チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

楽員の観た歴代のN響指揮者~チェリスト・大村卯七(1954)【その3】

2014-10-23 17:49:00 | メモ

大村卯七さんのN響指揮者についてのお話しの最後はワインガルトナー、マルティノン、カラヤン、そして尾高尚忠氏の思い出です。

【フェリックス・ワインガルトナー(Felix Weingartner, 1863-1942) 1937年来日】

今度は、客演指揮者の中、有名な三名を紹介することにしましょう。つい最近まで、世界中で神様みたいな指揮者は、二人いたと思います。ワインガルトナー先生とトスカニーニ先生です。二人とも不世出の、正に神人指揮者です。最近の若い洋楽ファンの方々のためには、この中、ワインガルトナー先生の方が大分前に世を去っているのでトスカニーニ先生よりも、どっちかと言えばおちめで、おなじみじゃないかも知れません。でも、こんな大神様みたいな偉い指揮者が、はるばる日本くんだりまで御降臨になったんですから、当時のひょうばんは大変なにぎわいでした。奥様も一緒でしたが、恰度ビゼーの歌劇「カルメン」と同名――或いは「カルメン」みたいにきれいだったからでしょうか?――のカルメンといわれる大変にお若く美しい、つまり絶世の美人と言い得る奥様でした。でも、カルメンみたいなあばずれ女の妖艶な美しさとは比較出来ない、つまりルネッサンス時代の宗教画家達がモティーフとして好んで画いている聖母マドンナみたいな、きりりっとしまった清純な感じの美人でした。

やがて、光栄にも、聖女カルメンさんの指揮で、ウィンナ・ワルツや、シューベルトの「未完成」などを演奏することが出来ました。曲も上々、うっとりしながら演奏しましたよ、むろんのことです。そうです。カルメンさんの初練習の時でした。それも、始まってから十分も経っていない、最初の最初です。ワインガルトナー先生来日、第一回目のお手合わせが、なんと!カルメン先生という絶好の幸運にめぐり合った訳です。むろん、張り切りましたとも

ところがです、側でみていた大神様が、女神様に注意して曰く。「そら、あの第一クラリネットは、あんなに大変に神経質な人ですから、貴女は、彼の顔をみないように、棒をふったほうがよいでしょう」。僕達の張り切り方もわかるというものでしょうが、大神様の鋭い神経と、巾の広い人格には、全然、おどろきました。神様たるゆえんでしょうが。



↑ カルメン・シュトゥーダー(Carmen Studer、1907年生まれ)


↑ ワインガルトナー夫妻1937年。『NHK交響楽団五十年史』より


【ジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910-1976)】

来日劈頭、ベルリオーズの「幻想交響曲」で、皆さんを熱狂のるつぼへ追い込んだ、ジャン・マルティノン先生は、つまり、フランス・エスプリの化身みたいな人でした。

先生の「サヨウナラ演奏会」、ベートーヴェンの第九交響曲演奏会でした。連続三日間、最後の演奏を終って、楽屋で僕達が着換えておりますと、姿をみせたマルティノン先生が、何か真剣な表情で、僕達メンバーに何事かを言い乍ら、ふかぶかおじぎをしています。さて、皆さん、一体なんていってたのか、ご想像がつきますか?「さっきは、大変失礼しました。第二楽章のスケルツォの中で、ベートーヴェンは確かに、三小節の休止を求めていました。それを二小節しか棒をふらなかったんですが、僕の頭が大変に馬鹿だからです。ごめいわくをかけました。ごめんなさい」。これが騎士道というのものです。

むろん、どんなにえらい芸術家でも、人間である以上、こんな間違いぐらいはあるでしょう。でも世の中のありふれた?指揮者達は、大概、オーケストラ・メンバーのせいになすりつけ、出来るだけ自分のミスをかくしたいのが本能というものでしょう。先生が、僕達仲間から、ひといちばいの人気を集めてたのも、こんな極く簡単な理由からですよ。僕達は、親愛を心にこめて、先生の再来を祈っているわけです。


↑ ヴェス外遊中に1953年10月8日に初来日したマルティノン。写真は10月13日、14日・日比谷公会堂でのN響定期。(音楽芸術昭和28年12月号より)

 


【ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908-1989)1954年初来日】

第九の話をもう一つ。「世界の指揮者」――カラヤンの来日を讃える宣伝文句から頂戴しました。――ヘルベルト・フォン・カラヤン先生の告別演奏会も、やっぱりベートーヴェンの第九番交響曲でした。送別演奏会と、第九番交響曲とは、一寸、浅からぬ因縁があるみたいです。一度、世の博識の人にお尋ねしてみましょう。いかがでしょうか?

四月から五月のまる一ヶ月、くたくたに油をしぼられどうしの僕達は、最後のお別れ演奏会でベートーヴェンの九番なら、殆んどは、かたのにもつがおりたというもの、「おい!楽にいこうぜ!」ぐらいの気持でした。つまり、古参者の僕達は、過去と現在の間――多分この曲を百回くらいは、楽にてがけてますからです。ところが、どっこい。思ってた程、そうやすやすとおっこちないのが世のならい。練習が始ったとたんに、けちょん、です。本番(演奏会のこと)にいたっては、そのはげしいこと、そのものすごいこと、そのすさまじいこと、もうものなんぞいえるすきまがありません。つまり「本物」が、自分の魂の中で、本当にやしなった実力と、「本物」の健康な肉体の若さとは、とうてい想像なんぞ出来っこない程おそろしいものですぞ。

実力とは、抵抗の余地なぞ残さずに、人間がくったくたになる程、ひっぱり廻す魔力みたいなものだと思います。それでいて、人間が精神的な悦楽に恍惚となれるような魔力です。カラヤン先生の第九は正にこの魔力の撥発的な美しさ、とも言えるような気がします。心に悔いることなしに、精力の心地よい消耗を経験することが出来ましたのも、生涯に唯一度かも知れません。心の洗濯。むろん僕達には、精一杯の、むしろ背のびもした演奏でした。先生の天性が要求する技術には、とうていこたえるすべのないことを、実感として。


【尾高 尚忠(おたか ひさただ、1911-1951)】

最後に、尾高尚忠君の霊に。生前の話です。僕と尾高君は、喧嘩友達という、珍しい親友の間柄でした。例えば、「尾高君。君は偉大なとうしろ(素人)コンダクターだ。だから、あと十年、外国で勉強して来いよ。今度こそ、偉大な玄人コンダクターになれるんだが。」その尾高君が、今ではもう天国にいるという。天国では、ちと遠すぎて喧嘩も出来ない。おさみしいことです。尾高君は、いい腕前の棒振りでした。天国行きの直前にラザール・レヴィと協演した、シューマンのピアノ・コンツェルトが、まだ僕の耳の奥で響いています。生涯消えることのない、尾高君のプロフィールとも言えましょう。

 

。。。こんな歴史に残る指揮者たちのもとで演奏した大村さんらも既に歴史上の人物ですね!