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疑いは震災直後の“校長のひと言”から始まった 大川小遺族が指摘する「震災後の人災

2012-11-07 23:23:54 | 日記
                        転記      ダイヤモンド社
疑いは震災直後の“校長のひと言”から始まった
大川小遺族が指摘する「震災後の人災」

教諭は、地震直後の学校の裏山の様子について触れていた。
<体育館の通路のところからみているときに、何度も揺れが来て、山の方で木が倒れたり、様子を見ました>
 津波に襲われた後のことも、
<余震が来て揺れるたびにメキメキと木が倒れる音がしました>
 と、証言した。
 当時6年生だった三男の雄樹くんを亡くした佐藤和隆さんは、こう不審がる。
「山の木というのは根っこが張っているから、簡単に地震では倒れないはず。木がバタバタ倒れるくらいの揺れなら、家なんて全て倒壊ですよ。自然が大好きで、山登りが得意だったこの先生が、そのことをわからないはずがない。実際に木は倒れていなかったんだ」
 この日の説明会では、男性教諭も、倒木が避難させなかった理由だとは説明していなかった。
 しかし、この後に公開された文書を追っていくと、倒木は、校庭に避難していた児童を裏山に二次避難させなかった理由だと説明されていく。後に文書の存在が明らかにされる、3月25日の聞き取り書の中でのことだ。
 この男性教諭の調書には、作成された日が記載されていない。添えられた死者・行方不明者数の統計数をみると、少なくとも4月中旬以降に作成されたものであることがわかる。聞き取ってすぐのタイミングで作成されたものではない。
 震災から2ヵ月後の5月には、20人あまりの子どもたちからの聞き取りも、市教委によって行われた。
 和隆さんは、この子どもたちの調書についての不審点も挙げる。
「文面を省いている。津波が来る前に学校を離れて助かった児童に、雄樹の最期を知りたい、分かる範囲のことを教えくれって、その子の母親の立ち会いの下で、色々と話してもらった。
 雄樹くんたちは、先生に向かって、何で山に逃げないの、ここにいたら地割れして地面の底に落ちていくと、訴えていたって。子どもらしい発想でしょ。その子は、聞き取りの時にもその話をしたと言っていたが、調書には書かれていないんだ。他にもしゃべったことが書かれていないという子がいる。だけど、聞き取りメモは(指導主事によって)廃棄されているから、言ったという証拠がない」

原発と活断層 疑いある以上、直ちに停止を

2012-11-07 16:41:41 | 日記
しんぶん赤旗                            2012年11月7日(水)
主張
原発と活断層
疑いある以上、直ちに停止を
 国内で唯一運転している関西電力大飯原発(福井県)の敷地内にある断層(破砕帯)について、原子力規制委員会は、破砕帯が地震を引き起こす活断層の可能性もあるが断定はできないとして7日にあらためて委員会を開きます。
 活断層かどうかの判定には時間がかかるとの見方もありますが、重要なのは活断層の疑いが否定できない破砕帯が、現に運転中の原発の重要施設の下にあることです。活断層が動いて地震が起き重大な被害を及ぼす事態を避けるには、運転は直ちに停止し、必要な調査はそのうえで行うべきです。
活断層上に建設できない
 現在の原発の耐震基準でも、原発の重要施設は活断層の上につくることはできません。万一活断層が動いて地震が起きれば、原発が重大な被害を受け、大きな事故が発生する恐れがあるからです。
 大飯原発で問題になっているのは敷地を横切る「F―6」と呼ばれる破砕帯で、1、2号機と3、4号機の間を走り、その上には非常冷却用の海水を3、4号機に送る配管が通っています。破砕帯が活断層なら、大飯原発は運転を続けるのはもちろん、建設自体が許されなかったことになります。
 政府と関電は破砕帯を活断層ではないと決め付けて建設を強行しました。東日本大震災で東京電力福島原発などが被害を受け、これまで活断層とは見られてこなかった断層などについても見直され、専門家が大飯原発の破砕帯は活断層の可能性があると指摘しました。同じ福井県内にある日本原電敦賀や関電美浜、北陸電力志賀(石川県)、東北電力東通(青森県)などでも敷地内や周辺での活断層の存在が問題になっています。
 原子力規制委員会の指示を受け再調査した関電は10月末、「F―6」破砕帯は活断層とは確認できないという中間報告を発表しました。これを受けた現地調査では、耐震基準で活断層とされる12万~13万年前以降に動いたずれを新たに確認しました。専門家からは、「敷地内に活断層があるのはまちがいない。F―6以外にもある」などの意見が出る一方、地すべりのあとという見方を支持する意見もあり、結論は出ませんでした。
 しかし、新たに見つかったずれが12万~13万年前以降に動いた可能性では一致しています。活断層ではないかとの疑いは明らかです。活断層の定義そのものももっと長い期間で検討すべきだとの意見も出ています。活断層の疑いがある以上、運転は直ちに停止すべきです。活断層かどうかの検討に時間を費やすだけでは、国民の安全を守る責任は果たせません。
再稼働すべきでなかった
 もともと大飯原発3、4号機が国内の原発で唯一運転されているのは、関電管内での夏場の「電力不足」を口実に、政府がやみくもに再稼働を認めたためです。実際には原発を運転しなくても電力は足りていたことが明らかになり、しかも夏場も過ぎて、運転を続ける根拠は失われています。
 世界有数の地震国・日本での原発の危険性は明らかです。活断層の疑いが明らかな原発だけでなく、東海地震の震源域の真上に建設された中部電力浜岡原発(静岡県)も危険です。福島原発の悲惨な事故を踏まえれば、大飯原発の運転中止だけでなく、原発撤退の決断こそ政府は急ぐべきです。

