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大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは 2

2012-11-13 23:15:31 | 日記
転記  ダイヤモンド社
大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月
明らかになった真実、隠され続ける真相とは
<2
 5、6年生の男子たちが、「山さ上がろう」と先生に訴えていた。当時6年生の佐藤雄樹君と今野大輔君は「いつも、俺たち、(裏山へ)上がってっから」「地割れが起きる」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と、くってかかっていたという。
 2人も一旦校庭から裏山に駆けだしたが、戻れと言われて、校庭に引き返している。
 防災無線では、「海岸線や河川には近づかないでください」と呼びかけていた。教頭の持っていたラジオでは、6メートルの大津波警報を伝えていた。
 担任教諭たちが校庭で点呼をとり、教頭へ報告。遅くとも午後3時前には完了していたと思われる。
 数分ごとに、たびたび余震が起きていた。
 校庭では、女の子たちが泣いていた。「地震酔い」なのか、吐いている子もいた。
 子どもを迎えに来た保護者は、20家族ほど。名簿に名前を書いて帰宅していった。大津波警報が出ていることを報告していた母親もいた。
 保護者たちは、教諭から「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」などと言われていた。
 また、地域の人たちが校庭の入り口に集まってきた。布団やブルーシートを持ってきていた人もいた。
河北総合支所職員が避難を呼びかけたルートと周辺地図

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 午後3時14分。大津波警報が10メートルに引き上げられる。直後の午後3時15分、余震発生。防災無線を担当した市河北総合支所の職員によると、この頃に初めて大津波警報が出ていることを認識して呼びかけ始めたという。だが、高台への避難の呼びかけは特にしなかった。
 一方、同支所の3台の広報車は、大津波警報と、高台への避難を呼びかけながら、県道を海岸の長面方面に向かった。午後3時20分頃、広報車の1台の職員が大川小に立ち寄り、長面の人たちを体育館に避難させられるかを確認して、「危険」との説明を受けている。同時刻に、津波の第一波が、牡鹿半島の先端の鮎川に到達。
 校庭では、たき火の準備も始まっていた。
 午後3時25分過ぎ、北上川河口の防潮林(松原)を越えてきた津波を目撃した広報車が引き返す。後続の広報車もUターンして、「高台に避難してください」「松原を津波が通過しました。避難してください」と呼びかけながら、県道を戻っていった。広報車が大川小前を行きと帰りで通過する際、スピーカーの呼びかけを聞いた児童もいる。

「即時原発ゼロ」 全国に響きわたる声を聞け

2012-11-13 22:00:59 | 日記
しんぶん赤旗            2012年11月13日(火)
主張
「即時原発ゼロ」 全国に響きわたる声を聞け
 「ゲンパツ反対」「原発とめろ」「再稼働やめろ」「子どもをまもれ」―冷たい雨の中、夜空をついて、東京・永田町の国会周辺に参加者の唱和が続きます。「反原発1000000人大占拠」行動です。同じ日全国でも、「即時原発ゼロ」「再稼働反対」などを掲げて集会やデモ、宣伝行動などが繰り広げられました。東日本大震災とそれにともなう東京電力福島原発などの悲惨な事故から1年8カ月、原発が事故を起こせばどんなに深刻な事態を引き起こすのか、いよいよ明らかです。野田佳彦内閣は、全国に響きわたる「即時原発ゼロ」の声を聞くべきです。
国民の怒りは頂点に
 「1年8カ月たっても住み慣れた自宅に帰れない。私たちと同じ思いをさせないために、原発は直ちに廃止を」と福島県から参加した女性。「全国からの参加者の多さに元気をもらった。地域に帰ってまた頑張ります」と長野県から参加した若者。東京・霞が関の官庁街や内幸町の東京電力本店前、永田町の首相官邸前などで抗議行動を繰り広げた参加者が、国会正門前の大集会に集まり始めた午後5時ごろには本格的な雨。参加者の熱気は雨にも寒さにも屈しません。
 事故発生から1年8カ月たっても廃炉に向けた本格的な作業さえ手がつかず、除染や復旧の対策も進まないなか、福島県ではいまだに十数万人が避難生活を続けています。にもかかわらず原発からの撤退に背を向けて、再稼働や建設再開など原発依存を続けようとしている野田政権―国民の怒りと批判は頂点に達しています。参加者がのべ10万人に達した「首都圏反原発連合」呼びかけの「大占拠」行動と、「原発をなくす全国連絡会」の呼びかけにこたえた全国いっせい行動はその反映です。
 世界有数の地震国日本で危険な原発の運転は許されず、停止中の原発の再稼働など論外であることは、原子力規制委員会がおこなった原発での活断層の調査や、全国の原発が福島事故クラスの事故を起こした際の被害予測などでいよいよ明らかになりました。
 野田政権がこの夏再稼働を強行し、全国で唯一運転している関西電力大飯原発では、原発の敷地内で非常用の配水管の下を通る「F―6」と呼ばれる断層(破砕帯)が地震を引き起こす活断層であるという疑いが濃くなっています。疑いがある以上、直ちに原発の運転は中止すべきです。
 全国の原発が福島原発事故クラスの事故を起こした場合の放射性物質の拡散を調査した被害予測では、規制委員会が避難の必要な範囲としている原発から30キロメートルを超えて、高い濃度での拡散が予想されることが明らかになりました。30キロ圏だけでも480万人が暮らします。事故が予測の範囲にとどまる保証はなく、原発依存を続けるのは危険この上ないものです。
直ちに廃止に踏み出す
 日本共産党の志位和夫委員長は国会前の集会で「即時原発ゼロ」が重要と訴えました。福島原発事故の重大性に照らしても、原発は運転を始めるだけで危険な「核のごみ」(使用済み核燃料)がたまり続けることを考えても、再稼働は中止して、直ちに廃止に踏み出すべきです。青森県大間などでの新増設は断じてゆるされません。今こそ「即時原発ゼロ」の声を高めようではありませんか。

