ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.8.21 ヨーガスートラ講座第2章5日目、夜はオンラインナイトヨガ初参加

2021-08-21 23:09:43 | ヨガ
 
 今日はオンラインヨーガ・スートラ講座第2章5回目の受講日だ。
 4月から始まったこのクラスも折り返し、残すところあと3回、11月までの日程である。来月からはこのクラス終了後に若干のインターバルを挟み、キールタンの講座が始まるとの周知があり、迷わず申し込んだ。こちらは12月までの4回集中である。瞑想ヨーガのクラスで今は専らハレルヤ一曲しか唄う時間が取れないが、レパートリーは是非増やしておきたい。

 余裕を持って開始前にスタンバイしたのだけれど、何故かうまく繋がらずにまたしてもドタバタして、ギリギリになってしまった。既に参加者の皆さんがPCの画面に揃っている。ご挨拶の後は出席確認。

 前回学んだ2-18のおさらいからスタート。全てのものは私たちに楽しみを与え、解放するために、本当の自分とは何だったかを思い出すためにある。観られるものは移り変わり、5大元素に対応している、という教えだ。
 今日瞑想タイムではこの5大元素に対応するエネルギースポット(チャクラ)の存在を教えて頂きながら純粋な自分に戻っていく試み。

 チャクラは7つあるが、背骨の一番下、お尻の辺りが“地”、おへその指3本下の背骨の辺りが”水“、おへその奥の背骨の辺りが”火“、胸の奥の背骨の辺りが”風“、喉の奥の背骨の辺りが”空“に各々対応している。おでこの奥の辺りが6番目、頭から手のひら一つ分くらいのてっぺんが7番目のチャクラである。
 まずはॐ(オーム)の音を3回、続いてパタンジャリを讃えるシュローカを唱えてから、チャクラを意識しながらの瞑想である。風が身体の上から下まで流れ、自分の境界が大きく広がっていく瞑想はとても心地よく、すっきりした。

 今日は前回の続き2章2-23からスタート。
 2-23 3つのグナ(性質:心のグナの3つの性質<サットヴァ:心地よさ・楽しみ、ラジャス:欲望・執着、タマス:恐れ・不安>)があなたに影響を与えることでその性質と自分の本質を同一視してしまう。
 ここで食べ物にも3つのグナ(純性、動性、暗性)があり、私たちの活動に影響を与えることについて説明がある。
 2-24 それは無知によるものである。(2-4無知はあらゆる苦しみの根本的な原因である。)
 2-25 無知がなくなれば同一視も起こらず、苦しみを繰り返す環はなくなる。そのとき、カイヴァリヤ(完全な存在)となる。
 無知がないと、混乱することなく、ただ観察する存在となり、世界が混乱していてもそれに巻き込まれることなく前に進んでいくことが出来る。
 2-26 ヴィヴェーカ(識別力:智慧を使い、物事を見分け識別する能力)が無知を取り除く方法である。
 2-27 7つの段階を経て、最終段階の智慧(カイヴァリア)に至る。 
 ヨーガスートラの編纂者パタンジャリによっても7つの段階の細かい説明はなく、解釈が分かれるという。Sさんの師であるシュリシュリ先生は人の頭を忙しくする、心を騒がせる情報は省かれるようだ。おまけの情報で7段階の詳細な説明があったが、確かにかなり難しい印象を受けた。
 2-28 ヴィヴェーカ(識別力)を育てる方法として八支則の実践がある。不純物が取り除かれ、識別力が増し、内なる智慧がますます輝きだす。
 2-29 八支則はヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラナ、ディヤーナ、サマーディという8つであるが、1つ1つ順番に進めるのではなく、全てを同時に進める。ヨーガは1つを始めるとこの8本足が同時に動き始める。
 2-30 ヤマは5つの誓い(非暴力、真実、盗まないこと、禁欲、ため込まないこと)である。禁じる、戒める、禁戒とするものが多い。
 2-31 ヤマは最も大切な約束事で、全世界のどの身分、どの信念の人もやりましょうという人として大切な教えである。

