の男の方に挨拶されました。
「親子で自転車って凄いですね」
立ち話で10分ほどお話しさせていただきましたが、東京の方で以前静岡豊橋近郊にお住まいだったらしいので、お盆休みを利用して、1泊2日のバイクツーリングをされているとの事。
「昨日は渥美半島の海岸でのんびりしていたら、伊良湖からのフェリーに乗り遅れましてね-。23号線で伊勢湾を一周して夜に到着しました」
自転車とオートバイの違いはあるものの、ツーリングの楽しさというものについて、長々と話をしてました。やはり旅は楽しいです。
乗船が始まり、船室に移動してお菓子やら御茶やら買って、窓際のテーブル席を占領し、ごろごろする。朝一の便は空いてます。
先ほどお話しした方を見つけ、
「こっちで話しませんか?」
とお誘い。
30分ぐらいでしたが、旅の事・バイクの事・自転車の事・家族の事など、ぎりぎりの時間まで話をしておりました。旅は良いもんです。こういう人と人との出会いが時々ある(笑)。
オジサン達よ、旅に出よう!
若い頃は、1週間山に入ったり、バイクを転がして信州を何日も野宿したりしてた。
カッコつけて、
「俺の家は自然の山や川や海だあ!」
なんて叫んだり・・・うははは!今考えたら恥ずかしいぞー!
でもあの時の旅の原点ってのを思い出しました。非常に懐かしい。
やはり日常の鎖から離れる事は必要ですよ。会社の事や、通勤電車の事、取引先の事や納期・クレーム対応やら人事考課・会議の資料・エクセル・テキストデータ・・・、一時的でいいから旅をして抜け出ましょうよ。
気持ちいいです。体が軽くなった気がします。いやなしがらみ全部忘れて楽しいです。
お盆休みで時間が空いたので、フラッとバイクを転がして旅に出たとの事。凄い行動力です。1泊2日でも、放浪の旅は出来るんですね。長期の休みが取れない事を理由に、出不精になってる自分を顧みて反省しました。
会社が終わってから自転車を飛ばし、浜名湖に野宿して、翌日帰ってくればええやん。
したいなあ、でも会社が・・・仕事が・・・という言い訳するぐらいなら。自転車を漕げばよいのだ。
自分の腰の重さを反省した。
学生時代から社会人になる頃を思い出した。
学生時代に友人から登山を教わりまして・・・またその友人が放浪癖があり、就職したりしなかったり(笑)。
そいつとよく山に行ったりしてたんですが、その時の雰囲気・・・
「将来は不安だけど、今俺は自由だー!何にも縛られないんだー!」
と、安酒飲んでテントで寝た事とか・・・。
フェリーの中の30分で、中年オジサン2人が、グダグダ話をして若い頃の雰囲気を思い出しました。たった30分ですが、楽しい時間でした。お名前はお聞きしませんでしたが、ありがとうございました。
写真は渥美半島の先端です。
フェリーが到着しお別れした。東京まで帰られるそうですが、昨日はほとんど寝ておられないとの事。ちょっと心配です。
旅をしていればどこかでお会いできるかもしれません。またお会いしましょう。
帰り道は、渥美半島の遠州灘沿いの自転車道を使い、豊橋までシーサイドツーリング。これが非常に良かったです。
いやーたまらん!良いコースだわ。長い砂浜を見ながら、ゆっくりツーリング。
15kmほどで、「あかばねロコステーション」という道の駅に到着。ここで休憩。
子供曰く、
「お父さん。Iyo先生は、ここらへんでサーフィンしてるのかなあ?」
私と子供の空手の師匠Iyo師匠は豊橋在住で、趣味はサーフィンである。今頃はサーフィン三昧かもしれない。今はどうしてるのかな?