大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは

2012-11-13 00:49:38 | 日記
転記 ダイヤモンド社
大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月
明らかになった真実、隠され続ける真相とは
東日本大震災の津波で、児童74人と教職員10人が犠牲になった石巻市立大川小学校を取り上げた当連載も、15回を数えるまでになった。
初回で取り上げたのは、震災から1年3ヵ月あまりが過ぎた2012年6月16日に、遺族の有志が行った会見の様子だった。事故の真相が一向に明らかにされない現状を訴えるために、意を決した8家族11人が報道陣のカメラの前に立ち、一人ひとりがマイクを握って胸の内を語った。
あれから4ヵ月半――。
これまで、どのようなことが明らかにされ、何が課題として残されているのか。私たちが石巻市や県教委、文科省に繰り返し行ってきた情報開示資料や、これまでの石巻市教育委員会の調査に、生存者や地域の人たちなどへの取材から得た情報も加えて、ここで改めて整理をしてみたい。
空白の51分間は、どこまで明らかになったか
 あの日、地震が発生した午後2時46分から、学校の時計が午後3時37分で止まるまでの51分間、学校で何があったのか。
 子どもたちが、高台への避難もせずに校庭に居続けた“空白の51分間”の出来事は、「真実を知りたい」と訴え続ける遺族たちがもっとも知りたがっている部分だ。
◇        ◇
 2011年3月11日。この日は、朝から穏やかに晴れていた。午後になると雲が出てきて、次第にどんよりとした空に変わった。午後2時を過ぎた頃から、急速に冷え込んできた。
 午後2時46分、大川小では帰りの会が終わり、「さようなら」を言っている途中に、地震は起きた。子どもたちは、机の下に潜り、揺れがおさまるのを待った。教頭がハンドマイクで「机の下に避難」と繰り返していた。揺れはそのまま2分ほど続いた。
 学校前の県道には、海岸方面の長面地区に向かって、スクールバスが待機していた。大川小の学区は北上川に沿ってかなり広い範囲にわたるため、多くの子どもたちがスクールバスで通っていた。
 この日、大川小の柏葉照幸校長(当時)は、年休を取り、学校には不在だった。
 教務主任のA教諭(教職員として唯一の生存者)は、廊下から「校庭へ避難しろ」と叫んでいた。
 子どもたちは早足で、校庭へ出た。上履きを靴に履き替えたり、自分の判断でジャンパーを着用したりした子どももいた。外では、小雪が舞い始めていた。
 A教諭は、校庭に出ると「山だ! 山だ! 山に逃げろ」と叫んだ。それを聞いて、山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された。

あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない