ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




皆様、ありがとうございました!おかげさまで、TAKUROさんソロツアー2本目、無事に終了致しました。

無事どころか、凄く進化しておりまして、

素晴らしい演奏でございました。
 
集合写真、右から、ドラムスのTOSHI NAGAIさん、ゲストサックスプレイヤーの宮里陽太さん(なんと、僕も教鞭を取らせて頂いております、洗足音大のジャズコースの卒業生でございました)、ギターのTAKUROさん、ピアノの味噌煮込みうでん男、サポートベース&ギターのヒロくん、ゲストボーカリスト&MCのTOKIさん
 
 
 
そして個人的には、このグランド「YAMAHA No.20」。なんと、戦前のモデルなのです。
 
特徴的な「ダルマ脚」。
 
 
そして、同じNo.20でも、戦後モデルでは見られなくなってしまった、この鍵盤蓋にあるくぼみ。
ダルマ脚もそうですが、ピアノが、当時「高級家具」としての役割も担っていたことが分かります。
今ではなかなか見られない、美しい造形です。

戦争を生き抜き、いろいろな出来事に耐えて、2016年2月29日、とても良い音で歌ってくれました。嬉しいです。ありがとう。
 


いいお酒が頂けます。。

ではー。


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久しぶりとなりますが、我が永遠の師匠であります、厚見(玲衣)さんのプレイを拝見しに行ってまいりました。

やっぱりね、もう、凄いです。

 

やはり、一本筋が通って・・・いや、筋っていってもですね、

直径数センチの鉄筋・・・どころじゃなくて、

なんといいますか、

直径30センチ、長さにして100mくらいののダイヤモンド製の筋、が通ってます。

厚見さんのプレイには。

 

まったくもって、僕が憧れた中学生の時に見たプレイのままでございます。

勿論、テクニカルなことは、いつだって追いつける気がしないぐらい、どんどん進化されているのは疑いようはないのですが、

そうではなくて、気持ちが、です。

25年前に聞いた、厚見さんご本人のお言葉を借りるならば、「情念」です。

 

気持ちがこもってる、レベルじゃないんです。

情念が・・・メラメラメラメラと身体の中で燃えている、そんな印象を受けるのです。

勿論、今日も。

 

ああいったレベルと密度の高い、火傷しそうなほどの情念を、何十年も持ち続け、そして、ああしてステージで放ち続けるというのは、やはり、凄まじいことだと思います。

 

いつだって、1000度です。

1000度のダイヤモンドの炎ですよ。

 

いやはや、客席の一番後ろで拝見しておりましたが、・・・火照るように熱かったです。

 

会場にございましたフライヤー、最後の一枚を、頂いてしまいました(すみません・・・)。

 

 

競演のミュージシャンの皆さんも素晴らしかったです。

そして、本日のイベントの主役でもあり、僕のオフィシャルサイトの文章の7割ほどをも寄稿下さっているエージ・ファーナーさん。

明日29日が、・・・”13歳”のお誕生日なのですね。おめでとうございます。

(4年に一度しか、誕生日がこないそうですので・・・(笑))

 

 いやあ、エネルギー、充填させて頂きましたよ

 

明日の名古屋、そして明々後日の京都と、TAKUROさんツアー本番がございます。

めちゃめちゃ、・・・めらめら、楽しみです。

会場でお会いできます皆様、何卒、どうぞよろしくお願い致します!

 

ではー。



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大好きな、六花(りっか)そばの三色うでん。

お肉、ゲソ天、ワカメの三種類の具が絶妙で、三食食べても飽きない、という。

僕は、生玉子をお願いして、頂きます。

 

もっとも、ここではお蕎麦を頂くのが本道なのかもしれませんが、

僕はどうしても、ねえ。

 

嬉しいのは、お蕎麦、うでん、大盛りが無料なこと。

 

あとね、ここは立ち食いそばの一番の”重要ポイント”をしっかり守っている(と思っているのです)。

 

立ち食いそばはね、

 

アツアツじゃ、いけないのです。

 

出てきて、すぐに食べられないようでは、電車、行っちゃいますからね。

って、この六花そばさんは、駅のそばじゃないのですが。

でも、立ち食い、なのですから「急いでお腹を満たしたい」、というのは同じでしょう。

 

