サンフランシスコ、ラズベガス、グランドキャニオンに旅をしていた生徒さんが帰ってきました。
お土産のチョコレートのケースは紅葉しています。だいぶ寒かったようです。
グランドキャニオンの絵葉書。美しいです。
異国の香り。旅に出てリフレッシュされたのか、スッキリとした表情をされているように見えました。
レッスンは、「練習をする時間がなかった。」と言っておられましたが、音がまっすぐ太くなっていました。
旅行に行って、何歩も歩いたから身体が鍛えられて呼吸が深くなっているのかもしれません。
身体が出来ると音は良くなります。このままキープして欲しいなぁ。
午後は山手の実家でレッスン。
5年生のKさん。今月から来ています。
頭部管を持って、音を出すお稽古。
だいぶ音が出るようになってきたので、本体をくっつけて練習です。
小柄なのでフルートを持つのが難しそうですが、吹いてみると、なかなか太くていい音がしています。前回出なかった中音のGやAの音が出るようになっていました。
練習がんばってくれたんですね。うれしいです。
明日は運動会。得点係をするそうです。かけっこではなく、係りをするのが楽しみだそうです。
夜は父と2人、夕食を食べて、自主練しながら母を待ち、11時前に帰ってきました。
みんな頑張っています。私もがんばらなくちゃ。
今日はいろいろあって、言葉がどうしてもまとまりません。
書き始めては消し、半分書いては消し。
言えるのは安心がなくなったこと。そして、諦めないこと。
ネルソン・マンデラの言葉を代わりに投稿します。
生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。
我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、
我々の存在は、同時に他の人々をも解放することができるのである
生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。
遺恨の念は、毒を飲んでおきながら、それが敵を殺してくれると期待するようなものだ。
我々は自分に問いかける。
自分ごときが賢く、優雅で美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?
だが、そうあってはなぜいけない?
私は民主的で自由な社会の実現のために生きている。
しかし、もし必要あらば、その理想のために私は死ぬことを覚悟している。
刑務所に入らずして、その国家を真に理解することはできない。
国家は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで
判断されるべきだ。
人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、
また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、
不可能なのです。
今日は、ピアノのTさんと、コンサートの打上げです。
近くの和会席「兆」
ランチ 兆コース 先付けはトマトのゼリーとかつおのたたき
バジルとクコの実が乗っています。このスープがおいしかった。ほうれん草のおひたしもスープのおかげでおいしかった。
化学調味料は一切使わず、水は湧水を使っておられるそうです。
「かつおのたたきは塩で召し上がってください。」と言われ「へーっ!」と思いましたが、炭の香りが香ばしく、その香りを活かして食べるには塩だけで食べるのが一番だと納得のお味でした。
パプリカとししとう、お茄子、ピーナッツ豆腐のあげもの。
酒粕のグラタン、ぎんなんと鶏が出てきました。少し甘めですが、酒粕のおかげか、味に深みのあるグラタンソースでした。
きのこの土瓶蒸しの中味は、おすまし三ツ葉、白玉、まいたけ、しいたけ、えのき、すだちを絞ってからいただきます。やはりここはおだしが、おいしい。
このお膳が兆らしいしつらえ。
月見団子に見立てたものは、さといものピーナツペースト、アボカドの巻き寿司醤油のジュレかけ、とうもろこしの芯はポテトサラダ。小茄子かと思った紫はうずら卵、ピーナッツのゆでたもの
ごはんは、席分ずつ石のお釜で炊いてくれます。お米は契約農家から竹皮を使用したお米を仕入れているそう。どこに使っているのか?わかりませんが、お米もおいしかった。お吸い物の具はお茄子。
デザートはメープルのプリン。アイス抹茶でいただきました。
