CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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磐代神社に残る小野藩一柳家の残影と広岡家        

2016年04月08日 16時56分09秒 | 神戸市以外の兵庫県
NHKテレビ朝ドラ「あさが来た」は視聴率23%台の高視聴率をキープして
2016年4月2日に終了しました。

2016年4月3日、小野市の好古館を訪問した。好古館では「小野藩の幕末維新」
という企画展が開催中で4月3日が最終日であった。



上の写真は好古館玄関前の企画展の様子と企画展看板

小野藩(一柳家)の歴代藩主は下記のとおりです。(By Wikipedia)
初代 直家(なおいえ)〔従五位下、美作守〕 伊予国西条藩の一柳直盛の次男
2代 直次(なおつぐ)〔従五位下、土佐守〕遺領相続により1万石
3代 末礼(すえひろ)〔従五位下、土佐守 御側衆〕
4代 末昆(すえひで)〔従五位下、土佐守 駿河加番〕
5代 末栄(すえなが)〔従五位下、土佐守 駿河加番〕
6代 末英(すえふさ)〔従五位下、土佐守 駿河加番〕
7代 末昭(すえあきら)〔従五位下、対馬守〕
8代 末周(すえちか)〔従五位下、土佐守 駿河加番〕
9代 末延(すえのぶ)〔従五位下、土佐守 駿河加番〕
10代 末彦(すえよし)〔従五位下、土佐守〕
11代 末徳(すえのり)〔従五位下、対馬守〕

小野藩のほとんどの藩主は江戸の祥雲寺が墓所/渋谷広尾 
小野藩一柳家菩提寺の光明寺(9代末延公、10代末彦公の藩主のみ)


上記好古館の前に一柳家の鎮守社「磐代神社」がありここに残る小野藩一柳家の
残影と広岡家というテーマでブログ記事を書いて行きます。






上の3枚の写真は小野市立好古館の学芸員が説明書きを用意されたものです。



上の写真は「磐代神社」の遠景と現地説明板です。
「当神社は、小野一柳家の氏神として、陣屋の構築にともない建社されたものである。
旧社殿は昭和40年の台風により倒壊し、現社殿は、昭和41年に再建された。
祭神は、一柳家の祖・伊予国の名族河野家の氏神でもあった大山祗神である。
5代藩主末栄は、宝暦年間(1751~63)に、一柳家の基礎を築いた一柳直末
(磐代明神)とその子松千代(真栄霊神)を祖神として合祀している。
祭日である3月29日は、羽柴秀吉の家臣として活躍した直末が、伊豆山中城合戦で
戦死した日にあたり、旧藩時代には、藩主自ら祭祀を司り、直末の武功に
あやかるべく、軍神として尊崇し、軍士出陣のときは、必ず参拝して武運長久
を祈願したと伝えられている。」



上の写真は11代一柳末徳(九鬼家より一柳家に入る)の三女で建築家及び近江兄弟社
(メンソレータムで有名)の経営者ウィリアム・メレル・ヴォーリズの妻となった
一柳満喜子が奉納の灯籠


上の写真は小野藩史跡碑の遠景
題字は11代一柳末徳の次男で広岡信五郎と広岡浅子の一人娘「亀子」の夫
となった広岡恵三の揮毫である。


上の写真は碑の拡大図です。

広岡家と一柳家との関係を理解するために系図と略年譜を添付しておきます。

 (1)連続テレビ小説「あさが来た」関係系図

 (2)一柳末徳・広岡恵三・満喜子関係略年譜


上の写真は芳名録で筆頭者で500円を寄付した一柳末幸(一柳末徳の三男剛の息子)
一柳満喜子(300円寄付)などの名前を確認できました。




上の写真は小野陣屋の面影が残る好古館周辺の風景です。桜が綺麗。




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