といって、「ぬるい」のは美味しくございません。

 

僕は、もともとが、アツアツ、あるいは、キンキン、が大好き。

冷たいものは、キンキンが好きです。

お水も、氷がたっぷり入っていないと、寂しいのです。

一方、熱いものは熱く、ちょっとでも油断したらヤケドするくらいの、煮えたぎるようなのが好きなのです。

 

が、こちらでは、

いつも、思うのです。

 

「立ち食いそばってのは、ちょうど、このくらいが良いんだろうなあ」

 

と。

最初から、一気に啜れるのに、決して、ぬるいわけではない。

いつも、感心しながら、頂くのです。

 

絶妙、とはこのことかもしれません。

親父さんも、いい感じなのです。

 

これまた、ちょうど、いい感じ、なのです。

 

うでんもですが、人も、そういう人って、いいですよね

 

ではー。



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どうも、昨日書いたような設定関係は

「いいや、明日にしよう」

というのがなかなかできない性分のようでして、

なら、忙しいときはやらなければ(iPhoneなんて買わなければ)いいのに、

そういうものなのですよね。

 

やってしまおう、と、気付けば終わったのは3時過ぎ。

それから自分の事をやって、・・・寝たのは、すっかり朝でございました。

 

でも、お陰様で、iPhoneに関しましては、今日からは、もう自分のもの。

と、言いたいのですが、画面が少し大きくなったせいで、

なれた間隔(の感覚)が通用せず、

メールの返信も、打ち間違いばかり

 

まだ、しばらくはダメですねえ。

 

なんでも、まもなく3月には次のiPhoneがでるという話があるそうで、

大きさも、一つ前の小さいサイズに戻るとか(こちら)。

 

まじかー(小さい方が好きなので・・・)

 

 

 

ではー。



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2011年10月15日だったと思うのですが、今で言いますガラケーから、

半ば、やむを得ずという感じで、iPhoneにしたのは、安全地帯さんのツアー中、四国の高松でのOFF日のことでした。

今でも、高松のauショップから、定期的に、セールなどのお知らせメールが届きますので、忘れないのです。うでんの味と共に(笑)。

 

実は、あの時、大阪でのことですが、使っていた携帯と落として、紛失してしまったのです。

思い出しても、あまり笑えない出来事だったのですが((笑)今は、ね)、紛失に気付いたのは、すでに東京へ向かう新幹線の中でございました。

その3日後でしたが、高松のオフ日に、どうせ買うならと、その時、まだ発売されたばかりのiPhone4Sにしたのでした。

うでんを食べながら、安全メンバーの皆さんに自慢をしたのを覚えています。

 

一度、ホームボタンが効かなくなる、という故障で機種変更をしたのですが、結局、4年半、このiPhoneを使ってまいりました。

その後、ほどなくして5が出て、一昨年でしたか、6が出て、充電ケーブルの形状も変わってしまって、

もう最近では、

「え?まだそんなに古いの使ってるんですか」

などと言われることもしばしばでございました。

 

でも、全然不自由を感じていなかったので、替える気がまったくなかったのですが、先日のこと。

 

どうしても、の事情で、OSを最新のものにアップデートしたのです。

そうしましたら。

 

物凄く、動作が遅く、また、ぎくしゃくするようになってしまいました。

古い身体には、最新のOSは、荷が重すぎたのです。

それまで、元気に動いていたのに、実に、可哀想なことをしてしまいました。

 

いよいよ、ここしばらくは、ホームボタンを押しても、画面すら切り替わらないようになってまいりまして、

一本電話を掛けるにも、「・・・」と、しばらく待たないとならないような状態で、

勿論、メールに返信をしようにも、キーボードが表示されるまで、「・・・」という感じ。

 

それでも動いているのですから、大して問題でもないのですが、

ただ、

「これは、そのうち、固まるのでは」

という恐怖の方が、首をもたげてきたのでした。

 

そしてそれは、たいてい

「今かい!」

というタイミングで来るものだということも、さすがにこのト〇になりますと、経験則で、分かってきております。

 

ということで、本日、機種変更を致しました。

 

・・・が、

こういうコンピューター関係のことは、一筋縄ではいきません。

 

