8月7日 (火曜日) 薄日も・・
この時期には戦争にまつわるコラムも多い。
漫画で後世に実相を報せてくれるのも良いかな!
私は戦後の生まれだが、物心ついたころの生活は「S23〜24年頃かな・・」
生活は酷かったことを覚えている。
特に脱脂粉乳の粉を貰ってくる小学生から
どうしても分けてもらいたくって泣いてもらった。
サツマイモを生でも食べたり・山芋の零余子「むかご」を皆で獲ってきて
焼いて食べたり・エビガニを茹でて食べたりと兎に角いつもお腹が空いていたのだ。
小学校に上がるころにはもう食料も落ち着いてきたなあ~!
そんな事を思い出しながら新聞記事を読む。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
コラムに・・・
戦争が日常であった時代の生活とはいかなるものか。
昭和はますます遠くなり、その実相を知る世代は少なくなった。
▼そんな折、東京・九段南の昭和館で、
こうの史代さんの人気漫画「この世界の片隅に」を基にした
企画展が開かれているというので訪ねた。
▼ドラマにもなった漫画は、広島・呉を舞台に、
主人公の女性の日常を通して戦中・戦後の庶民の喜びや悲しみなどを描いている。
学芸部長の渡邉一弘さんの案内で会場を巡ると、
非日常である戦争が日常となることはどういうことなのかをあらためて考えさせられた。
▼食料や衣料は配給となり、
鉄の供出でアイロンは熱湯を入れて使う陶製に。
女性はモンペ姿が当たり前。防空頭巾は必需品だった。
だが、それは実相のほんの断片でしかない。
展示しきれない、語り尽くせない苦悩を思わずにはいられない。
渡邉さんは「戦争を学び、できるだけ多くの人に伝える、その一歩になれば」と静かに語った。
▼展示の最後にあったこうのさんの言葉が印象に残る。
「今という時代を生きている我々は、この戦争を経験した人に触れられる、
ほぼ最後の世代の人間に『なろうとしている』」
▼鎮魂の夏。
最後の世代の人間となるべく先人の経験に耳を傾けたい。
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この時期には戦争にまつわるコラムも多い。
漫画で後世に実相を報せてくれるのも良いかな!
私は戦後の生まれだが、物心ついたころの生活は「S23〜24年頃かな・・」
生活は酷かったことを覚えている。
特に脱脂粉乳の粉を貰ってくる小学生から
どうしても分けてもらいたくって泣いてもらった。
サツマイモを生でも食べたり・山芋の零余子「むかご」を皆で獲ってきて
焼いて食べたり・エビガニを茹でて食べたりと兎に角いつもお腹が空いていたのだ。
小学校に上がるころにはもう食料も落ち着いてきたなあ~!
そんな事を思い出しながら新聞記事を読む。
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コラムに・・・
戦争が日常であった時代の生活とはいかなるものか。
昭和はますます遠くなり、その実相を知る世代は少なくなった。
▼そんな折、東京・九段南の昭和館で、
こうの史代さんの人気漫画「この世界の片隅に」を基にした
企画展が開かれているというので訪ねた。
▼ドラマにもなった漫画は、広島・呉を舞台に、
主人公の女性の日常を通して戦中・戦後の庶民の喜びや悲しみなどを描いている。
学芸部長の渡邉一弘さんの案内で会場を巡ると、
非日常である戦争が日常となることはどういうことなのかをあらためて考えさせられた。
▼食料や衣料は配給となり、
鉄の供出でアイロンは熱湯を入れて使う陶製に。
女性はモンペ姿が当たり前。防空頭巾は必需品だった。
だが、それは実相のほんの断片でしかない。
展示しきれない、語り尽くせない苦悩を思わずにはいられない。
渡邉さんは「戦争を学び、できるだけ多くの人に伝える、その一歩になれば」と静かに語った。
▼展示の最後にあったこうのさんの言葉が印象に残る。
「今という時代を生きている我々は、この戦争を経験した人に触れられる、
ほぼ最後の世代の人間に『なろうとしている』」
▼鎮魂の夏。
最後の世代の人間となるべく先人の経験に耳を傾けたい。
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