試験が近づくと例によって音読三昧で復習モード。この時期どれだけ蒸し暑くてもエアコンは入らないから授業は全窓開放状態。近隣のクラスはさぞかし迷惑なことだろう。
それにしても、音読で定着を図るという意識が高まってきたのはよいこと。所属校は土日も沢山の生徒が登校して勉強しているのだが、人の邪魔にならないように体育館の片隅で小声でぶつぶつ言いながら音読をしている生徒がいて感心。
おそらく英語担当の中で一番音読を信頼していない(と思われる)自分が、一番音読を授業に使っている(ような)のはいかにもパラドキシカル。音読が大切だという古くからある不文律に切り込むことは敢えてしないが、少なくとも教員による解説に比べれば、音読など時間の無駄と思っている人は多いと思われる。
ジョークや声色などで変化をつけるのは当然のことハンドアウトや活動の細分化などをどれだけ工夫しても、私の下手くそな授業ではちょっと油断すると居眠りモードに入る生徒が出てしまう。どれだけうまい授業をしても1時間を通して講義で授業を組み立てて成果を上げるのは至難の業だ。
他の人の授業はどうかしらと思い、向かいの校舎を眺めてみると教科書を持って何人かの生徒が立っている教室がある。聞いてみれば国語の授業とのこと。発問のあと、立って考えさせ意見がまとまったら座るように指示を出しているそうだ。これもまた、面白い手法である。
それにしても、音読で定着を図るという意識が高まってきたのはよいこと。所属校は土日も沢山の生徒が登校して勉強しているのだが、人の邪魔にならないように体育館の片隅で小声でぶつぶつ言いながら音読をしている生徒がいて感心。
おそらく英語担当の中で一番音読を信頼していない(と思われる)自分が、一番音読を授業に使っている(ような)のはいかにもパラドキシカル。音読が大切だという古くからある不文律に切り込むことは敢えてしないが、少なくとも教員による解説に比べれば、音読など時間の無駄と思っている人は多いと思われる。
ジョークや声色などで変化をつけるのは当然のことハンドアウトや活動の細分化などをどれだけ工夫しても、私の下手くそな授業ではちょっと油断すると居眠りモードに入る生徒が出てしまう。どれだけうまい授業をしても1時間を通して講義で授業を組み立てて成果を上げるのは至難の業だ。
他の人の授業はどうかしらと思い、向かいの校舎を眺めてみると教科書を持って何人かの生徒が立っている教室がある。聞いてみれば国語の授業とのこと。発問のあと、立って考えさせ意見がまとまったら座るように指示を出しているそうだ。これもまた、面白い手法である。