 ここで今日の学びは終了し、質問タイムとなる。
 いつものことながら、質問には色々な学びや気づきがある。
 今日はシュリシュリ先生が7つの段階についての説明を省いたのはなぜ?という質問があった。ヨーガは心を止める、鎮めることが最終目標であるから、心を騒がせるような学術的な情報は楽しいけれど、思考が働く切っ掛けにもなるので、匙加減が難しいのではとのこと。
 パンチャコーシャ(私たちは5つの鞘で出来ている)の考え方との比較などにも話が及んだ。学びは尽きることがない。

 これで今日のクラスは終了。皆でॐ(オーム)を1回唱えてお開きとなった。
 Sさんからは、来月からこのクラスの後にキールタンのクラスがスタートするので、これまでのようにクラス後の時間が少ししか取れなくなるが、ネットで用意している掲示板等を利用してという説明があった。
 来月からは午前中一杯が学びの時間になる。治療が3週に1度から4週に1度になったことで、治療直後の週末にクラスがバッティングすることが減り、とても嬉しい。体調不良の時に気持ちを奮い立たせて学ぶのはやはりしんどかった。

 夕食後はオンラインのナイトヨガに参加した。職場の福利厚生関連のイベントなのだが、初めて申し込んだところ、ラッキーにも当選した。以前は集合形式のリアルイベントだったようだけれど、こうしてオンラインでの実施であればどこでもワープ、とても参加しやすい。

 オリエンテーションが5分、クラスは1時間、その後質問タイムとアンケート回答が10分というスケジュールだったけれど、丁度良い運動量。最後のシャヴァーサナではすっかりリラックスして眠くなった。色々なインストラクターのクラスに参加するのは実に勉強になるのは毎回思うところだ。明日はASHAREさん主催の瞑想ヨーガのクラスである。参考にしたいと思う動きもあった。
 ということで朝から夜までヨーガの学びと実践の2本立て。幸せな土曜日であった。
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2021.8.19 ちょっぴり贅沢な夏休みの過ごし方

2021-08-19 21:40:04 | 日記

 8月も残すところ10日余り。昨年同様、夏休みのお楽しみだった海外旅行は叶わなくなってしまったし、国内も飛行機に乗っていくような長距離の旅行からはすっかりご無沙汰している。まあ、休みだからどこかへ行く、という発想は余りに貧困かもしれないということで、今回は地味にリフレッシュする夏休みの過ごし方である。

 夫も休務日であり、平日に二人で在宅という日。来年からはこういう日が増えるのだなあと思うとちょっと複雑ではある。
 少し寝坊をして、BSで朝の連続テレビ小説を見てのろのろ起きる。いいお天気だ。昨日はあまりに久しぶりに晴れの予報だったので、予約洗濯をして出勤前に目一杯ベランダに洗濯物を干して出かけた。
 ところが、午前中急に真っ暗になり、しっかり雨に降られて気が気ではなかった。がっかり。不安定なお天気に洗濯物を濡らしてしまった人は多かったのではないか。

 朝食を済ませた後は、夫と2人で家中の窓拭き。このところの長雨で汚れが気になっていた。先日、片付けものをしていたら、亡き義母がこちらに長逗留している頃、暇つぶしだったのか、古くなったタオルで沢山の雑巾を手縫いで作ってくれていたものが箱一杯発掘された。夫が捨てようと言うので、とんでもない、もったいない、と掃除をすることにあいなった。
 カーテンも一緒に洗濯出来れば良かったのだけれど、とりあえず外も内と2人で2回ずつしっかり拭いたら結構疲れたけれど、とても明るくなった。

 すっきりした気分でヨガスタジオへ向かった。日差しが強い。平日の午前中のクラスに出るのは、今の私にはとても贅沢な時間の使い方だけれど、これも来年の4月からは日常になるのだろう。初めましてのJ先生のビューティヨガのクラスは、13人という少人数でのびのび。
 デコルテ周りや首筋などを沢山マッサージして、たっぷり汗をかいてリフレッシュ。シャワーでさっぱりして帰宅したのに、帰路の坂道でまた汗をかいた。
 帰宅後はウエアに加えて寝具類も合わせて洗濯機を回した。簡単ランチを摂って優雅に読書タイムである。

