音楽の喜び フルートとともに

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私設留守家庭児童会 音楽で遊ぼう!

2009-03-31 19:23:35 | 音楽で遊ぼう

ネコヤナギの新芽。ああ、春がきた。という感じがします。

今日は、私設留守家庭児童会で、「音楽で遊ぼう!」ワークショップをしてきました。
枚方の児童会では4年生までなので、えーいつくちゃおうとTさんが長期休暇の間だけ自宅を使って、子どもを預かっておられます。

はじめの2年間は午前中お勉強3時間位見て、午後遊びとやっていて、私はこのお勉強を見るというのを手伝っていました。
来た子にあわせていろいろ試行錯誤しているうちに、お勉強は1時間、その後2時間ワークショップか中遊びということりなり、今日は、ワークショップ。

3年生二人の子どもの参加。
今日は自由な時間が多いほうがよさそうということで、簡単なクイズ、菜の花って知ってる?何色?が最後のクイズ。「黄色!」「では、その菜の花のある景色を歌った曲を聞いてください」ということで、フルートで、「朧月夜」を演奏。無伴奏。ワーワー言っていたのが、いっぺんで静かになりました。

そして、「地獄のそうべえ」を読んで、音を好きな楽器でつけようかというところですが、この子達は
絵を描くほうが好きみたい。
「じゃあ、自分の絵本をつくってみよう。」ということで、画用紙を4枚。一人は3こま紙芝居を作ってくれて、発表。

「虫が飛んできて、人が長い舌を出して、ペロリ。頭にコンセントがついていて、それを電源にさすと、そこを通って虫が消化されるんだ、おしまい。」奇想天外で思いもつかないお話でした。」

もう一人は、少し描くと放り出してしまいます。
見ていると、自分のイメージ通りでないといやになってしまって、新しい紙をほしがります。
「これが、いいよ。」
「いがんでるんだもん。」
「大丈夫、いがんでたってこれがいいよ。」
「これが素敵だよ。」
何度も何度も声をかけます。すぐには自信はでないけど、すこしずつ、小さな絵を描いてくれました。

1時間過ぎると、新聞紙を細く丸めて先にタコ糸とマグネットをつけて、魚釣り作りになだれ込み。
そうなると音楽で遊ぼうは音楽は無いけれど、良いんです。
いろんな色や形の魚、イか、ざりがに。どんどん作って大漁で終了。

お昼は頂かない予定だったのが、Tさんが作ってくれた心づくしのお料理を頂いて帰りました。
子ども達はお弁当持参ですが、Tさんがつくしの佃煮を作っていてくれて、欲しい人は一緒にいただきました。

ほろ苦くて春の味。ごちそうさまでした


カルク・エレルト

2009-03-30 20:23:28 | 名曲

ドイツのおみやげはお皿。手荷物に入れないと、割れるので、1月に2枚、3月に2枚。お土産というより、生活必需品。うちは当番制で夕食を作るせいで、全員料理ができます。しかし中に粗忽者がいて、お皿や、お茶碗がどんどん割れていきます。
黙っているとお土産好きな夫は、何を買ってくるかわかりません。すでに、あまり、飲めない私に大きなドイツ民芸品のビールジョッキがいくつもあります。そんなぐらいならと、お皿をお願いして、やっと4枚揃いました。これは嬉しい。かわいい小さな花柄。

今日は、ドイツの作曲家に挑戦。私にとっては未知の作曲家です。フルートではソナタアパッショネートが有名です。
Sigfrid Karg-Elert(1877-1933)
30 Caprisien Gradus ad Parnassum Op,107(1918-1919)
ジークフリート・カルク・エレルトの30の奇想曲 グラドゥス アド パルナッスム 作品107
フルートソロの曲集ですが、グラドゥス アド パルナッスムというのは、ラテン語でパルナッソス山への階梯という意味で、パルナッソス山はギリシャの山で、芸術の聖地とされていたそうです。芸術の聖地に至る為の練習曲。

エレルトは初めてなので、とりあえず、どんな感じかつかむために、30曲1番から順番に初見大会。
17番までやって、めげました。
辞典を見ると、初期はシューマン.メンデルスゾーン、グリーグの影響を受け、晩年はシェーンベルク、ドビュッシー、スクリャービンの影響を受けたとあります。
古典的な動きに見えて、短い中で転調を繰り返して、旋律はすぐにはつかみにくく、初見では何をやっているのかよくわからない…私の能力のせいか。
ドイツの近代音楽の世界を理解するのは大変。明日も、チャレンジです。