「これこれ、こうすれば、簡単ですよ。」

「手間はかかりません」

「すぐです」

というような、説明のようには進まないのが、お決まりです。

 

古い機種から、一度パソコンを介して、バックアップを取る必要があります。

そして、新しい機種に、そのデータや情報を復元しなくてはなりません。

簡単なはずなのです。

原理的には「ボタンを二回押せば、済む」はずなのです。

 

はい、しかし。

いちいち

 

「原因不明のエラーが発生しました」

「容量が足りません」

「拒否されました」

「バージョンが古すぎます」

「アップデートしてください」

「アップデートに失敗しました」

 

って、・・・なんやねん(笑)。

ということで、当然、ボタンを100回以上押しておりますが、

まだまだ、作業は続いております。

 

詳しく書くのも疲れますので(笑)、このあたりにいたしますが、

機種変更、新規購入の際には、くれぐれも、御覚悟をば。

できれば、詳しい人か、サポートは、必須だと思いますよ。

 

(まあ、だからこそ、最初の数十日、アップルサポートという、技術サポートサービスが無料で付いてくるのですよね。)

 

明日には、もう解放されてるといいなあ

 

ではー。



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「また、イカを食べてしまった。」

・・・

五右衛門の・・・「また、つまらぬ物を斬ってしまった」の節でね。節、合わないですが(笑)。

べつに、イカんこともないけれど・・・、でも、美味しいんだなあ。

イカの天ぷら、イカフライがあるのに、他のものにする、という選択肢が無いのです。

 

全然話は変わりますが

オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~」(リンク先は予告編です)

という映画を観ました。

 

予告編で聞ける言葉と、あとは冒頭で聞ける、わずか1分ほどの独白のセリフ以外、

一切、セリフが無く、登場人物も、ロバートレッドフォード演じる主人公、たった一人だけ。

 

海に取り残され、船は沈み、ボートでの漂流。

このようなプロットの映画は今までもありましたが、ここまで静かな映画は初めてでした。

 

そりゃそうです。

海の真ん中で、たった一人で、ぶつくさ言ったって、泣き言や恨み言を言ったって、仕方がないのです。

 

まるで、一人暮らしで、

 

疲れた日。

 

やっとの思いで買い物をして、

 

買ってきた玉子を、

 

冷蔵庫の玉子棚に入れようとパックを開けて、

 

 

そのまま、冷蔵庫の手前でパックごとひっくり返してしまい、

 

 

床でほとんどの玉子が割れた時のようなものです。

 

 

「・・・

 

 

言葉を発しても、どうしようもない。

 

 

そんな状況が続く、

 

 

(ごめんなさい!そんなレベルの話ではないのです)

 

 

大変に、大変に厳しい映画でした。

 

息詰まる、とはまさにこのこと。

こんなに極限的に心細く、そもそも、恐ろしい状況に陥ったら、一体、人はどうなるのでしょう。

自分は、何ができるのでしょう。

 

ロバートレッドフォードといえば、出演作ではなくて、監督作品になりますが、

リバー・ランズ・スルー・イット」(リンク先は予告編です)

が、大好きで、4~5回は観ました。

男性のほうが、感情移入できるタイプの映画かもしれませんが、・・・よろしかったら、是非です。

 

ではー。



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依然として、イカが好きであります。

イカは美味しいですくコ:彡。

 

時に、「依然として」の依然とは、「もとのままである様」「前のとおりである様」ということでわかりやすいのですが、

同じく「いぜん」の変換ででてまいります「已然」というのは、ちょっと難しいのです。

皆さま、この「已然」、どのようなものか、お分かりになりますでしょうか。

 

元々、「已然形」という言葉の「活用の形」があったのですが、これについて、今から、イカに、説明文を載せたいと思います。

・・・最後まで、集中力を切らさずにお読みになることができたら、そして同時に、理解をされた方は、

たぶん、学生時代の国語の偏差値は65を超えているのではないでしょうか

 

Q.動詞などの活用形として、「未然」「連用」「終止」「連体」「命令」は現代文でも続いているのに、已然形はありません。なぜ消えてしまったのでしょうか?

