「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

共同歩調あるいは説明責任

2008-09-28 11:27:16 | その他
このブログの最初にも書いたように、教育は変わっていって然るべきものだと思っている。社会が変わり、時代が変わり、人が変わり、教育に求められるものも変わっていくのは当然だ。

教える側も、教育を取り巻く環境の変化に的確に反応できるように常にアンテナを伸ばしておき、自分の教育活動に批判的な目を向けながら改善の余地はないか探る姿勢を持っておくべきだろう。

昨今、シラバスで授業内容の縛りを大きくし、担当者ごとの指導内容にバラツキを小さくするという共同歩調の重要性が叫ばれている。しかし、この方法はややともすれば、教員個人個人が自分の頭で考え、自分の手で工夫していく素地を奪ってしまう可能性はないだろうか。

最低限のルールや指導事項の確認はもちろん必要だと思う。しかしながら、指導の流れの中でもそのときの生徒の状況に対応したり教える側の新たな気付きを反映させることのできる柔軟さは必要なのではないか。

何かを生み出し、それを試そうという気持ちを起こさせるような包容力のある教育環境の中でなければ豊かな教育は生まれてこないだろう。指導する者が、自らの頭で考えたり工夫したりする必要のないシステムを作っておきながら、生徒には人は失敗から学ぶのだと言ってもうまくいくはずはない。