贈り物

2009-03-29 23:57:25 | 音楽

紅白の入り混じった梅、まだつぼみ。imagesかわいい。あったかくなったり、寒くなったり、でも春は確実に近づいています。

Ipod shufflを、先日に韓国で夫が買ってきました。その後、ドイツに行って、群馬に行って3週間後の今頃、「お土産忘れてた。」と出してきました。
お仕事ご苦労さま。私の結婚生活は時々の思いがけない贈り物に彩られています。私が本当に欲しいものかどうかはさておき、夫なりの愛情を感じます。ありがとう
images3.5cm×2.5cm…こんなに小さなものの中に2ギガ、9時間入ります。容量やコンパクトさにはあまり驚かなくなりましたが、韓国で買ったら4000円くらいだったそうです。こんな値段で手に入るし、身近になったと言うことには驚きます。
困ったのは説明書がハングルで一言も読めない。PCに接続すると、Ituneに入れていたCD2枚のほか、ここ2年間の、自分の演奏。練習、リハ、本番を含めソロから、アンサンブルからすべての録音が自動的にこの中に入ってしまって、変更できない…。150曲自分の演奏を今更振り返るなんて地獄
耐えられない

そう思って聞かずに、あれこれやってみたけれど、他の仕事もあってなかなか入れ替えられない。あまりほっておくのも悪いと思って、地獄のふたを開けるつもりで恐る恐る聞いてみた。

出て来る、出て来る悪戦苦闘の日々。
ひどい演奏の山。でも聞き出したら、取り付かれたように途中でやめられない。
バイオリン、チェロ、ピアノ、ハープ…。合わない、音程がひどい、リズムがずれてる、呼吸が乱れてる。そこはpでしょ。あーあ、バラバラ

だめ、だめ、だめ、だめ。あぶら汗を流しながら、何時間も聞いていると、自分がどれだけ完璧主義者だったかわかってきました。自分にも仲間にもだめだしばっかりしていたことも。
それでも、悪戦苦闘の2年間、まずいフィードバックでも、やれば、アンサンブルは少しづつ少しづつましになっていて。仲間に言いたいことが伝わらなくて、仲間の言っていることがわからなくて七転八倒していた自分が滑稽で、いとおしくなってきました。
音楽の出来のことばかり考えて、その悪戦苦闘に一緒につきあってくれた仲間が、よく見えてない自分のひどさも見えてきました。

こうやって自分を確認する必要が今はあったのかもしれない。自分に「へたでも、よくがんばったね」といいたくなりました。そう思うとこれは最高の贈り物かも

やっぱり音楽しなくっちゃ。


男女間暴力アンケート調査

2009-03-28 20:04:10 | 子ども

内閣府の男女間暴力(DV)の調査が3月24日日経に載っていました。
早速調べてみました。内閣府のデータはここに詳しく載っています。
http://search.goo.ne.jp/blogreader.jsp?url=http%3A%2F%2Fberathe-again.cocolog-nifty.com%2Fblog%2F2009%2F03%2Fpost.html&MT=%C6%E2%B3%D5%C9%DC+%A5%A2%A5%F3%A5%B1%A1%BC%A5%C8&snum=11&DC=10&RD=&IU=

気になるのは、33.2%が暴力を受けた経験がある。13.3%が命の危険を感じたと回答していることです。
暴力も、いろいろありますが、平手で打たれるを暴力だと応えているのは58.4%で暴力にあたる場合とそうではない場合がある応えている=つまり平手で打たれても暴力とは思わない。35.6%暴力ではないと2.7%
33.2%は暴力と答えられた人の回答で、暴力は無いと回答している人の中の何割かは平手で打たれても暴力は無かったと回答しているとも読み取れます。
暴力と認識する率は怒鳴られる、長期間無視される、暴言などはもっとパーセンテージが下がります。

日本の女性の3人に一人の人が暴力におびえながら、会社に行き、家事をし、地域で活動し、子どもを育てている。10人に一人は命の危険にさらされている。
そのそばには子ども達がいて、子どもは親を選べず、生育環境を選べません。
叩くことを愛と思ったり、暴言が愛情表現と思う子どもが出てきても不思議ではありません。
男女の関係が見直されると、社会のほとんどの暴力はなくなるという試算もあります。

非暴力の基本は人間関係の基礎となる家庭にあると考えることも出来ると思います。
フロムは「愛は学ばなければわからない」といっています。私もそう思います。愛しているのに傷つけあうということは、誰しも経験していることではないでしょうか?