 

A.已然形という活用形には、
(1) 接続助詞「ば」、「ど」「ども」を下に伴って、順接・逆接の確定条件を表す。
(2) 完了の助動詞「り」を下に付ける。
(3) 係助詞「こそ」の結びになる。
というはたらきがあります。

しかし江戸時代後期の話し言葉(および話し言葉調の文章)になると、
(1)の意味は、
  行くので、行くと
  行くけれど、行くのに、行くが
などのような形で表すようなります。
(2)の完了の助動詞「り」も、とっくに使われなくなっています。
(3)の係り結びもほとんど行われなくなりました。
というわけで江戸時代には已然形の働き場所がなくなっていったのです。

その一方で、従来「未然形+ば」の形で表現されていた「仮定条件」が、江戸時代後期になると、
  もし明日行けば、
のように、「已然形+ば」の形で表現されることが多くなっていきます。

この用法は、「已然形+ば」の本来の用法の一つだった「順接の恒常条件」から発達したものと考えられています。「順接の恒常条件」というのは、
  ある条件のもとでは、必ず一定の結果があらわれる
というもので、単純な例でいえば、
  風吹けば、葉動く。
のようなものです。
現代語でいうと、
  風が吹くと、(かならず)葉が動く。
ということで、さらに、
  風が吹いたら、(かならず)葉が動く。
と言い換えることも可能です。
「順接の恒常条件」と「仮定条件」とは、けっこう近い関係にあることが納得していただけると思います。

以上の事情で、古典文法で「已然形」と呼ばれる形が、口語文法では「仮定形」と呼ばれるようになったのです。新装開店みたいなものです。

「未然形+ば」の仮定条件が完全に使われなくなったわけではありませんし、また未然形の機能すべてが仮定形に移ったわけでもありませんので誤解のないようお願いします。
さらに江戸時代でも現代でも文語調の文章では、已然形が本来の用法で使われる例もあります。

「あわよくば」については、
奈良時代以来、形容詞や打消しの助動詞「ず」を仮定条件にする際には、
  恋しくは、
  知らずは、
のような形が使われることがありました。「は」の部分はもともと清音です。後に濁音化したのです。
文法的な考え方としては、
  イ、形容詞、「ず」の連用形に、係助詞「は」がついたもの
  ロ、形容詞、「ず」の未然形に、接続助詞の「は」がついたもの
という二つの考え方があります。
かなり厄介な問題ですし、「已然形はなぜ消滅したか」という問題とはまた別の問題ですので、この辺で私の回答を終わりにします。

(以上、教えて!Goo「已然形はなぜ消滅したの?」より転載させて頂きました。)

 

いかがでしょうか、イゼン形が分かるわからない、などというイゼンに、

日本語の文法というものを、ほぼまるで理解していないまま、日本語を使っている自分に驚きます。

こんなですから、イゼンとして、英語の文法もわかるはずもないのであります。

言語は、文法が分かることと、話せることが、イカに別物か、ということでもあるかもしれません。

 

ふう、・・・お茶でも飲みましょう

 

ではー。



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紅茶を良く飲むようになりました

コーヒーも好きなのですが、

なぜ、最近、紅茶になったのか、自分でも考えてみました。

 

おそらく、答えはこちら。

 

同じ手軽さでいれた(準備した)場合、紅茶の方が美味しく感じる。

 

まずは、これではないかと。

 

コーヒーは、家で淹れるにしても、方法がありますよね。

コーヒーメーカーを使うのがいいかもですが、忙しい時や、ちょっと飲みたいだけだし、個別包装のでいいや、となることもしばしば。

よほど時間があれば、エスプレッソポットを使ったりもしますが、そんなのは月に一度もあるかないか、という状態で、

ほとんどは、一杯だけお湯を注ぐタイプのものがメインになってしまっておりました。

でもこれも、ちょっとのお湯で粉を蒸して、それから何回かに分けてお湯を注いで、とワンドリップ式ながら、それなりに手間がかかる。

本当に忙しいときなどは、「じゃあいいか」とあきらめてしまうこともあるわけです。情けない話ですが。

 

で、紅茶の場合は、

まあ、といってもティーバックではありますが、

お湯を注ぐの一発でOK。あとは蓋をして、一分。

その間は他のことをしていればOKで、しかも、味にバラつきがほとんどない。

 

