チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

シチェドリン来日(1962)

2014-05-09 21:03:33 | 来日した作曲家

1962年1月24日、ロシア(ソ連)の作曲家ロディオン・シチェドリン(1932-)が来日し、記者会見しました。以下、シチェドリンが語った内容の抜粋です。



1.ソヴィエトの作曲家の課題は?

 私がここに来る数日前、作曲家の大会が開かれたが、そこでショスタコーヴィチ氏は「音楽文化というもの、あるいは音楽の知識、音楽の遺産というものがすべての人々の手に入らなければならない」と報告した。作曲家の重要な課題は、文盲という言葉があるがそれと同じ意味で音楽盲をなくすということ、詳しく言えば、すべてのソ連の人々が音楽について中等以上の教育を受ける。音楽を知り、音楽を愛し-これはなにも職業音楽家としてではなくて-そして自らの音楽的感情を発展させることができるようにするのが私たちの課題です。私たち作曲家の役目は、新しい音楽の結合とか構成ではなく、音楽文化のすべての世界的な遺産を、国民すべての手に届くものにするということです。

2.日本の民謡について

 日本へ来る前、私のオペラにアルトゥール・エイゼン(1927-2008)氏が重要な役で歌っていました。それで舞台の合間に、私がこちらへ来るというので日本の歌を歌ってくれた。それまでにも「漁夫の歌」(ソーラン節)をエイゼン氏が歌っていて、それを聴き日本の民謡の音楽的価値が非常に高いのではないかと思っていた。日本国民は民謡の富をたくさんもっている。日本の作曲家は、この豊富な民謡をどのように利用しているか、私は作曲家として、非常に興味をもっている。私の滞在中に是非知りたいテーマの一つだ。

3.大変ピアノがお上手だそうだが。

 私は自分のピアノ協奏曲で独奏部を弾いて録音した。今度の訪日でも、自分のシンフォニーとピアノ協奏曲のパート譜を持ってきた。今ここにピアノがあれば、早速この機会を利用してみなさんに聴いていただきたいくらいです。〈シチェドリン氏のピアノ協奏曲は、その後、氏の独奏、森正指揮・東響の演奏でTBSから放送された。〉

4.日本の作曲家の作品を聴かれたか。

 いくつか聴いた。まだ日本語の名前がピンとこないので、聴いたものの全部を正確にいうことができないのは残念だが。。芥川也寸志氏の交響曲「エローラ」、間宮芳生氏のヴァイオリン協奏曲、これは聴いたというより読んだ。それから清瀬保二氏のピアノ協奏曲、これはテープで聴きました。ワルシャワの現代音楽祭では黛敏郎氏の「まんだら」を聴いている。

5.ソヴィエトの若い世代の有能な作曲家を二、三あげていただきたい。

 アルメニアのアルノ・ババジャニアン(1921-1983)が優れたピアニストであると同時に作曲家である。最近ヴァイオリンとピアノのためのソナタを発表した。オイストラフやコーガンも彼の作品を演奏することになるでしょう。
 グルジアのスルハン・ツィンツァーゼ(1925-1992)。「デーモン」というバレエを書いた。レールモントフの小説「悪魔」をテーマにしています。
 それから、たぶん皆さんご存じだと思うが、アルフレッド・シュニトケ(1934-1998)。【記事原文では「シュニーツキー」となっていて誰かと思った。】オラトリオ「長崎」を書きました。内容は「ナガサキ」が示しているように、日本国民が経験した原爆の悲劇を書いた。

6.こういう若い作曲家たちに共通した傾向は?

 現在の音楽的語法への傾き、あるいは憧憬というものがみられる。
 第一に私が申し上げたいのは、今日のテーマ、現代的な思考に関心が向いている。
 第二の問題として、作曲家の関心、あるいは感動を、どういう方法で表現するかということ。私の意見では、ハーモニーの面では、ほとんど今までの音楽で尽くされていると考える。十二音の音階の和音とかスクリャービンの微分音、あるいはストラヴィンスキーがやったような複調音楽、それに四音音階、五音音階など。私個人の考えでは、音楽の可能性はリズムと旋律法にあると思う。現在では、ハーモニーを探すことは、アスファルトの上でキノコを探すようなものだ



(以上、「音楽の友」昭和37年3月号より)


シチェドリンが掲げた3人の作曲家はみなシチェドリンより先に逝ってしまいました。

それとシチェドリンはハーモニーは1962年時点で既に出尽くしたと考えていたんですね。一方、リズムと旋律法には開拓の余地があると。確かに例えば「古いロシアのサーカスの音楽」などを聴いてみると、リズムが強烈で楽しいです!