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年末恒例『第九』のルーツ?

2014-10-16 22:38:58 | 第九らぶ

我が国において12月の第九演奏はプロ、アマチュアともシャレにならない回数になってますよね。

年末演奏は主に日本だけの現象だと聞いたことがありますが、いったいいつ頃からこんなことになっちゃったんでしょうか?



佐野之彦著『N響80年全記録』(文藝春秋)の44ページには
「戦雲たちこめる折も折、ローゼンストック指揮によるベートーヴェンの『交響曲第九番』が放送されたのは、1940年12月31日午後10時30分のことだった。今や年末の恒例となって久しい『第九』は、このとき発祥したのである」とあります。へー、そうなんだ!

他方、『第九 歓喜のカンタービレ』(ネット武蔵野)の「新交響楽団~日本交響楽団(現・NHK交響楽団)《第9》演奏史」によると、確かに1940年12月31日にスタジオにおいてローゼンストック指揮、ソプラノ・関種子、アルト・四家文子、テノール・木下保、バリトン・徳山たまき(王へんに連)、そして日本放送合唱団により演奏され、ラジオで放送されています。

しかしながら、同表によると、それ以前に、現N響によって12月中に演奏された年が4年あります。

1.1928年(昭和3年)12月18日(火)、19日(水) 東京・日本青年館、近衛秀麿指揮、ソプラノ・M.ネトケ・レーヴェ、アルト・N.ダンネール、テノール・P.ブキャナン、バリトン・A.レヒナー、合唱・東京高等音楽学院

2.1935年(昭和10年)12月23日(月) 東京・銀座交詢社講堂、山本直忠指揮、ソプラノ・長門美保、アルト・熊澤菟葵子 、テノール・永田弦二郎、バリトン・横田孝、合唱・ルナ・オリオンコール

3.1937年(昭和12年)12月1日(水) 東京・日比谷公会堂、山田耕筰指揮、ソプラノ・武岡鶴代、アルト・西内静 、テノール・木川靖、バリトン・谷田部勁吉、合唱・東京高等音楽学院、東京高等音楽学院同調会

4. 1938年(昭和13年)12月26日(月)、27日(火) 東京・歌舞伎座、ローゼンストック指揮、ソプラノ・関種子、アルト・四家文子 、テノール・木下保、バリトン・谷田部勁吉、合唱・東京高等音楽学院、玉川学園


このうち、2については皇太子殿下のお誕生日のお祝いでしかも第4楽章のみであり、3についても第4楽章のみ(谷田部勁吉による日本語歌唱)、そして1についてはおそらく全曲演奏だと思われるけど、その後、現N響では7年間も12月中には演奏されていません。

よって、4の、1938年の歌舞伎座での第九演奏を、12月26日、27日という年末も押し迫った日での演奏ということもあり、独断で、現在につながる第九年末演奏のルーツとして認めます!(何様?)。現・N響以外によって演奏されていないとすればですけど。

Joseph Rosenstock, 1895-1985 (写真・音楽之友 昭和26年8月号)

 

↑ 「フィルハーモニー」1956年3月号より。

ちなみに、この『第九 歓喜のカンタービレ』の228ページには、本場ドイツでは「第1次世界大戦が終結して帝政から新国家に変わった1918年の大晦日に、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団がニキシュの指揮で、深夜の年越し《第9》コンサートを行ない評判になって以来、それに倣うものがかなりあったらしい」とあります。これが国外におけるルーツなんでしょうね。