コーヒーは、やはりコーヒーメーカーで、好きな豆を、しかも、それなりの量を淹れたほうがどうしても美味しく思うのですが、

紅茶は、ティーバックでも、ティーポッドで淹れたものとも、そんなに遜色が無いように思うのです。

 

ってか、この冬は、こちらのトワイニングのアールグレイが気に入ってしまって、箱買いしてしまっております(その方がお安いですしね)。

 

ちょっと牛乳を入れるのも、美味しいです。

お砂糖などは入れませんが、それでも、なんだか美味しいお菓子を飲んでいるような気分になって、

時間があるときは、朝からお代わりして、二杯飲んでみたり。

 

で、本当はもう一杯飲みたかったり(笑)。

 

しかしご注意。

寝る前は、カフェインが強いのでしょうね、

この間、調子に乗って就寝前に二杯飲んだら、ばっちり眠れなくなりました

 

ではー。



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ということで、今日は野菜をですね、頂きました。

 

が、お腹が減りますな。

「野菜の方が腹持ちがいい」って、昔、引っ越し屋さんが言ってたのですがねえ。

 

どっちも一緒なのかな、僕の場合

 

でもね、深夜ステーキとかは、さすがに最近はやめてますけどね。

 

あ、でもねでもね。

 

ステーキは夜中に食べても良いんですってね。

 

是非。

 

(またオマエか)

 

ではー。



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牛の舌。

 

・・・

・・・うーむ、考えてみますと、なかなか、アレですね。

 

「大型動物の舌は食材として用いられている。豚・馬・牛(牛タン)・鯨(さえずり)などが知られる。筋肉質なのでこりこりしている。」

Wikipedia「食材としての舌」より

 

筋肉質・・・。

ううむ。

 

身勝手な話であることは自覚しておりますが、

あまりこのような生々しい話を見聞きしますと、牛タンを食べる気に、翳りが出るような

 

でもまあ、明日になれば、忘れて、食欲が勝つ、という、

これまた、身勝手な話でございます

 

えー、牛タンは、よく火をを通して頂いて、

・・・生々しくない方が、よろしいかと。

 

おあとがよろしいようで

 

ではー。



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TAKUROさんソロツアー、仙台初日、

お陰様で大盛況&大成功のうちに、無事に終了いたしました。

 

いやはや、素晴らしく楽しかったです。

今日のピアノは、木目調が美しいスタインウェイでございました。

スタインウェイらしい、懐の広いトーンは、やはりとても魅力的でした。

いいなあ、ほんといつか、欲しいですねえ・・・

 

本日の会場は、オシャレで素敵な、仙台retroBackPageさんでございました。

ぶわっ、も美味しかったー

 

 

リハ後の、少しリラックスした休憩時間に一枚。

右から、ドラムスのTOSHI NAGAIさん、本日のゲストプレイヤー、東京スカパラダイスオーケストラから、バリトンサックスの谷中敦さん(初めてお会いいたしましたが、阿部寛さんかと・・・。超ダンディーでございました)、そして、言わずとしれたギターのTAKUROさんfromGLAY、そしてサポートベース&ギターのヒロくん、そして、ピアノの牛タンでございます。

本日、会場でお会いできました皆様、素敵な時間を、温かい拍手を、どうもありがとうございました。

また是非、お会いできますように。

 

次回のライブは、2月29日、名古屋、そして、一日空けて、3月2日、京都と続きます。

味噌煮込みうでんは、天下一品ラーメンは、食べられるでしょうか

 

ではー。



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N本工学院で、1年生の授業の一環としてゴスペルの授業をやっていたのですが、

結局、キーボードは僕が担当をしておりました。

まあ、気持ちは僕もまだまだ、一年生、ということで(笑)。←笑ってくださいって。

 

こちらの譜面は、このゴスペルの授業で使っていたもののうち、数枚です。

コードも結構に込み入っていて、細かく音符なども書いてあって、

1年生にとっては、なかなか手強い教材だったと思いますが、それでも皆、よく頑張っていましたねえ。

 

僕は毎週、その場で「どれどれ、今日の曲はどれかな」なんて余裕をかましておいて、

演奏が始まると、青くなる、というね(笑)。

でも、とても良いトレーニングになりました。

 