しばらくすると自転車道が終わり、国道に合流する。国道と言っても田舎道なので走りやすい。二人ともガンガン飛ばす。
豊橋市に入り六連集落から太平洋にお別れし、内陸の豊橋市内を目指す。田原街道に出た所で、台湾人がやってる中華料理屋香苑で昼飯。
ランチ700円で凄い量であった。美味い。オヤジも子供も大満足。ギョーザが12個!超大型唐揚が5個で昼飯!大当たりの店でした。
天津から田原街道を進んで、市街地に入るくらいで北西に針路を取り、旧23号で豊川を渡って豊川市内の南側を通る。23号バイパスは避けて、ひたすら県道を行く。
ここら辺はよく通る道である。もう地図も必要無い。
ラグーナにて最期の休憩。ここで親子でカキ氷。ラグーナは家族連れで混んでました。こんな所に自転車置いて食ってる親子は、周囲から浮きまくっておりました。
もうすぐ家である。オヤジと子供の夏の旅も終りに近い。短い旅であったが、楽しい経験が出来た。私は全然成長していないが、旅は人間を成長させます。
ツアーや車で行くよりも、バイクや自転車で行った方が、何倍もの体験が出来ます。皆さんも、自分の体を使って旅に出よう。
来年は子供とテント泊で行きたい。
その夜は、疲れた体に鞭打って、米津の花火を見に行った。半分寝てた(笑)。
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朝一のフェリーに乗るために、4時半に起きた。毎日早起き(笑)。
飯食って家を出ようとした時、近所の親戚の叔父さんが、家に寄ってくれた。
しばらく見ない間、凄く痩せていた。
剣道五段で、私が小さい頃から手取り足取り教えてくれた。当時子供ながら叔父さんの太い腕を見て感心していた記憶がある。その腕も今は凄く細い。その細い腕を見て寂しくなった。
父が死んだのは、私が26歳の時であった。その時父は58歳だった。私もあと8年で同じ年になる。オカンは元気だが、70も半ばだもんな。皆歳を取っていく。
三重県の志摩は、父とオカンの田舎。
二人が大阪で商売をしてる時、二人とも早朝から深夜まで働いて、子育てする事が不可能だった。当時は深夜までやってる保育園なんて無い。仕方がないので志摩の爺ちゃん婆ちゃんの所に預けられて、保育園~小学校と8年間、この志摩で私と妹は暮らした。
中学に上がる前に、大阪の親の所に引越しし、ようやく親子で暮らせるようになった。
私が38歳の時、会社傾いたのでUターンで志摩に帰り3年過ごす。
志摩に住んだのは少年時代の8年間と、Uターンした後の3年間だけです。
少年時代の8年間は、良い思い出がいっぱいあります。山があり川があり海があり、毎日駈け廻っておりました。楽しかったなあ。爺ちゃんも婆ちゃんも凄く優しくて、素晴らしい少年時代だった。
Uターンしてからの3年間は、就職した会社がブラック企業だった事もあり、悪い思い出しかありません。
ですから、志摩という田舎には複雑な思いがあります。もしオカンが死んだら、志摩との繋がりも消えて行くんだろうなあ。と寂しい事を考えてしまった。
オカンと別れて5時半出発。目標は8時10分発の伊良湖行きフェリーだ。搭乗時間もあるので、7時50分には到着しなければいけない。
早朝で車がほとんどいない。志摩の阿児町目指して国道をガンガン飛ばす。緩やかな上下はあるが、昨日の坂に比べれば屁である。
10km先の阿児町鵜方で18分。磯部の入り口で30分。磯部上之郷で40分。速い!
五知峠への登り口の沓掛で50分であった。
「行くぞ!五知峠!」
と親子で気合を入れて、全長2kmの坂を上って行くが意外に簡単。やはりパールロードの坂に比べれば子供である。10分で峠に着き、鳥羽市白木の集落まで一気に下った。そのまま惰性で国道を北上し、市内を横切ってフェリー乗り場に着いた。たったの1時間半である。フェリー出発の1時間前に到着してしまった。これもまた新記録である。
1時間前はまだフェリー乗り場は開いておりません。バイク1台と車5台ほどしかいませんでした。30分ほどでゲートが開いて、乗り場前に行きましたが、最終的には自転車は私達2台のみで、バイクは5台ほどでした。
昔は夏休みともなると、自転車やらバイクでいっぱいになったものですが、最近の若い奴は乗らないんですかね?全然少ないです。しかもバイクは中年の人がほとんど(笑)。
搭乗口で親子でウダウダ話してる時に、バイクの中年の男の方に挨拶されました。
「親子で自転車って凄いですね」
立ち話で10分ほどお話しさせていただきましたが、東京の方で以前静岡豊橋近郊にお住まいだったらしいので、お盆休みを利用して、1泊2日のバイクツーリングをされているとの事。
「昨日は渥美半島の海岸でのんびりしていたら、伊良湖からのフェリーに乗り遅れましてね-。23号線で伊勢湾を一周して夜に到着しました」
自転車とオートバイの違いはあるものの、ツーリングの楽しさというものについて、長々と話をしてました。やはり旅は楽しいです。
乗船が始まり、船室に移動してお菓子やら御茶やら買って、窓際のテーブル席を占領し、ごろごろする。朝一の便は空いてます。
先ほどお話しした方を見つけ、
「こっちで話しませんか?」
とお誘い。
30分ぐらいでしたが、旅の事・バイクの事・自転車の事・家族の事など、ぎりぎりの時間まで話をしておりました。旅は良いもんです。こういう人と人との出会いが時々ある(笑)。
オジサン達よ、旅に出よう!