久しぶりに、おいしいものを頂いて、Tさんとおしゃべりもたっぷり。
「よし!次もがんばるぞ~!」
今朝4時頃、メイが亡くなりました。
妹がフェイスブックに様子を投稿してくれたので、朝起きてスマホを見て知りました。
妹と、妹の次女が見守り、長女はボストンからスカイプで、見守ったそうです。
次女が生まれた時に買って来て、16年。
かわいくて優しい犬でした。
撫でられたり、抱かれたり、上に乗られたりしても、されるがままで、ほとんど吠えたこともありませんでした。
水が欲しかったら、ドアの前に座って「わん!」と一声だけ鳴いて、待っていました。
夕食を食べていると、欲しがってウロウロしていましたが、「あげられないよ。」と言うと、意味がわかったのか、ちゃんとおとなしくなって座って待っていました。
妹が手配して、枚方動物霊園でお葬式をしてもらいました。牧野から次男と駆けつけると、
心臓疾患で、弁が小さくなって、血液が肺に逆流して、最後は呼吸困難になったそうですが、生きている時のように見えました。でも、触ると冷たかった。
お花を柩に入れて、ご焼香して、お別れして。
煙突から上がる煙を見て、骨を拾って骨壷に入れました。
姪たちは小さなストラップにメイの骨をひとかけずつ入れていました。
次男は妹に頼んで小さなしっぽの骨をもらっていました。
うちではアレルギーのせいで犬が買えなかったので、代わりにメイをかわいがっていました。
合同葬の墓石の中に、残りの骨を全て入れて、お水とお線香を上げて祈りました。
「お葬式って、初めて。」と次男。
こういう小さな生き物は、私たちにいろんなことを教えてくれます。
餌をあげたり、散歩に連れて行ったり、お世話して、愛するとはどういうことか。
しつけたり、育む方法。
それから死。別れ。どうにもならないこと。
ありがとうメイ。長いあいだ、妹の家族と一緒にいてくれて。
私たちに、たくさんの愛をくれて。
葬儀が終わって母が言いました。
「きっと、メイは この中の誰よりもいいところに行くわ。」
本当にそう思います。
土用の丑の日の先取りで、うちでは今日丑の日。
長男がうなぎをおごってくれました。コンビニですが・・・。
母が冷奴のみょうが、ネギ添え、うちで採れた採れたてきゅうりとわかめの酢のもの、うなぎの肝吸いを合わせてくれました。
父も「たいしたもんやなぁ!」と大喜び。
父は認知症以外は血液検査の結果も、全部基準値内。100まで生きそう。
「悪いのは、頭だけや!」とお気に入りのギャグを言いながら、うなぎを食しました。
食後は、「お留守番して、もう寝ててね。」と父を置いて、母を近所の天然温泉に連れて行き、しっかりつかって、身も心もさっぱり!幸せです。
今日日中は、26日のチャリテイーコンサートの、最後の練習。Tさん宅。
モーツアルトはやっぱり難しいです。音程、音程、音程!
音の長さ、切り方、余韻の残し方もいろいろ考えます。
オペラの歌なので、スタカートと書いてあっても、撥弦のピチカートのようなスタカートではありません。一つずつ、丁寧に余韻を残して切る。長さも少し長めに、と言ってスタカートなので長すぎてもいけません。場面によってどう切るのかを、考え、考えすすめました。
いろいろ困難なこともありますが、一つ一つ乗り越え、少しづつ良くなってきているように感じます。
どんな経験も、Tさんと二人で協力して乗り越えようと努力すること。それが、大切。
音楽は、音楽に過ぎないけれど、一つの曲を演奏しながら、私とTさんの間には、言葉や、楽譜をちゃんと追う以上に、行き交うものがあります。音で会話し、交流する。
それが、音楽を通して出て行く…。そんな風になれば、聞いている人もたのしいはず。
後3日、本番が楽しみです。
昨夜は、松井山手の実家で父を見ていたら、京橋から母がメールで、電車が台風で動かないと連絡がありました。
仕方ないとまっていたら、今度は電話。
電車に乗れたものの、pm10:15頃JRが四條畷駅で停まり、降ろされたそうです。
「タクシーで、帰れる?」と言ったら、タクシーも満杯で来ないらしい。
仕方ないので、車で迎えに行きました。
カーラジオを聴いていたら、宇治、京田辺、交野、寝屋川、枚方、四條畷と続々と土砂崩れ警報発令、退避勧告発令。
あまりの雨に第二京阪側道の車線が見えない。とっても怖かったです。
しかも、交野から渋滞に巻き込まれました。
それもそのはず、そこから木津まで、一帯の人達が一斉に迎えにいったと思います。
