不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

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2012-08-12 19:04:05 | Tweet Log



I ricordi delle guerre

2012-08-12 17:51:20 | 日記・エッセイ・コラム
夏のくらくらする暑さの中、
いくつもの闘いの記憶が交錯する。
日本もイタリアも。

日本は
1945年8月6日広島原爆投下
1945年8月9日長崎原爆投下
そして
1945年8月15日終戦
と、軍部独裁により引き起こされた
勝ち目のない愚かな長い闘いの記憶。
原爆投下という決定打による被害が大きく、
そこから終戦までの時間が短かった日本。

イタリアにも
同じように長く辛い闘いの数々の記憶。
1944年6月4日ローマ解放
1944年8月11日フィレンツェ解放
そしてイタリア全土が解放されるのは
1945年4月25日で
南部から北上した解放前線は
各地でのナチス軍の抵抗に
かなりの苦戦を強いられていたことも
歴史が語っています。

イタリアは日本そしてドイツと繋がり
枢軸国として開戦したものの、
最後は同盟国であったはずのドイツ軍によって
苦しめられそして多くの犠牲を出しています。

フィレンツェがナチス軍から解放されたその翌日
ルッカ郊外のSant'Anna di Stazzemaでは
罪のない市民560名が
(そのほとんどが戦中の留守をまもる
女性や老人、子供たち)
抵抗も空しく、
統制の効かなくなっていたナチスドイツ軍によって
命を奪われています。
http://firenze.repubblica.it/cronaca/2012/08/12/news/l_eccidio_di_sant_anna_di_stazzema_schulz_mai_pi_il_ghigno_nazista-40830819/?ref=HREC1-6

戦争とは愚かなものであると
我々は知っていながら、
人類は長い歴史の中で同じ過ちを繰り返してきたのです。
67-68年前の傷みと悲しみの記憶が
我々の中で曖昧になってしまわないように
今年の夏も執拗に暑いのではないかと思ったり。

Sant'Anna di Stazzemaの記念式典での
ドイツ人でありEU議会議長である Martin Schulzの言葉には
様々な深い意味が込められているような気がします。
もちろんドイツ人として触れられたくない
苦い記憶であることは確かですが、
それをきちんと自分の中で受け止めて謝罪ができる。
そして、ドイツ人であり
ドイツマルクの強さを重々承知していながら
これからの国際社会では
ドイツでさえ一国ではどんなことをしても
勝ち目がないことを予見し
経済的にユーロを維持することの大切さを悟っている。

その謙虚さと賢明さを
日本の政治家も少し持っていてくれればと
真夏の暑いフィレンツェの空の下で
遠くぼんやりと考えたりしています。

そして人が人を殺めることのない平和な国際社会を
これから築いていくために
無駄な軍事用原子力開発や人体実験などが行われないことを
心から願いつつ。