パネルシアター製作

2009-03-27 19:40:32 | 子ども

朝は子育てサロンで使う、パネルシアターの製作をしました。

1973年に浄土宗西光寺の住職、古宇田亮順さんによって創案されたもので、不繊布(Pペーパー)にポスターカラーで色を塗った絵を、ネル生地のパネルに貼ったり、はがしたりしながら、いろいろなお話が出来ます。
サロンのスタッフで、亮順さんの息子さんでもあり、仏大教授で、パネルシアターおじさんでもある高橋司さんの講習会に行って作り方を習ってきました。

手作りとなったら、スタッフでもないのに、手作り上手のサロンの常連Mさんにもお手伝いお願いして来てもらいました。
Mさんの息子の2歳のRくんもおもちゃを持って参加。

世間話をしながら、型紙をコピーして色を塗って、切って、こぶた、たぬき、きつね、ねこ。
どんぐりころころの、どじょうに、どんぐり、お池に、紅葉のお山と木。どんどんつくっていきました。

サロンに来るのは、未就学児とそのお母さんですが、スタッフは、中学生、高校生の親世代、Mさんも3人息子の一番上はうちの次男と同じ中2です。
スタッフ二人の息子さんは同級生、大学に合格、4月から大学生になります。
うちの長男は来年。受験。

いろいろ聴いて、聴いてもらってリフレッシュ。サロンも同じスタッフで5年続きました。仲間がいないと何もはじまらない。こうやって仕事をしながら、話をすることで、支えあって、しんどい時も乗り切ってきました。ボランティアは、こういう楽しみがあってこそ続きます。
サロンの大きい子は幼稚園に通いサロンは卒業。
4月からサロンも新しい年度が始まります。4月は今年、生まれた子どもや、新しくママになった人が大勢きます。楽しみに待っています。


すべては音楽から生まれる

2009-03-26 20:38:18 | 音楽

すべては音楽から生まれる-脳とシューベルト- 茂木健一郎 PHP新書497
脳科学者の茂木さんの本ですが、科学者と言えば、客観的事実積み重ねによって、検証するかと思いきや、ご自分の音楽的体験をもとに、音楽の意味を考えたものでした。
その中で印象に残った一節

「絶対的な美の基準-たとえば「喜びや美の基準」といったものさし-が自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。これは、あくまでも自分のものさしだ、という点に強みがある。世評や人気といったような、他人を介在するものさしではない。浮世の表面的なこととは関係ない。自己の体験から生まれた独自の軸なので、揺らぐことなく自分を内側から支えてくれる。…「周りがどうあろうと、自分の中から光を発し続けていればいいのだ」という域に達することができるのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。
「美しい」「嬉しい」「悲しい」「楽しい」・・・。一瞬一瞬に生身の体で感動することによって、人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。それが「生きる」ということである。だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。生きていく上で、迷わない。揺らがない。折れない。くじけない。
 音楽は、そんな座標軸になり得る。音楽の最上のものを知っているということは、他のなにものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるのだ。」

音楽は聴くということによっておきる能動的な感動。わけのわからないもの、言葉にならないものを表現する喜び。といい、茂木さんの基準はある日のあるシューベルトの未完成の演奏だったりするのです。

私の中でも、絶対的な美の基準という消え去った過去の演奏の記憶があります。それは、牧神の午後への前奏曲だったり、椿姫の第3幕への前奏曲。仮面舞踏会のアメーリアのアリア、須山先生と、池田静山先生の春の海だったり、このスペシャルな記憶は、個人的でありますが、揺ぎ無い確信に満ちています。
私の平凡な人生にも、悲しみ、苦しみが満ちているように思えるときもあり、そんな時、最上の物を知っていて、それを追いかけ、まだ到達していない。人生まだまだ、捨てるわけにはいかないな。記憶がそんな風に思えるよすがになったこともあります。
茂木さんが言葉にしてくれたことで、言葉にならない思いが形になった気がしました。一度読んでみて下さい。音楽を知らない人にもおもしろい本です。


