中さん

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日記(8.11)朝の散歩 コラム「慎みの日」

2018-08-11 08:38:09 | 日常
8月11日 (土曜日)   晴れ

昨晩は、この地区にようやく雷雨であった。
幾分は涼しくなると思ったが・・・
朝の光は強い!

息子が朝のジョギングに出て行った。

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昨日も今日も遠く山の輪郭が見える。


今朝も朝の陽ざしが強い。・・予想最高気温が33度と言っている。
でも、涼しく思えるから不思議だ。
お寺さんもお盆の準備で提灯が飾られた。

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植えなおした一本ネギもうまい具合に雨を貰った。

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デイリー東北のコラム・・天鐘(8月10日)

 日本人として忘れてはいけない「四つの日」があるという。
●6日の広島原爆忌に
●9日の長崎原爆忌、
●15日の終戦の日と
 8月に集中する三つは即答できても残る一つが難しい。
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答えは2カ月遡って6月23日の沖縄戦終結の日だ。


▼天皇が皇太子だった昭和56年8月の記者会見で、
 四つを「慎みの日」として戦没者を慰霊し続けていると述べられた。
 広島十数万人、長崎7万4千人、第二次世界大戦では邦人だけで310万人が亡くなった。

▼広島と長崎の原爆忌に挟まれた8日、
 沖縄の翁長雄志知事(67)が膵臓がんで急逝した。
 普天間飛行場返還の見返りに辺野古へ移設を進める政府と真っ向から対立してきた。

▼原点は米軍による普天間の強制接収だ。
 「沖縄をないがしろにするな」と叫び、反対派の先頭に立ってきた。
 「自由と人権、民主主義の価値観を保証できない国」を批判、
  政府との溝は決定的に深まっていた。

▼ぶれない翁長氏の姿勢には、
 73年前に本土決戦を覚悟した日本が沖縄を時間稼ぎの〝捨て石〟に使った
 過酷な歴史への払拭しがたい不信が常に横たわっていた。
 その叫び抜きに沖縄を語るのは余りに無神経である。
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▼3カ月に及んだ沖縄戦は6月23日に終結。
 爆弾272万発、機関銃弾3千万発の〝鉄の暴風〟に晒(さら)され19万人が死亡。
 12年前に訪れた辺野古は青い海原が広がる楽園だったが、
 ついに本物の捨て石が投入されようとしている。
コメント
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