 今日は初めましての寺地はるなさんの「架空の犬と嘘をつく猫」(中公文庫)を読んだ。
 帯には“「世界に、役に立つものしか存在せんやったらあんたどうする?」各メディアで大絶賛の感動作 待望の文庫化!”(この待望の文庫化、というのはあまりにワンパターンな惹句で、もうちょっとなんとかならないかと毎度思うのではあるが)とあり、手に取ったのはもう数ヶ月前のこと。すっかり積ん読になっていた。病院に行くペースも落ちているし、体調が悪いと休みの日もソファと一体化するだけでなかなか読書も捗らない。今年も読めた本はまだ50冊にも満たず、と振るわない。

 読み始めて独特の雰囲気に引きつけられた。始まりは1988年。5年ごとに進み、最終章は2018年と実に30年に渡る家族の再生の物語である。裏表紙には「空想の世界に生きる母、愛人の元に逃げる父、その全てに反発する姉、そして思いつきで動く祖父と比較的まともな祖母。そんな家の長男として生まれた山吹は、幼い頃から皆に合わせて成長してきた。だけど大人になり彼らの〈嘘〉がほどかれたとき、本当の姿が見えてきてー?これは破綻した嘘をつき続けた家族の、とある素敵な物語!」とある。読み終わってなんだかほっとしたというか、救われた。

 解説は彩瀬まるさんが書いておられるが、「この小説は嘘をつく人を安易に許さないし、攻めることもしない。ただ、居る、と訴える。彼らは居て、居続けて、けっして他者の都合では動かずに、いつか人生を終える。」
「普通の、嘘をつく、正しくない自分とどう付き合って生きていくか。正しくない他者とどう共存していくか。本書は静かに問い続ける。」「理解出来なくとも、ほどかずにそばにいたこと。正しくなくとも生きることをやめなかったこと。ほころびや途切れも含めて、そうしてできあがった羽猫家の嘘のない歴史が、ただただ、いとしい。」
 40歳にも満たずに、こんな物語を書き上げた寺地さんにただただ、唸った私である。

 というわけで、夏の昼下がり、贅沢な時間を過ごせた1日であった。
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2021.8.18 エンハーツ18クール目、さらに減量14回目投与後2週間目のこと 同感・・・

2021-08-18 20:15:17 | 日記

 全国でコロナ感染爆発が止まらない。緊急事態宣言が7府県にも拡大適用し、既に宣言下でもある都県と合わせて13都府県に。期間は9月12日まで延長されることになった。
 それでも24日からのパラリンピックは無観客ではあるが、実施だそうだ。
 この事態で開催するのだから無観客は当然だと思う。けれど、この状況でもなお、開催するしか選択肢はないのかなぁ、と首をかしげざるを得ない。オリンピック開催時よりも状況は悪化している。パラリンピックを軽視するというわけではなく、選手の中には感染したら重症化する基礎疾患等を持つ人も少なくないのではないかと案じている。

 毎日新聞の愛読しているコラムを読んだ。私もコラムで紹介されているドラマを視たのだけれど、あぁ、本当にそうなのだ、と膝を打った。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