一昨日の最後のライブは、学内の(?)ラジオでも生放送されたようで、評判はどうだったのでしょうか。

18歳に戻った気持ちで((笑)しつこいか)、フレッシュな気持ちで弾いたつもりなのでしたが。

 

さて、明日はいよいと、仙台にて、TAKUROさんのインストツアーGLAY MOBILE Presents”Journey without a map 2016”の初日でございます。

初のソロツアーということだそうですが、こんな素敵なライブもお誘い頂きまして、光栄でございます。

明日も、まったくもって、18歳に戻った気持ちで(しつこいしつこい)、フレッシュにですね、弾き倒したいと思います。

 

実は本ツアーでは、ピアノオンリーで演奏するつもりなのですが、なんと、ほとんどの会場で、グランドピアノが弾けるということになっております。

長年キーボーディストをしておりますが、ツアーで、各地のグランドピアノが弾けるなどとということはめったにございませんので、

いちピアニストとしても、とっても嬉しく、楽しみなツアーとなっております。

会場でお会いできます皆様、何卒、どうぞよろしくお願い致します。

楽しみながら、精一杯、頑張りたいと思います。

 

でもなんといっても、初日ですからね、本当にもぎたてフレッシュなライブになること、間違いなしなのですー

 

勿論、

 

……フレッシュな牛タンも、どうにかして頂いてまいります

 

ではー。



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一瞬、考えました。

これって、盛るの、どうやるんだろう、って。

平たくよそう方が、楽なようにも思えるのに、なぜ、このかたちに。

なんとなく、曲がってるのも、なんでだろう、って。

 

UFOを思い出したりもして。

 

思い出すったって、

 

「昔、よく乗ったなー

 

とかそういうのではないですけどね。

 

家にあった、とかでもないし。

そもそも、見た事も

 

 

……いや、それは、あるように記憶しているのです。

幻か、思い込みか、分かりませんけれども。

あの日、あの時は

 

「見た!UFOを見たぞ!」

 

と本当に思いましたし、

「夢じゃないし。うん、今は、夕方の6時30過ぎだな、よし、忘れないぞ。あそこに、UFO、出現と。」

なんて、あまり舞い上がることも無く、記憶したように覚えています。

 

 

で、

……大盛りのご飯を見た、とかじゃないですよ(笑)。

ともあれ、美味しかったですー

 

ではー。



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このブログを始めて、昨日の2月15日で、丸10年でございました。

約一カ月弱はポツポツ書いていたのですが、2006年の3月中旬からは、

基本、毎日、というスタンスで、どうしてもやむをえない場合以外は、なにかしら書いてまいりました。

 

「長すぎて掲載できません」

 

なんてエラーメッセージが出た事も、一度や二度ではありませんでしたが(笑)、

とにかく、この10年で、いったい何文字書いたのでしょうね。

 

……で、7割くらいは、食べ物のことですかね(笑)。

 

でも、こうして毎日書いているからでしょうか、

どの日の記事であっても、「なんだこれ?」ということはないのですね。

 

全部、「はいはい、これね。書きましたねえ」と、覚えているのですから、

我ながら、大したものです(まだボ〇てはいないようです(笑))。

 

だってね、ほんの先週のことだって、忘れてること沢山あるのに、です。

たとえば、昨年の事だって、

「では一年365日、毎日、何をして、何を考え、何を食べたか?」

なんて、やっぱり、覚えていられませんよね。

 

そういう意味では、(ほぼ)毎日の記録が、断片であったも、こうしてあるというのは、しかも10年分というのは、

・・・だからなんだということでもありますが(笑)、

我が事ながら、面白いなあとも思いますし、

でもやっぱり、「・・・毎日、よく書いたなあ」と思うのが、一番正直なところですけれども(笑)。

 

でもね、ピアノの練習だって同じですが、

毎日やらないとならないものって、あるのですよね。

歯磨きや、ご飯を食べることと、一緒なのです。

それが10年前から、一個、増えただけ、と考えるようになりました。

もはや、完全に、日課になってもいます。さすがに。

 

ただ、時間はね、・・・記事によっては、1時間でも書ききれないものも、沢山ありました。

調べたり、確かめたりしつつで、2~3時間以上かかって書いたものもあります。

このブログに費やした時間を、もし何かほかの事に使っていたら・・・、

 

