「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

遅まきながら・・・英語教育10月号

2008-09-21 22:01:14 | 読書
英語教育10月号の特集は、『授業で鍛える英語の「基礎体力」』、記事に並ぶのはトレーニングと音読の文字。曰く、ドリルやトレーニングは言語学習の基本だということだ。

トレーニングやドリルが必要であることは認める。音読の重要性も十分すぎるほど分かっているし、その効果を相当数の生徒が感じてくれている。たった2ヶ月にも満たないつきあいの3年生が試験週間に、人に迷惑をかけず音読ができる場所はないかと相談にきたことも以前のエントリーに記した。

スピード・リーディング、ペア・シャドーイング、穴埋音読、音読筆写など今流行のトレーニング法はすべて授業で実施済み。効果の程はクラス間の平均点の差を見れば明らかだ。

その自分が今のトレーニング重視の英語教育に強烈な違和感を覚えている。

他教科の専門家が今の英語教育におけるトレーニング偏重具合を目にしたらどのように感じるのだろうか。あるいは、この流れは陰山先生や川島先生などより大きな力のバックアップを受け他教科をも席巻しているのだろうか。

授業のメインコンテンツがトレーニングで本当にいいのか?
教養のある人間の英語かどうかは本当に綺麗な子音の発音で決まるのか?

などということを考えながら重たい気持ちで読み進めていたが、英語教育時評で斉藤兆史先生の意見に癒された。「・・・過去30年ほどの日本の英語教育改革は・・・英語力が身に付かないのはもっぱら教え方が悪いせいであるとの間違った認識に基づき・・・有意差が出たの出ないのと論じる疑似科学的教授法研究が横行するようになったのである。」これぞ、カタルシス。慶応大学のシンポにも参加されていたようだが、東京までは簡単に行けません。所詮、田舎のネズミですから。

昨日、丼飯をかき込みながらではあったが、御手洗先生からも「やっぱり考えさせないとね」というお言葉を聞いて大いに納得、そして安心。