正論を踏み外す=大治朋子(毎日新聞 2021/8/17 東京朝刊)<火論:ka-ron>

 先週末にNHKで放映された終戦ドラマ「しかたなかったと言うてはいかんのです」を見た。
 太平洋戦争末期に起きた米兵への生体解剖。解剖を行った当時の九州帝国大医学部助教授、鳥巣太郎医師がモデルで、そのめい、熊野以素氏の著書「九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実」が原案だ。
 1945年5月に米軍爆撃機が熊本、大分県境に墜落し、捕らえられた米兵8人が解剖手術で殺された。どの程度失血すれば死ぬのか、血液のかわりに塩水は使えるか。そんなことが目的だった。
 鳥巣氏は解剖計画を知らなかった。教授の命を受けて参加しその実態に気づいた。2回目の解剖で「不法不当」を訴えたが聞き入れられず、以後は参加を拒否した。
 48年の横浜裁判で軍や大学関係者計23人が有罪判決を受けた。鳥巣氏は当初、絞首刑とされたが妻の尽力で命令への抵抗などが立証され懲役10年に減刑された。
 その裁判で、ある医学博士が「私がその立場なら参加しない、医学は治すもので殺すことではない、軍の命令でも従わない」と語っている。ノンフィクション作家の上坂冬子氏の著書「生体解剖」(毎日新聞社)によると、鳥巣氏はその言葉を重く受け止め上坂氏にこう語ったという。
 「厳しくともあれが正論です。人間は正論を踏み外してはいかんのです」
 だが上坂氏は疑問を抱く。「組織の一角に拍車がかかって個人をひねりつぶして驀進(ばくしん)するような事態はいつの時代にもあり得ることだが、そんなとき個人はどんな方法で対処せよというのであろう」
 そして思わず「ああするよりほかに仕方なかったのではないか」と問い直すと、鳥巣氏は遮るように言ったそうだ。
 「それをいうてはいかんのです」
 「どんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです」
 権力の暴走から命を守れなかったことへの悔恨。鳥巣氏の言葉は、新型コロナウイルス禍の我々に問いかける。正論を踏み外してはいないか、と。
 東京五輪開催に為政者らがばく進し、批判した医師らの声はひねりつぶされた。費やされたカネと選手の汗に「仕方がない」のムードが高まった。「命こそ宝」の正論は踏み外され、その結果は予想通りの感染拡大と医療危機。程度の差こそあれ、そこに連帯責任を感じる市民もいる。
 五輪の負のレガシー(遺産)があるとすれば、その一つは正論を踏み外したことへの後ろめたさかもしれない。(専門記者)

(転載終了)※   ※   ※

 五輪のレガシーがあるとすれば、正論を踏み外したことへの後ろめたさ・・・。なんということだろう。

 誰もがおかしいと思っている方向へ、なぜ突き進むのだろう。
 中止するのは簡単だと言い放ちつつ、57年前のノスタルジーに浸って強硬開催の決断をするなんて、あまりにナンセンスだ。
 そもそも嘘で塗り固めた文言で、わざわざ東京の一極集中を加速するようなオリンピックを招致してきたのは、当時のあの高揚をもう一度、というもはや老害とも言える為政者に他ならない。

 これは76年前、かの敗戦に突き進んでいった戦時中と同じ状況だ、と言う人の声も何度も耳にする。まさしく国民の命がなおざりにされている中で、私たち大人は未来を担う子どもたちに今の状況をなんと説明したらよいのだろう。現政権を直接支持はしないけれど代わりを担う人たちがいないから、という状況にまた臍を噛む。
 こうして取り返すことの出来ない2021年の夏が終わっていくとしたら、あまりに悲しすぎる。

 政治についてはこのブログでは書かないと決めているのだけれど、60年生きてきて、今ほど強く選挙に行かなければと思ったことはない。
 若い人たちにはどうか諦めずに、是非とも投票に足を運んでほしいと思う。私たちが汗水たらして働いて納めている税金が、こういう使われ方をしていることには絶対におかしいのだと、為政者に伝えるのはタックスペイヤーとしての務めなのではないかと思う。
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2021.8.16 エンハーツ18クール目、さらに減量14回目投与後12日目のこと 葉月折り返し

2021-08-16 22:06:37 | 日記
 
 夫は休務日、私は通常出勤の週明け、月曜日である。
 早くも8月後半。子どもたちはあと2週間余りで新学期が始まるけれど、コロナ禍2回目の夏休み、どんな毎日を送っているのだろう。夏休みの旅行等、特別な体験が2年続けて思い通りにいかないのは切ないことだ。
 これだけ降っているのにまだ雨が続くというし、毎年のように全国で豪雨の被害が出ているのを見聞きするにつけ、コロナ禍も相まって心が沈む。

 昨日は雨降りの中、レインコートと長靴の重装備でWさんサロンにマッサージに出かけた。3週間ぶりだったけれど、この間のオリンピックやらコロナやらの話題であれこれお喋りをしながらまたウトウト。治療後10日以上身体をろくに動かしていなかったので、びっくりするほど凝りが酷かった。