ギターとか、上手くなっていたかな(笑)。

いやいや、こうして一つのことを継続してこれたからこそ、

他のことも継続できたのだとも思うのです。

これは、やっぱり、この一区切りで、

 

えー、

 

とにかく、

 

「よく書いたなあ

 

というのが、一番の気持ちです(笑)。

 

ちなみに、今日はもう、10年プラス、1日目。

 

……や、やめそこなった。やめるなら昨日だった(笑)。←まあ、半分冗談ですが。

 

ということで、今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

僕から見た、見えた、

あくまでも僕の”人生の一景色”ではございますが、これからも、

お届けしていけたらと思っております。

こんな感じで。

 

……たぶん、まだ、当分、まいにち書いてゆくのだと思います

 

ではー。



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どんなに想像力を働かせても、

目の前に恐竜を、実感を伴ってみることができないのです。

せいぜいが、映画で見た光景を、そのまま、現実におきかえて模写してみるくらい。

 

例えば、海とかもそうですよね。

 

いくら映画やテレビで素晴らしい海の映像を見ても、

実際に本物の海を目の前にした時には、何度目であっても、その時の風や、匂いなども含めて、全く”別物”ですよね。

「現実」は、やはり画面には閉じ込められないもの。

むしろ、・・・ある意味において、文章の方が現実に近いものを感じさせてくれるかもしれません。

バーチャル(仮想現実)は、映像ではなくて、文章かもしれない、と本当に思う節がござます。

 

ちょっと話が飛びますが、本当に怖いものは、ホラー映画よりも、小説の方、ですから。

 

さてさて、恐竜さん。

 

こうして、博物館で沢山の化石を目の前にすると、それが現実であったことは間違いなさそうなのですが、

見れば見るほど、

 

……これが、ねえ。

こんなに大きなのが、ねえ。

ものすごく沢山、ねえ。

地球の上あちこちに

うーむ。

 

そして、その恐竜たちの絶滅。

6550万年前の隕石の衝突、とされています。

そもそも、6550万年前って。

 

現在、2016年の西暦ですら、「西暦1年のときね」とか言われても、過去すぎて、想像もできないというのに。

その約5倍の万の、6550倍昔って。

幾ら、輪廻転生の概念が正しくても、無意識化の遺伝が本当でも、さすがに、もうDNAも微塵も覚えてはいられないのでは、と思います。

 

そして衝突。これまた、まったくもって、リアルを通り越します。

 

「衝突速度は秒速20キロメートル(馴染み深い”時速”に換算すると、72000km/h)。

衝突時のエネルギーは、広島に投下された原子爆弾の約10億倍。

衝撃で立ち上った噴流の温度は10000度に達し、地表面温度は260度となりました。

衝突による地震の規模は、マグネチュード11以上。

海底では地滑りが発生し、高さ300メートルの津波が押し寄せます。」

 

あの広島原爆の10億倍、という数字だけで、くらくらします。

その広島原爆を、実感を伴って感じることすら、何度資料館に足を運んでもまだまだ遠いというのに。

その10億倍なんて。

 

恐竜さんたちは、言葉は話さなかったかもしれませんが、

きっと・・・

「こりゃ、まずい」

とは思ったことでしょう。たぶん。

 

会うことはないかもしれませんが・・・。

 

 

王者ティラノサウルス。

怖いけど、でも、かっこいい。一度は見てみたい。

 

 

でも、最近はちょっと学説が変わってきてるみたいで、

 

なんか、これはちょっと、怖いというよりも、えーっと(笑)。

 

で、さらに学説は変わってまいりまして、最新のティラノサウルスは、こうなってまいりました。

 

うぬー。

 

ようするに、6550万年も前に絶滅したもののことなんて、

専門の学者先生たちでも、本当のところ、

「よくわからないー」

ということなのでしょうね(笑)。

 

でも、ロマンがあります。

 

なぜなら、

 

よくわからないから、

 

なのです

 

今日のリハーサルも、最高に楽しかったです。

でも、本番は、どうなるか、わかりません

・・・でも、そうなんです。こちらもね、音楽もね、

 

わからないから、

 

楽しいのです

 

ではー。



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