チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ブリテン来日時(1956)の演奏曲目とシラけまくった会合

2014-08-04 23:19:57 | 来日した作曲家

ベンジャミン・ブリテン(Benjamin Britten, 1913-1976)はテノール歌手ピーター・ピアーズ(Peter Pears, 1910-1986)と共に1956年(昭和31年)に初めて日本を訪れました。
                              
と言っても、ブリテンらは演奏旅行に来たのではなく、東洋各地(シンガポールからジャワ方面)の観光旅行の途中に日本に立ち寄ったに過ぎません。

NHKがこの機会に二人を日本に招き、ラジオ、テレビに出演してもらうことになったらしいのです。一般の公開演奏はなかったそうです。

1956年2月8日(水)の夜に二人は羽田空港に到着し、それから20日あまり滞在したようです。

その時、NHKが放送した日時と曲目をまとめておきます。

2月9日(木)午後7時30分~8時←日本に着いた翌日!(ラジオ第一放送とテレビの同時放送)
【ピアーズのテノール独唱、ブリテンのピアノ】
・ブリテンの「ミケランジェロの7つのソネット」
・ブリテン編曲によるパーセルの作品2曲と民謡3曲
・シューベルトの歌曲(放送されなかった)



2月18日(土)午後8時~9時(テレビ)、19日(日)午後9時~10時(ラジオ第二放送)
【ピアーズのテノール独唱、ブリテン指揮NHK交響楽団】
・シンフォニア・ダ・レクイエム
・イリュミナシオン
・青少年のための管弦楽入門(ナレーションはピアーズ)
(19日は18日の「公開録音」の放送。客が入っていたのか?)

↑ 「フィルハーモニー」1956年3月号より




ところでちょっと前もここで紹介しましたが、ブリテン+ピアーズを日本の若い作曲家が招いて会合を開いたそうです(場所、日付は不明)。それがとんでもなくシラけて、シーンとなってしまったらしいのです。

「誰もが黙ってしまう気まずい時間が、そこにはあった。ブリトゥン氏は、そっと、殆んど空になった自分の紅茶茶碗をとり上げて、そうした閉された世界から、自分だけでも態よく逃れようとした。しかし、更に気まずいことに、その手の下で、茶匙が、音をたててしまった。包みかくせなく救われた表情が、まわりの人々の顔に現れた。小心なブリトゥン氏は、少しどもりながら云った。『残念ですけど、もう時間がないのではないかと思いますが......。』
こうして、もともと形式的な集まりにすぎなかった、ブリトゥン氏と少数の日本人との会合は、予定通りあっけなく終った。」

。。。結構空気凍りついていますね!でもそんな中でもブリテンは若干発言しています。


1.ブリテンは自分が初めて聴いた日本の古い宮廷音楽、雅楽についての驚きを語った。また、民謡が、外から与えられたものでなく、作曲家自体の中から生まれたもののようになっていない作品は嫌いである、と語った。

2.メノッティへの攻撃。「メノッティの『領事』。あれは確かに現代を題材にしている。そして、あれを見ると我々は感動する。自分が、その領事館にいるように。しかしそれは、例えば新聞記事を見て心を動かしているようなものであって、決して、メノッティの音楽に、メノッティに感動しているのではない。私は、かねがね考えている。芸術というものは、現実から一段階常に離れているべきものである...One stage away from reality.芸術家というものは、決してジャーナリストであってはいけないと思います。」

。。。正直、あんまり面白くないけどブリテンさん良いこと言ってるじゃないですか。なんでシーンとなってしまったんでしょう??

とにかく、この滞在中にブリテンが観た能『隅田川』の感銘がやがて『カーリュー・リヴァー』を生み出したことは特筆すべきですね。

参考資料
『音楽之友』昭和31年4月号「ブリトゥンの来日と彼の作品」三浦淳史、同5月号「ベンジャミン・ブリトゥン素描-M氏の独白-」後藤和彦、『音楽芸術』昭和31年4月号