年度末

2009-03-25 21:18:50 | 子ども

4年生のダウン症のA君とは、私の勤務は今日が最後。
2年生のBさんとも一緒にボール遊びに、鬼ごっこ、紙飛行機競争に、サッカー。
C君が「入れて」と来たら、「いや」
怒ってうなるC君を怖がって、逃げて、おやつの時間だというのに、今度は廊下に座り込んで動きません。

「C君、こっちに来て、A君と話ししよう。」というと、C君も涙をためてしまいます。

「怒らないよ、こっちに来てお話してくれないかな?」

Bさんが「A君が入れてあげるって言ってんのになんか、怒ったねんで。」

「C君、どうしたの?」やっとこちらに来たC君に声をかけると、「A君に入れてって言うたら、入れたれへんていわれてん。」「違うでいれたるっていってたで。」とBさん。「Aくんは入れたげるっていうたん?」「ううん」「入れたれへんっていうたん。」「うん。」
Cくんに「入れたれへんって言われて悲しかったの?」「うん。」
「Aくん、Cくんがうなったから怖かったのかな?」「ううん。」
「いややったんかな?」「うん。」
「そう、いややったん。」というと、Aくんは私に抱きついて泣きました。
Bさんが「Aくん、先生と二人だけで遊びたかったんとちがうん?」
すると、余計にくっついてきて、離れません。
「そう、先生と二人であそびたかったん。」
「うん」
すると、私に抱きつきながらやっと立ち上がって、部屋に入りました。

Aくんとおやつを食べていると、前に座っていたD君が「先生、A君にくっついてこられて、うれしい?」
といいます。「なんで?」「A君に頼りにされて嬉しい?」
「う~ん…。うれしい。でも、Aくんがいろんな子と楽しく遊んでくれたらもっとうれしいなぁ。」

今日で私が、Aくんに出来ることはおしまい。これでよかったのかどうか?いつまでも気になるだろうと思います。


まちづくりプランナー

2009-03-24 19:41:44 | 子ども

枚方市の社会福祉協議会が、2005年に以後5年間の福祉計画を立てるにあたって、市民の声を聴くという試みをしました。それに私も市民の一人として参加しました。

41万人の市民一万人に一人の計算で、41人、6歳から高齢の方まで、障害を持った方も健常の方、あらゆる職種、階層から公募したプランナーによって一ケ月に1回、1年をかけて、意見を上げていくためのワークショップが行われました。

計画4年目、計画の進行管理役に公募プランナーから二人選ばれて、円卓会議を4年間してきましたが、今日は、経過報告のために、社協の音頭とりで、枚方の各校区福祉委員から2名ずつ、プランナー、一般市民のみなさんの約110名が集まり、フォーラムを開催。
パネリスト参加してきました。

役所とは、いろいろとつきあってきましたが、半官半民の社協の市民の意見を聴こうという、こんな丁寧な取り組みは他には無かったし、他の市などでも聞いたことがないです。

4年経ってわかったのは、「話を聴かれる、計画を作る」ということが、自分達で、機関紙を発行したり、障害者の方と一緒になってボランティアサークルをつくったり、地域の福祉活動に参加したりと、既存の組織のお手伝いにとどまらず、主体となって、活動をしていく契機となったこと。

社協の目的の一つは、年々高齢化していく校区福祉委員会の主体となって担う人を増やしたいということでしたが、平日の昼間動くことの出来ない層。若者や、サラリーマン世代が、地域のために出来ることをそれぞれの場とやり方でやりだしたということ。望んだような方向ではなかったかもしれないけれど、確実に地域の底上げとなっています。

私自身は、「子どもを暴力から守る」ということがライフワークだと思っているのですが、そのためには、安心して暮らせる地域をつくる。ということが、必要不可欠だと思っていたので、喜んで参加させていただきました。以前は理念と、講習にうかがうというのものだったのが、自ら発信して、人とつながることで、実際に子育てサロン、ふれあい音楽で遊ぼうワークショップ、保育サポーター、児童会とどんどん子ども達との現場ができ、その場その場で、顔の見えるつながりで非暴力に、チャレンジできるようになってきました。

