不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Quella donna che ha la veste azzurra

2011-04-12 23:00:00 | アート・文化
1400年代終わりから1500年代半ばにかけて
ヴェネツィアを中心に活躍したTiziano(ティツィアーノ)は
1500年代初めには
ウルビーノ大公のもとで製作を続けていました。
その当時のウルビーノはMontefeltro(モンテフェルトロ家)から
della Rovere(デッラ・ロヴェーレ家)に政権が移り、
Francesco Maria della Rovere
(フランチェスコ・マリア・デッラ・ロヴェーレ)が実権を握り
芸術パトロンとして文化文芸を保護していました。
数多くの芸術家や知識人が集い、
新しい宮廷の形として模範とされるようになります。
芸術家として当時人気があっただけでなく
実業家としても才能のあったティツィアーノは
この新しい権力体制のもとで製作を続け、
Francesco Maria della Rovereと
その妻Eleonora Gonzaga Della Rovere
(エレオノーラ・ゴンザガ・デッラ・ロヴェーレ)
の肖像画も残しています。
またその妖艶な美しさで知られる
Venere di Urbino(ウルビーノのヴィーナス)も
この時期に制作されたものです。

この「ウルビーノのヴィーナス」のモデルとなった女性を
ティツィアーノはほかの作品でもモデルにしています。
ひとつはウィーン美術史美術館所蔵の
La Giovane in pelliccia(毛皮の少女)。
そしてもう一つがフィレンツェの
パラティーナ美術館所蔵のLa Bella(美少女)。

La Bellaは2008年から修復作業が続けられており、
ようやくその修復が完了して
少しバラ色に染まる頬や白く透き通るような胸元、
結い上げられた柔らかな金髪、
金糸で飾られた藍色のダマスク織のドレスなどが
色彩鮮やかに見事に蘇りました。

La Bellaは1536年から1538年に
ウルビーノ大公Francesco Maria I Della Rovere
(フランチェスコ・マリア・デッラ・ロヴェーレ1世)
が購入したもので
もともとウルビーノ公国所蔵の作品でした。
後に最後の継承者Francesco Maria II Della Rovere
(フランチェスコ・マリア・デッラ・ロヴェーレ2世)
が亡くなると
その娘であるVittoria(ヴィットリア)が
Ferdinando II de' Medici(フェルディナンド2世)に嫁いだ関係で
ほかの遺産と共に
1631年にフィレンツェに持ち込まれたのです。
1694年にメディチ家出身の枢機卿Francesco Maria
(フランチェスコ・マリア)に引き継がれ
更に彼の死後、1711年には
トスカーナ大公Cosimo III(コジモ3世)の所有となります。
その後は常にピッティ宮殿に保管されていましたが、
Napoleone(ナポレオン)軍の侵略により
ピッティ宮殿から他の61点の作品とともに
フランスに持ち去られました。

その後1804年にフランスで施された最悪の修復により
オリジナルの美しさを失っていた作品が
約3年をかけた修復で美しさを取り戻し、
これを記念して特別展が始まっています。

7月10日までの特別展では
この修復の完了したLa Bellaのほかに
ウィーン美術史美術館から
同じモデルと言われる
「La Giovane in pelliccia(毛皮の少女)」、
La Bellaと同じ時期に制作された、ウフィツィ所蔵の
「Francesco Maria I Della Rovereの肖像画」
が展示されています。
そしてバルジェッロ美術館から特別に
ダマスク織の布地サンプルも出展されていて
様々な角度から作品を堪能できるようになっています。

7月10日以降はイタリアを離れ
アメリカ巡業にでてしまうLa Bella、
この機会に是非みておきたい作品です。

Tiziano_la_bella

Quella donna che ha la veste azzurra
La Bella di Tiziano restaurata
会場:パラティーナ美術館(ピッティ宮殿)
会期:2011年4月12日から2011年7月10日まで
休館日;月曜日、5月1日
入場料:12,00ユーロ