「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

知識を教えること

2008-11-12 22:08:01 | その他
大雑把ではあるが、日本の教育は知識の伝達が中心、欧米の教育は考え方や捉え方を学ぶ機会を与えるのが中心とよく言われる。もちろん、日本の教育もずいぶん変わっているはずだし、欧米の授業も全てを一括りにはできないだろうと思う。しかしながら、誤解を恐れず、あえて私の体験したことについてちょっと述べてみたい。

もう10年以上前のことだ。あるALTと話の流れで中南米にどんな国があるか、言いあいっこをしようということになった。私は共通一次世代の地理選択で、ある程度自信はあった。

しかし、メジャーどころが出尽くすともうついて行けない。相手のアメリカ人ALTは次から次へと聞いたことのない国がポンポン出る。(興味のある方は以下のサイトへどうぞ)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ichiran/i_latinamerica.html

さすがはアメリカ人。中南米との繋がりはこちらの予想以上に強いのだななどと思いつつ、第2回戦はアジア・オセアニア地区へ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ichiran/i_asia.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/ichiran/i_oceania.html

話の落ちが見え見えであるが、この地区でもALTの圧勝だったのである。次はヨーロッパにする? それともアフリカ? と攻め込まれたところで降参しました。

お前に教養がないのだと言われればそれまでだが、このときに痛烈に感じたのが「知識」に対する姿勢の違いだ。確かにそのALTは非常に優秀な人物で、一般のアメリカ人とは違うだろう。しかし、彼女が「知識は武器である」ことを深く理解していたのは明白である。

彼らは討論したり論文を書いたりする体験を通して、知識のない者の意見や考えはどれだけ優れていてもまともに相手にされないのだということを早くから実感している。彼らにとっては文字通り「知は力」なのだ。ファインディング・フォレスターという映画(邦題:小説家を見つけたら)の中に、このことが非常に分かりやすく描かれたシーンがある。金持ちの白人男性に馬鹿にされた黒人少年が、その男の乗るBMWの政治的背景について述べ逆にやりこめるのだ。

いずれにせよ、知識が有益であるのは間違いない。問題はそれを吸収するために必要な素地をつくるのが教育なのか、それとも素地には触れないで吸収できるだけ吸収させることが教育なのかである。


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