 前夜、高校時代のZoom同窓会(介護というテーマでは参加者それぞれ語りたいことがあり、話題提供者のAちゃんのお話が終わってからも2時間近く続き、次回パネルディスカッションをすることも確認されてお開きになった。)で、なんとなく頭が興奮状態になり、寝不足だったと言うと、「帰ったらお家でお昼寝してくださいね。」とぐっすりブレンドのハーブティを出してくださった。年内までの予約を確認してサロンを後にした。
 その後、夫と待ち合わせてランチを摂り、買い物をして帰宅した。

 寝不足後のマッサージだったせいか、まだ本調子でなかったのかぐったり疲れてしまった。帰路はまだ雨も止んでいなかったし、それなりに荷物もあったのでタクシーの列に並んだけれど、20分も来なかった。
 諦めて列から離れる人が殆どだったけれど、せっかく並んだのだから、と離脱出来ず。本当に間が悪いと、こういうことになる。諦めて歩いていれば先に帰宅出来ていた(駅から自宅まで15分あれば到着する)と思うと、トホホであった。

 ショルダーバッグを肩にかけて歩いている時は全く重さが気にならなかったのだけれど、いざ立ったままの同じ姿勢でひたすら待つ20分を過ごしたら、せっかくマッサージで解してもらったのに、またとんでもなく肩が痛み出した。さらには腰痛まで。
 夫は傘を差して荷物を持って歩くのが嫌で、何分待ってもタクシーに乗りたかったようだ。それなら別に無理に一緒に乗って帰らずに、彼をそのまま置いて、荷物を任せて一人身軽に歩き出せばよかった・・・と後悔することしきり。

 そもそも夫は、不思議なくらい待つことが苦にならない人だ。反対に、私はとにかく待つこと、並ぶことが苦手だ。だから、スーパーのレジに並ぶのも好きではない。いや、はっきり嫌いだ。
 最寄り駅前の大きなスーパーでは、店内が空いているな~と思うと、レジの数をぎゅっと絞ってしまうので、結局いつも並ばないといけない。さらに5個以下のようにお買い上げ品数でレジを分けることをしていないので、たとえ1品か2品買うだけでも籠一杯買う人と同じ列で延々待たないといけない。とても非合理的だ。

 我が家では、私が重いものを持てなくなって以来、殆ど全ての食料品等を生協の宅配に頼ってきたけれど、コロナ禍以降、雑貨類等もこちらに移行しつつあるので、これまで以上にスーパーやドラッグストアに行かなくなった。

 けれど、夫は、こと食品は手に取って自分の目で見て買いたい人だし、レジに並んで待つことが苦にならないので、なかなか気が合わない。
 思うにコロナ感染が始まった頃は、皆戦々恐々としてレジ前でのソーシャルディスタンスをしっかり守っていたけれど、最近では平気でぶつかってきたり、狭い通路でもぴったりくっついてすり抜けていく人が多くなったと感じている。コロナ慣れなのだと思う。なので、私はますますそういう所に行きたくないわけである。

 というわけで、夫にお任せしてスーパーに行ってもらうと、なんだか1,2品だけ買い足しに行った筈なのに、やけに沢山の買い物になって帰ってくる。小さかった息子が、知らないうちにレジ前で籠にお菓子を放り込んでいたような感じである。

 というわけで今日も一日雨の月曜日。仕事を終えた後、お盆スケジュール最後のレッスンT先生の美脚コンディショニングというクラスに出てから帰宅した。
 いつもより始まりが30分早かったせいか、参加者は少な目で20人いなかった。以前通っていたスタジオの美脚ヨガも好きだったけれど、今日もマッサージから始まってゆったりと足を動かして最後は内腿を鍛える感じ。★2つだけれどT先生のクラスならなんとかついていける。
 まあ、夫が夕食当番を引き受けてくれるからこそ仕事の後ヨガクラスに直行できるわけで、有難いことである。
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2021.8.13-14 エンハーツ18クール目、さらに減量14回目投与後9-10日目のこと、頭痛が酷くてネットも不調

2021-08-14 18:48:11 | 日記
 金曜日。在宅勤務。
 一日雨降りという。あの猛暑はどこへ行ったのかと思うほど、とんでもなく涼しい。秋が一足飛びにやってきたようだ。湿度が高い中、マスクをしないで家にいて仕事が出来る有難さ、である。気圧のせいか、頭痛である。ようやく吐き気が去り、倦怠感はいまひとつというタイミングでなかなか辛い。