若い頃は、1週間山に入ったり、バイクを転がして信州を何日も野宿したりしてた。
カッコつけて、
「俺の家は自然の山や川や海だあ!」
なんて叫んだり・・・うははは!今考えたら恥ずかしいぞー!
でもあの時の旅の原点ってのを思い出しました。非常に懐かしい。
やはり日常の鎖から離れる事は必要ですよ。会社の事や、通勤電車の事、取引先の事や納期・クレーム対応やら人事考課・会議の資料・エクセル・テキストデータ・・・、一時的でいいから旅をして抜け出ましょうよ。
気持ちいいです。体が軽くなった気がします。いやなしがらみ全部忘れて楽しいです。
お盆休みで時間が空いたので、フラッとバイクを転がして旅に出たとの事。凄い行動力です。1泊2日でも、放浪の旅は出来るんですね。長期の休みが取れない事を理由に、出不精になってる自分を顧みて反省しました。
会社が終わってから自転車を飛ばし、浜名湖に野宿して、翌日帰ってくればええやん。
したいなあ、でも会社が・・・仕事が・・・という言い訳するぐらいなら。自転車を漕げばよいのだ。
自分の腰の重さを反省した。
学生時代から社会人になる頃を思い出した。
学生時代に友人から登山を教わりまして・・・またその友人が放浪癖があり、就職したりしなかったり(笑)。
そいつとよく山に行ったりしてたんですが、その時の雰囲気・・・
「将来は不安だけど、今俺は自由だー!何にも縛られないんだー!」
と、安酒飲んでテントで寝た事とか・・・。
フェリーの中の30分で、中年オジサン2人が、グダグダ話をして若い頃の雰囲気を思い出しました。たった30分ですが、楽しい時間でした。お名前はお聞きしませんでしたが、ありがとうございました。
写真は渥美半島の先端です。
フェリーが到着しお別れした。東京まで帰られるそうですが、昨日はほとんど寝ておられないとの事。ちょっと心配です。
旅をしていればどこかでお会いできるかもしれません。またお会いしましょう。
帰り道は、渥美半島の遠州灘沿いの自転車道を使い、豊橋までシーサイドツーリング。これが非常に良かったです。
いやーたまらん!良いコースだわ。長い砂浜を見ながら、ゆっくりツーリング。
15kmほどで、「あかばねロコステーション」という道の駅に到着。ここで休憩。
子供曰く、
「お父さん。Iyo先生は、ここらへんでサーフィンしてるのかなあ?」
私と子供の空手の師匠Iyo師匠は豊橋在住で、趣味はサーフィンである。今頃はサーフィン三昧かもしれない。今はどうしてるのかな?
しばらくすると自転車道が終わり、国道に合流する。国道と言っても田舎道なので走りやすい。二人ともガンガン飛ばす。
豊橋市に入り六連集落から太平洋にお別れし、内陸の豊橋市内を目指す。田原街道に出た所で、台湾人がやってる中華料理屋香苑で昼飯。
ランチ700円で凄い量であった。美味い。オヤジも子供も大満足。ギョーザが12個!超大型唐揚が5個で昼飯!大当たりの店でした。
天津から田原街道を進んで、市街地に入るくらいで北西に針路を取り、旧23号で豊川を渡って豊川市内の南側を通る。23号バイパスは避けて、ひたすら県道を行く。
ここら辺はよく通る道である。もう地図も必要無い。
ラグーナにて最期の休憩。ここで親子でカキ氷。ラグーナは家族連れで混んでました。こんな所に自転車置いて食ってる親子は、周囲から浮きまくっておりました。
もうすぐ家である。オヤジと子供の夏の旅も終りに近い。短い旅であったが、楽しい経験が出来た。私は全然成長していないが、旅は人間を成長させます。
ツアーや車で行くよりも、バイクや自転車で行った方が、何倍もの体験が出来ます。皆さんも、自分の体を使って旅に出よう。
来年は子供とテント泊で行きたい。
その夜は、疲れた体に鞭打って、米津の花火を見に行った。半分寝てた(笑)。
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