不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Tweet della giornata

2014-06-07 19:04:34 | Tweet Log



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商売しているなぁ。イタリアより日本で流行っているよねぇ。→Cruciani C オンラインショップ / サムライブルー モデル http://t.co/WKPZH0WSVy






6月7日19:00上映。私は一人で観に行きます。まだ少しチケットあるみたいです。この周辺では多分他では上映されてないんじゃないかな。興味ある方は是非。「ある精肉店のはなし」大岡信ことば館(三島)  http://t.co/boS1ulhJGF






イタリア。
できるできないは別として、国民の一人ひとりの意識は高い。
言いたいことを言い、
自分の思いたいように思う、イタリアが好き。
あぁ、帰りたい。 http://t.co/sKod4gIEBu








Il villaggio chiuso e la sua tradizione

2014-06-07 17:07:01 | Tra la mente e il cuore
「ある精肉店のはなし」という映画。
毎日通りかかる三島の「大岡信ことば館」の
外の小さな掲示板に出ていたポスターで知った映画。
本日上映会でした。

ご存知の方も多いと思いますが、
私は基本的にお肉もお魚も食べません。
それは、小さなころのトラウマから徐々に確立された
私の単なるわがままな選択の一つ。
でもそこから逆説的に始まって
生き物を殺めることへの罪悪感がつきまとうから
生きている可能性のあるものは食べないという
変な理論も持ち合わせています。

その上で、この映画を観ようと思ったのは
「いのちを食べていのちは生きる」という当たり前のことを
今の私なりにきちんともう一度考えたかったから。

でも実際映画を観たら
私の思考は違うところに行き着いたんだけどね。

映画のテーマは大きく二つ。
ひとつは
別のいのちのエネルギーをいただいて
我々は生きているということ。
もうひとつは
差別という問題。

タイトルコールの前の数分はショッキングに始まるのに、
非常に淡々とした日常の一部としてきれいに表現されていて
その屠畜の手さばきは、ある意味神業にも見える。
そして、全編に差別という
暗くなりがちな
もしくは社会的なメッセージてんこもりになりがちな
特異なテーマが流れているにも拘らず
それさえも感じさせない。
つまり、
とってもさっぱりとした仕上がりになっているのが奇跡。

映画は観てもらった方がいいと思うので、
詳細は述べませんが。

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YouTube: 映画『ある精肉店のはなし』予告編


「命が尊いものだ」とか「差別はあってはいかん」とか
そういうことはきっとこの作品を観たら誰でも感じること。

生きていた可能性のあるものを食べたくないという
わがまま論をもっている私が
この作品を観て感じたことは、
命のありがたみを知っている人がきちんと捌いた食材は
その原点まで遡れる場合に限り、
食べる価値があるんじゃないかということ。
この映画の中で、
屠畜という作業が神聖に見える理由もそこにあるんだと思う。
翻って、生産者と消費者の間に
金と利権にまみれたような中間卸業者や
薄利多売しか考えない結果、
奇形の魚介類や家畜から取り出した食材までも
平気で売り捌ける大手小売業者などの手を渡って
どこぞのショーケースに並んでいるものは
既に元あった命を冒涜し、
食材としての価値さえなくなっているんじゃないかと。
たとえば、あなたが今日食べた、
特売の「トレイにのっかった切り身のお肉」は
果たして食材となる前の「いのち」の重みを感じられる
愛のあるルートをたどってあなたの手元にきたかしら?
と、ここに至って、辛くなって
ますます命のあったものを食べられなくなったわけだけど。

朝には精肉店の牛舎から
7代目店主に曳かれて
その先の自分の運命を知ってか知らずか
興奮しながらも歩いて屠畜場に向かい
午後には静かに
軽トラックの荷台に積まれて戻ってくる牛。
その一連の流れを観ていて胸に迫るものがあったのも事実。
私の世代なら
誰でも心の奥に刻まれているだろう「ドナドナ」のような。
そこにはまだ「いのち」の重みと
それに正面から誠意をもって向かい合った愛があるから
胸を打つ何かを漂わせているんじゃないのかな。

どの時代にも、どの世界にも
マジョリティが生きやすくするために
必要としている「差別」。
だからどの時代にもどの世界にも
その程度の差はあれ、
差別は潜在的に我々の中にある、とも思っている。

差別も難しい問題で
軽率な発言は許されないのだけど、
作品の中で描かれている
家族と街、地域の住民と街の濃密な繋がりは
特殊な熱を帯びているなぁって。
ある意味閉ざされた集落だからこそ
紡ぎだされた独特な伝統の文化という感じ。
東京のような地域の繋がりの希薄な大都市ではもちろん
この先産まれてこないタイプの伝統。
私の故郷のような一部はガチガチに閉鎖的なくせに
一部はゆるく解放されている中途半端な街にも
こういうものは産まれないし、
かつてあったとしても既に受け継がれなくなって
「伝統」という名の下に形骸化している。
精肉店のある元嶋村の地域にある
どこか懐かしく、そして熱い血の通った「伝統」が
とても羨ましくて、ほろほろ涙が出た。

多くの人に観てほしいし、
観た人と色々長く語り合いたいなって思う映画の一つ。

ある精肉店のはなし
この先も全国各地で上映予定が入っているので、
是非あなたの近くにきたら観てください。