 前夜は退勤後、休務日だった夫と待ち合わせて駅前の廻るお寿司で夕食を済ませた。それなりに混んでいる。夏休みだし、このご時世、遠出できなければせめて近場で外食でも、ということだろう。ここはほぼ個室状態のテーブルなので気兼ねなく重宝している。
 感染者は日々最多を更新している。全国で2万人超えという。
 
 先日来、自宅のネット環境がとても不安定であるとブログでも書いた。繋がったり繋がらなかったり。昨夜は夫が一念発起してクローゼットを動かし、電話端子からのケーブルもモデムも新しいものに取り換えた。モデムからのLANケーブルも新しくし、接続方法をいろいろ試したそうだけれど、結局改善されず。とうとう今日は朝から全く繋がらなくなった。

 夫はプロバイダ-会社にスマホで連絡しているが全然埒が明かず。とにかく、PCメールが使えないので、どこに連絡するにしても、スマホか電話、或いはFAXでという不便極まりない事態だ。
 職場へのメール連絡もPCが使えないので、スマホから。チマチマと打つのは痺れた手ではとても面倒である。
 午前中呼び鈴が鳴って、自分でぽちっと注文したものが届く。昼はパパッとレンチンで済ませる。

 夫が仕事帰りに美容院カットを予約していた。いつもはそういう日程の時、夕食は不要なのだけれど、昨日勢いで外食をしてしまったため、生協ミールキットを使わねばまずい。そのため、「美容院の帰りは食事を摂らずにまっすぐ帰ってきて」と言ってあった。
 前回、確かライナーを降り過ごして美容院から確認の電話があったけれど、今回は無事、到着した模様。美容院を出る時に連絡が来たので、そこから食事の支度。本当なら掃除も済ませたかったのだけれど、とにかく頭が痛くて割れそうで、とてもそんな元気がない。階下に新聞を取りに出て、夕食を作るだけで精一杯だった。ロキソニンを飲んでもあまり改善しない。
 食後のお茶もせずにソファでウトウト。夫からどやされて入浴し、そのままコロリと眠りについた。

 土曜日。今日も朝から雨降りだ。中国、九州地方の水害が心配である。
 土曜仕様の目覚ましが鳴り、朝の連続テレビ小説のおさらいを視る。
 まだダメなのよね、とスマホを試したら昨日まで全くダメだったWi-Fiが繋がるではないか。訊けば夫が早起きして、電話線の口を和室からリビングに替えて配線し直したら安定して繋がることになった模様。結局、プロバイダー会社からは何の連絡がなく、自力で復旧させたということだけれど、こういうことが出来る人がいないご家庭だと本当に困るだろうな、としみじみ。どれだけ日々ネットに頼って生活していたのか、ここ数日の不便さで実感した。

 溜まっていた洗濯を済ませ、夕方ほぼ半月ぶりにヨガスタジオに向かった。元気になっていたら夫が観たいというアクション映画に行きたかったのだけれど、上映スケジュールを見ると朝と夕方の2回しかやっていない。この頭痛では無理、と諦めた。
 12日ぶりにT先生のビギナーヨガのクラスに参加。お盆とはいえ25,6名ほどの参加者。ラッキーにも定位置には両隣りがいなくてのびのび。今日も寝ポーズから座りポーズへとゆったり進むクラスは副作用等で痛んだ身体の回復期にはちょうど良い運動量。さすがにあちこち凝り固まっていたけれど、大分血行が良くなって気持ちよく汗をかいた。

 シャワーを浴びてさっぱりした後は、お盆の仏花を買い求めて帰宅した。往復とも傘は手放せなかったけれどやはり行って良かった。明日は5のつく日で休館日なのだ。

 ということで、なんとか復活し、楽しいことも出来るようになった土曜日。掃除は残っているけれど、まあ無理せずマイペースで過ごせる土曜日の夜である。
 この後、隔週開催の高校時代のZoom同窓会にも参加予定である。今日のスピーカーはAちゃん。長く介護をしてきた経験からの総括という。皆が興味深いテーマである。本当にネットが回復してくれて良かった。
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