次の計画策定まであと一年。枚方市社会福祉協議会の勇気あるこの取り組み、市民の意見を聴くということを続けることを強く期待しています。


心の友よ

2009-03-23 20:24:52 | 子ども

今日、運動場で子ども達を見ていたら、息子の小学生時代の先生が、他の先生や子ども達、高校生を含めて野球をしておられました。転勤されて、この小学校にいらしたので、時々ご挨拶。今日もごあいさつしたら、「37年間、今日で定年ですわ。退職記念野球をしてもらってるんですわ。」
高校生は教え子。小学校の野球クラブで教えていたそうです。野球で有名な高校に入ったそうです。
わざわざ聞きつけて、野球をしにきたそうです。
「長い間、お疲れ様でした。」短い世間話の後、そういって別れました。担任を持ってもらったことが無いですが、いつも子どもを見るときに目尻が下がって優しい笑顔になる先生でした。

今日は久しぶりに、2年のA君。
先生達の言うことや、ルールを守るのは大嫌いなのに、同じ学年の男の子同志と遊ぶと、リーダー格の子どもの言うことは、何でも聴きます。それなのに、1年生の子に泥水をかけたり、女の子をいきなり蹴ったり。行ってはいけない場所にいったり、
それでも、「どうしたの?なぜ蹴るの?ルールは守ろうよ。」と声をかけながら、穏やかに見守っていると落ち着いてきます。そうやっていると、他の子ども達が「ルール守ろうぜ。」といって助けてくれるようになってきました。そうすると、友達と穏やかに遊べる子どもです。

同じ2年のB君は今日は別の児童会から来たお手伝いの人の担当。
「B君が水道の鍵を持って逃げました。」お手伝いの〇○先生が言ってきました。水を使っていた途中だったので、水が出っ放しになっています。
ちょうど私の横に来たB君に「どうしたの?水道の鍵、もって来てくれたの?ありがとう。」
といったら、「しらん!」と部屋のすみのゴミ箱の方に行きます。先回りしてみると、ゴミ箱の底に鍵。
「いやー。」と先に取った私の手から鍵を奪おうとするので、まっすぐ彼の眼をみて、「どうしたいの?B君、〇○先生に自分で渡してくれるの?」というと、「うん。」というので、鍵をB君に渡しました。
すると、鍵をもって裸足で走って外へ出て行ってしまいました。走って追いかけて捕まえたい衝動を抑えて、「B君、〇○先生はこっちだよ。」とゆっくり声をかけて、
笑顔で待っていると…戻って来ました。帰ってきたBくんと顔を合わせてにっこり。
よかった。もう、最後まで見なくても大丈夫。〇○先生の「ありがとう。」という声が、水道の所から聞こえてきました。

A君が5時で帰ったので、片付けて、帰ろうとすると、門当番の先生といたB君に会いました、「さようなら」といつものように言おうとすると、B君が大きな笑顔で「おお、心の友よ。さようなら。」って。
ジャイアンの台詞を言っただけかもしれないけれど、「心の友よ。さようなら。」って返しながら、なんだかじーんとして涙が出そうになったよ。


なぞの課題

2009-03-22 20:45:50 | 音楽

コンサートの後、S先生門下3人でケーキセットを食べながら、4時間ほど話して帰りました。

なぞの課題が気になって、気になって聴いて見ました。
「レッスンの時にね。ふふふ」だって。
一同「えーっ!」
急にマジになって
「いやぁ。気になって見ていたけど、本番では気にならなかったよ、よかったよ~。大丈夫。」と言われてもなんだろう?気になります。

「もうこれからはね、自分で課題を見つけて、解決するために僕を使ってよ。」
まだ、なぞの課題はなぞのまま。

後で、メールが来ました。「次の課題を整理して早速練習ですね。」

うひゃ~。
課題を見つけなきゃ。
自分の中ではいくつかあるのはあるのですが、そう言われると、あれかしら?これかしら?と気になって探したりして、S先生もしかしてこれを狙っていた?
効果抜群。
私は生徒さんたちに、何でも口にだしていってしまい過ぎかも。

とにかくとりあえず練習です。