「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

根岸雅史先生のご講演

2008-11-26 22:35:23 | 研修
先週末は地元県のSELHi高発表会へ参加。お目当ては東京外大の根岸先生のご講演。テーマがリーディングなので興味深い。例によって消化不良の部分もあるが特に印象に残った部分を報告させていただく。

「高校の英語が変われば日本人の英語は変わる」
 大学でも中学でも駄目、高校の英語が大切とのこと。大学で英語を学ぶのは所詮少数派、中学の授業はずいぶん変わった、今一番改革が立ち後れているのは高校の英語教育といったことだろうか。

「地元県SELHi高の目標:『表面的な情報の読みとり』、『概要の要約』、『意見や感想を述べること』→これらはリーディングそのものではない」
 リーディングの本質がもっと深いところにあるのだということについては、このブログでも何度か言及した。根岸先生の言葉では、これらの目標がリーディングにどのような影響を与えるかの検証が大切とのこと。リーディング論の本質に議論が及ばなかったのが残念。SELHi高の立場からすると、PISAや文科省(センター試験)の意図を汲んだ目標設定だというつもりなのだろう。

「リーディングにおける発問(タスク)には該当箇所を引用して答えられる直接的な質問、代名詞が指すものなどの理解を問う間接的な質問、行間を読む推測力が要求される質問、読者の意見が求められる質問の4種がある」
 これは比較的良く耳にするものだと思う。これに続いて各種の試験におけるこれらの発問の割合が提示された。いわゆる一般の教育現場では前者2つの割合が高いということである。テストでは最後の質問は不適だが授業ではどうだろうかという問いかけ・・・でおしまい。残念。

「リーディングタスクは『推測←→文字通り』の縦軸と『局所的←→全体的』の横軸で仕切られる4象限の分類が可能である」
 なるほど。たとえばジョークの落ちなどを考えるためには全体的な推測の力が要求され、比喩的な表現の解釈には局所的な推測の力が要求されるということだと思う。

「スキーマは元々持っているものが大切。その場でスキーマをプレハブ作りしても駄目」 
 教育全般でいわれる学習者の生活に即した教材が効果的ということを思い出させる指摘である。

「リーディングの力としてスピードや沢山の量を厭わず読めることがないがしろにされていないか」
 スピードは昨今注目される要素で、今やストップウォッチを持って授業される先生方は多いことだろう。後半の力は測定が難しいが確かに重要な要素であるのはまちがいない。長い文章を読む際に、必要な情報を保持するためのメモの取り方なども追求すると面白いかもしれない。(このあたりは母国語の読書でも然りである)

「私たちは必ずしも「語」の認識をベースにして読んでいるのではない」
 以下のような文章を読まされ、最初の文字と最後の文字が正しければ読めるという不思議な体験をさせていただいた。かなり以前に何かの記事で読んだような気がしたが思い出せない。強烈なデジャブ感を感じた。

How do you read English?

Aoccrding to rscheearhcer at an Elingsh uinervtsy, it deosn't mattaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetant tihng is taht the frist and lsat ltteers are in the rghit pclae. The rset can be ・・・

このほかにもCEFRのCan Do Listの話などご講演は多岐にわたったが、話題があまりにも広範囲に渡ってしまったため、それぞれの面白さが薄まってしまった感は否めなかった。

個人的には「第二言語の読解において母国語は全く無用か」や「ハンドアウトの功罪」、「センター試験の方向性をどう考えるべきか」などいろいろ聞いてみたいこともあったが、風邪気味でそれもかなわずシンポジウムの途中でとうとう席を立ってしまった。どうにも突き抜けた感覚のない一日でした。


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