チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

メンゲルベルクの悲愴~SPレコードの豪華な解説書(1938年)

2016-01-06 23:18:53 | メモ

東京・神田神保町のボーっとした感じの古本屋で、有名なメンゲルベルクの悲愴(1937年録音)のSPレコード解説書を200円でゲットしました。もちろんレコードなしのブックレットだけの値段ですけど、それにしても安すぎませんか?復刻版か何かと思ったんですが、間違いなく本物です。そもそもこんなもんに興味を示す人間がいないのか?

↑ レコード番号23681-23685(5枚組)

 



これを見てみてまず驚いたのは、一曲のレコードの解説書にしてはやたら親切な内容だということです(62ページ!)。いまの時代と違って、有名な演奏家のレコードが発売されるのってきっとiPhoneの新型が発表される並の一大イベントだったんですね。

それと、執筆者が10人も。

↑ あらえびす氏以外の9人


冒頭のあらえびすさんの記述はチャイコフスキーの生涯から悲愴交響曲の作曲経緯まで26ページにわたっており、読み応えがあります。



以下、各執筆者ごとに一番印象的だった部分を書き抜きました。

あらえびす(野村胡堂、1882-1963)
「我々よりも不幸な人は此処にあったのだ、チャイコフスキーはそれを教へてくれる。大芸術で表現された、悲哀の極致に比べれば、我々の悩み悲みは、あまりにも小さく、あまりにも醜い。」



太田太郎
「(メンゲルベルクは)トスカニーニ、フルトヴェングラーと共に現代の有する指揮者中の三大偉人の一人である。しかし、彼はそれらの中で最幸福なんだといふのは、トスカニーニは今自己専属の管弦楽団をもってゐない。彼が主に指導してゐるNBC管弦楽団は生長の途上にある。フルトヴェングラーの率ゆる伯林フイルハーモニーは今楽団員の質に於てつぶ揃ひとは云へない。」



牛山充(1884-1963)
「これは決して自殺などと云ふ弱い人間の単なる敗北の歌ではなく、チャイコフスキーのやうに複雑で且つ深酷な精神生活を送った芸術家に避けられない人生観の率直な表現である。」



柿沼太郎
「聞くところによると、メンゲルベルクはチャイコフスキーの実弟モデストから、作曲者直筆の書入れのあるスコーアを贈られ、秘蔵しているさうで、今度のレコードはこの書入れをもとに、チャイコフスキーの意図をそのままに演奏、録音したと云うことです。」



青木謙幸(1901-1998)
「何故にこの交響曲がかく人気を有してゐるのであらうか。その理由の一つはロシヤ文学が我々日本人に理解され易かったと同様にこの音楽の本質のロシヤ的なものが、何か強く我々を引着け、共感を与へる為めではなからうか。」



堀内敬三(1897-1983)
「『悲愴』と云う曲は誰にでも好かれてゐる。交響楽演奏会のシーズンに此の曲は大抵含まれるのであり、ラヂオにもレコードにも此の曲は最も多く聴かれるものの一つで、これは通俗化されてゐる点では交響曲中でも一二を争ふ位であらう。」



有坂愛彦(1905-1986)
「録音の効果は、優秀なドイツ・テレフンケンの、又更に最近のものであるから、実に鮮明で、精緻を極めてゐる。例へばテイムパニーの細かい表情に到るまで、くっきりと浮き出て聞えるし、第三楽章の行進曲調になった部分の、絃楽に於ける強いピヂカートの響きなどは、その演奏も、もとより素晴らしいが、実に又生々しく、まのあたり見てゐるやうな感じがする程に、よく録音されてゐる。」



門馬直衛(1897-1961)
「私は此の『悲愴』のレコードを数回試聴して何か一つ位は弱点を見出さうとしたが、それは私には出来なかった。」



山根銀二(1906-1982)
「一つ一つの音符はメンゲルベルクの呼吸の儘に長くも短くも、或は強くも弱くも響くのだ。これで全体の統一を失はず、纏った感銘を、しかも強烈無比な感銘を確保するとは、驚くべき技術である。」



藤田不二(1900-?)
「この曲を書いてゐました時チャイコフスキーの心境は、モーツァルトが『リクエム』を作った時と同様のやう考へられてなりません。(中略)チャイコフスキーが生存してゐましたら、このレコードを聴き『これが「悲愴」の真姿で、完全無欠』と叫んだ事でありませう。」



 

ところでゲボウゲブーとかいろいろな表記がされていますが、「ヘボウ」に統一されたのはいつごろのことなんでしょうか?