四条畷駅まで後2㌔、まで来て、全く動かない。ここは道幅が狭く、人が一人歩いたら、追い抜けず、車は後ろからついていかなくてはならないほど。
車を諦めたずぶ濡れの一団が続々と駅から歩いてきます。
後、800mで、しびれをきらした母から電話。
「渋滞だから、その道を歩いてきたらどこかであえるわ。」ということで、傘を刺してこちらに向かってきた母を残り300mで、ようやくひらい。
山手に送り、牧野帰宅が車載時計で、1時9分でした。さすがにブログ更新ならずm(_ _)m
JRは、予防的に動かないといけませんが、11時超えて、雨のなか遠路徒歩帰宅の人たちの安全はどうなんだろうか?まだまだ、災害に対してはいろいろ社会的に考えなくてはいけないことがありそうです。
とにかく、無事でよかったです。
台風一過、今朝はお花が綺麗です。
サンルームをあけてたら迷い込んできたとんぼ。オオシオカラトンボのメスだそうです。
ジタバタして、窓を開けても逃げられないようなので、捕まえて、逃がしました。
ラベンダーは、咲き終わる直前に収穫します。
本当は咲き始めたら切ってしまったほうが、香りも高いし、株にもいいらしいのですが、庭を楽しみたくて、いつも遅れてしまいます。
収穫したラベンダーは、昨年のと付け替えて、台所にぶら下げます。
いい香り。
○年前のニース音楽院の向かい側のシャガール美術館の庭にラベンダーの花がたくさん咲いていました。
空港に降りた時から、ラベンダーの香りがして、石鹸の香りだと思ったものです。
私にとってはラベンダーはフランスの香り。
泡立たないシャワー、個性的な先生や、懐かしい友達、まずい寮の食事、歩きすぎてパンパンの足、みんなで夜通し語り明かしたこと、厳しいレッスン、僧院でのコンサート。
いろんなことを思い出します。
身に付いたこと、つかないこといろいろありますが、この香りだけは、いつも同じ。
うちの夫はペンキを塗るときに、養生シートや、養生テープをほとんど使いません。
うまいから、というわけではなく、思い立ったらすぐ取り掛かりたいタイプ。
おかげさまで、いろんなものがペンキの犠牲になってきました。
今回はこれ。中身を植え替えて空いていたプラの植木鉢。
使いかけなので、汚れているとしても、このペンキはないよなぁ。まるで血痕!
使いたい。グーグル先生に聞いてみたら、
木工ボンドで取れるそう。
ホントかな?
染み込んでたらだめだよね。
しかし、木工ボンドを塗って
乾かしたら、はがすだけ。
嘘みたいにきれいに剥がれました。
しかも、取る時の感触が、きもちいい。
全部取り終わった後も、他に取るところがないか探してしまいました。
すごいなぁ。グーグル先生。
昨日の夕方、近所の久御山イオンにお買い物。
雨が降った後の晴天で、空気が澄んでいたので、写真も綺麗に撮れました。
御幸橋の途中で右折。宇治川の土手を走ります。
この橋は、桂川、宇治川、木津川の合流地点にかかっていて、ここで合流して淀川になります。
宇治川は真ん中の川です。
この土手を走ると、京阪電車の鉄橋を渡れます。カメラを向けてみると、きれいに撮れました。
帰りは1号線周りで、木津川をわたります。
すっかり夕方。
夕焼け。
昨日の朝、家のリビングで一人で朝食を用意していると、ポツーン。と階段の方で何かの音が聞こえました。
「何か、落ちたかな?}と思って、階段の下に行ってみましたが、何も落ちていません。
ご飯を食べていると、また ポツーン。
「あれ?また。」と、思って玄関と、全面所と、階段の下をウロウロ。
やっぱり何もありません。
台風の後の、濡れた家が乾燥するときの木の音かしら?
食事を終えて、食器を洗っていると、また ポツーン。
「家鳴り、家鳴り。」と、今度は見に行かずに、掃除機を出して、掃除をし始めました。
洗面所、リビング、台所と掃除機をかけて、廊下にでて、玄関に来た時、見つけました。
これ、見えるかな?
やどかり。。
夫が沖縄で拾ってきた貝殻に混ざっていて、返しに行く時間もなく、仕方なくプラの水槽に飼っているものです。
二階の次男の部屋の勉強机の上の水槽から出て、机からフローリングの床に転げ落ち、廊下を通って、階段を一段、一段転げ落ちながら降り、廊下から玄関に転げ落ち、ドアの前まで来たのでした。
ヤドカリ君の大脱走。
海に帰りたいんだろうなぁ。
早く海に帰してあげないといけませんが、今日のところは、水槽にお帰りいただいて、
テープで止めました。ポンプのホースがあるので、ギュッと閉めるわけにはいきません。
必ず、帰すから、ちょっと待っててね。