規制委「有識者」に原発マネー安全基準づくりを担当6人中4人に6000万円

2012-11-07 13:10:10 | 日記
しんぶん赤旗     2012年11月7日(水)
規制委「有識者」に原発マネー
安全基準づくりを担当
6人中4人に6000万円
 原子力規制委員会で原発の新たな安全基準づくりを担当する検討チームに加わる外部有識者6人のうち4人が三菱重工業などの原子力業界から、少なくとも約6000万円の報酬や寄付などの資金を受けていることが6日、本紙の調べでわかりました。厳格な安全基準づくりをになう立場にありながら、原発事故後も事故前と変わらず、原発マネーの恩恵を受けていることはその適格性が問われる重大問題です。
________________________________________
 検討チームは外部有識者(6人)と原子力規制庁(5人)、原子力安全基盤機構(4人)で構成しています。
 規制委員会は2日、外部有識者の自主申告書を公表。申告書では、直近の3~4年間に原子力関連企業からの報酬や寄付、共同研究の有無とその額を記載しています。
 業界からの原発マネーは申告分で5172万円。本紙が情報公開で調べた分も加えると、少なくとも5896万円にのぼります。
 申告書によると、使途の制約や報告義務がない所属大学を経由した奨学寄付を3人が計1394万円受けていました(表参照)。
 原子炉メーカーの三菱重工は、阿部豊氏に2006年度から毎年100万円を寄付。山口彰氏にも09年度から100万円ずつ寄付していました。三菱重工は阿部、山口の両氏に東京電力福島第1原発事故後も寄付をしていました。
 山口氏は日本原子力発電(原電)から06年度以降、毎年50万円ずつの寄付を受けています。また関西電力との関係が深い原産協関西原子力懇談会も山口氏と山本章夫氏に寄付をしています。
 原発関連企業から報告義務のある年50万円以上の報酬を受け取っていたのは2人。報酬額は不明ですが、山本氏が3社から12件分、少なくとも600万円以上を受け取っています。山口氏も1社から報酬を受けています。
 共同研究や委託研究として4人が、原発業界から8社、計3128万円を受けていました。
 こうした原発業界から寄付などを受ける研究者を委員に任命することは、「中立性、公平性を損ねる」として強い批判があります。


疑いは震災直後の“校長のひと言”から始まった 2

2012-11-07 00:31:50 | 日記
<転記
ダイヤモンド社
疑いは震災直後の“校長のひと言”から始まった
大川小遺族が指摘する「震災後の人災」
<2
<震災から1ヵ月、初めての説明会で
うつぶせで動かなくなった男性教諭
 最後まで学校に残っていながら、教職員では唯一生き残った男性教諭が、遺族の前で当時の状況を説明した。男性教諭は、地震発生から翌日までの行動をひと通り説明した後、
「本当に、毎日、学校で中庭で元気に遊んでいる子どもたちの夢とか、直前まで卒業式の用意をしていた先生たち、教頭先生はじめ、その夢を毎日見ます。本当にすみませんでした」
 と言って、机の上に突っ伏したような格好になった。そして、説明会が終了するまで、顔を伏せたままだった。
 現在に至るまで、この教諭は、震災により大きなショックを受けたとして長期の休職をしている。主治医からのストップにより、その後は誰も、男性教諭と直接連絡をとることができないままの状態が続いており、この日の説明会は、教諭が生の証言をした唯一の機会となっている。
 紫桃さんは、この説明会を、偶然にもビデオカメラで撮影した。
「たまたまカメラを持って行っただけで、これほど深い意味があるとは思わないで撮った。しかし、この日の教育委員会は、誰もメモもとっていなければ、ビデオカメラも音声レコーダーも回してもいない。一切なかった。もし、私が録画していなければ、その証言自体が、存在しないことになってしまった可能性がある。残せたことは大きかった」
 当時の市教委の業務は、混乱を極めていた。市内のほとんどの学校が避難所となっていたうえ、年度をまたいだことにより、膨大な作業と慣れない対応に負われる激しい日々だっただろう。とはいえ、児童の7割が、死亡・行方不明となった大惨事の説明会で、メモ1つ残そうとしなかったというのは、事後対応としては、あまりにずさんであることを物語るエピソードのひとつだ。
 このときの紫桃さんの録画を基に、市教委が第1回の説明会の議事録が作成したのは、1年以上後の、今年5月末だった。
聞き取り調書は市教委に破棄された?
生き残った男性教諭、児童の証言への疑問
 紫桃さんたち遺族が、男性教諭の説明に事実と違うらしい点があると、気づいたのは、説明会の後だ。録画したものを聞き直してみると、どこかおかしい。自分がどう動いたかという説明ばかりしていて、子どもたちの発言や動きについては、あまり説明していないのだ。
 おかしな点はまだある。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない