音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ぐるぐるダンス

2023-08-17 21:00:00 | リズム
水曜の午前中は、米谷俊子さんがギター合わせに来てくれました。

お昼ごはんに巻き寿司いただきました!
幸せ❣️
本番が近いので詰めてやっています。
動画を撮って、持ち帰られました。

ラウンド ダンスは、ダンスフロアを反時計回りに円を描くように踊るものです。
振り付けと合図があり、フォークダンスとは違います。
社交ダンスの1種になります。

社交ダンスは15世紀には記録に出ています。
イタリア シエナ15世紀の社交ダンス
ブルゴーニュの宮廷から広まっています。音楽は、メヌエット、カドリーユ、ポロネーズ、ポルカ、マズルカなどの当時の人気のあるダンスが取り上げられました。

16世紀後半の宮廷人は絶えず「社交スキル、特にダンスを通じて自分を証明する」必要があったといわれています。より活気のあるブランル、パヴァーヌ、そして5 つのステップで構成されていました。

この頃になると農民のダンスが宮廷にも持ち込まれるようになります。

パロック時代には宮廷舞踏会は社会的地位を示す役割がありました。

16世紀後半、パリでは農民の踊りメヌエットが宮廷に入り、リュリが振り付けを付け、ルイ14世が踊りました。
17世紀ルイ14世が王立音楽ダンスアカデミーを作り、バレエの5つの位置を決めました。
その後、バレエは宮廷を出て舞台に登り、社交ダンスと分離しました。

1812年イギリスでワルツが根付きました。
ウェーバーが書いた「舞踏への招待」がワルツ形式が舞踏に公式に入ったことを証明しています。
1840 年代には、ポルカ、マズルカ、ショットティッシェなど、いくつかの新しいダンスが社交場に登場しました
20世紀になると、モダン社交ダンス競技社交ダンスなど10種類以上のダンスが派生しそれぞれ分離しました。

カール マリア フォン ウェーバー「舞踏への勧誘」




舞踊の音楽

2023-07-02 21:54:00 | リズム
金曜日は牧野生涯学習センターで「第二会聴き合い会」でした。

今回はチェロの参加もありました。
バッハの無伴奏チェロ組曲のプレリュードとジークを演奏されました。

フルートのお二人ははビゼーのカルメンの間奏曲、バッハの管弦楽組曲からポロネーズトとバディネリ。
私はバスフルートで対旋律と通奏低音を吹きました。

リュートはボローノ作曲のサルタレロを3曲。
ギターのソロは、ソルの3つの練習曲、武満徹編曲のロンドンデリーの歌、アルベニスのカタルーニャ奇想曲などなど、11人が演奏されました。

私たちはCPEバッハのカルテットという名前のトリオ。
それからピアノの坂田さんとぺリローのバラード。

ヴィオラとギターのデュオや、フルートチェロ、ピアノのトリオなど楽しんだ後、最後はJFラモーの3つの舞曲
メヌエット2つとロンド風ミュゼット、ギターとヴァイオリンとアルトのための曲をみんなで合奏しました。

楽しかった!
打上げももちろんやりましたよ!

ジャン フィリップ ラモー(1683ー1764年)フランス王国ディジョン生まれ、フランス王国パリ没
ディジョン大聖堂のオルガニストだった父の跡を継ぎ、その後、パリ、リヨンの教会オルガニストに就任し1723年からパリに定住。
アレクサンドル ド ラ ブブリニエール財政官の後援を得ます。
1733年には作曲で名声を得て、フランスの楽壇の指導的な作曲家になっています。

その頃からオペラをヴォルテールと組んで書くなどしています。

また、ラモーは機能和声法と調性を体系的に理論化した初めの音楽理論家です。

ラモーの「メヌエットⅠ Ⅱ」は、作曲の経緯などよくわかりませんが、舞踊音楽として作曲されたと思われます。





ジーグ

2023-06-09 21:00:00 | リズム
木曜日は、マザーズデイ。
まあ、いつもの検診日ですが…。
朝8:00に出て、母を迎えに行き、車で医療センターへ。
血液検査と尿検査をして診察。
「なかなかいいですよ。というのは、心臓の手術をした割には、という意味ですが。」と先生。
「肩を剥離骨折したとか。」
「はい、剪定をしていてこけました。」
「剪定はしないほうがいいです。」
「こけて、ハサミもあるし、大事になります。」
「何年も前から、私達がするからせんといて!」と言っている身としては、『先生、もっと言ってやって!』という気分でした。言わなかったけど…。

会計で、12:00。

まず買物があるということで久御山イオンへ。
遅いお昼ごはんを食べて

ギブスを外して、リハビリ中。
少し痛いそうですが、元気です。
その節には皆さんにもご心配頂いて、温かい励ましの言葉の数々、本当にありがとうございました。

その後日用品を買いたして、マイナンバーカードのポイントが受け取れるクレカをつくったので、前回紐づけできなかったポイント手続きのために、そのまま役所へ。

「全部持ってきた。」というので、安心して、作ったばかりのイオンカードとマイナカードを出したら…。
「銀行口座の通帳ありますか?」
「持ってきてないわ。」
ということで撃沈。

病院からFAXしておいた薬を、駅前薬局で頂いて、母を送って帰宅4:00…やっぱりそれくらいなるよね。
くたびれた~。

役所は一筋縄ではすみませんね。

ジーグgigueというリズムは、アイルランドや、イギリスのスコットランド由来のリズムだと言われています。

フランス語の giguer はしゃぐ から来たとか、
ドイツ語の giga フィドルヴァイオリンという意味から来たとか言われています。

15世紀、イギリスで喜劇を演じる時に使われたおちゃらけた音楽。
即興的で飛び跳ねるような特徴を持つこのリズムは、大人気になり、イタリアや、フランスの宮廷の踊りとして普及しました。

イタリアのジーグはgiga
8分の6拍子、 8分の9拍子  8分の12拍子の速いテンポで、分散和音が急速に駆け回る明快な構成になっています。

フランスの場合は17世紀のリュート奏者のジャック ゴーティエ(1600-1652年)


が、イギリスの宮廷で楽士をしていましたが、フランスに帰国した時に持ち帰り、広めました。

フランスのジーグは8分の6拍子、4分の6拍子で跳躍と旋律の模倣による対位法的な舞踊で、付点のリズムが特徴的です。

時代が下ると、特長的ないろいろなリズムの入った組曲に組み入れられます。
アルマンド(ドイツ起源) クーラント(フランス イタリア起源) サラバンド(スペイン起源) ジーグ(イギリス起源)
という順番で演奏されることが多くなります。

フランス風のジーグ



ブランル

2023-04-28 21:14:00 | リズム
薔薇のマチルダが咲きました。





福山の郷土玩具博物館に行ったら無料で配られた薔薇の鉢。
今年も咲きました。

2013年に閉館となったと聞きました。2015年松永はきもの博物館となってリニューアルしたとか。
郷土玩具はちゃんと引き継がれたと聞いて安心しました。

岡本太郎さんデザインのあしあと広場も健在だそうでこちらもホッとしました。

福山は下駄産業の街。
そのためはきもの広場、はきもの博物館なのでしょう。
大きな下駄を飛ばすお祭りなどもありました。
それにしても閉館から10年近くも経っていたとは驚きました。

リュート奏者から、バラール作曲 村のブランル カムカムを演奏しますと、LINE来ました。

ロベール バラール2世(1575-1649年)フランスの最も有名なリュート奏者

1612年マリア ド メディチに
1575-1646年マリア ド メディチ
仕え、幼いルイ13世

1616年ルイ13世(1601-1643年)
の家庭教師となり、宮廷リュート奏者になりました。

「リュート作品集」などを書いています。

また、彼の父は1551年従兄弟のアドリアン ル ロワと王の協力で9年間の特権を得て出版社を設立しました。
サン ジャン ド ボーヴェ通りに面した出版社で1551-1556年にかけて5冊のタブラチュア譜を発行しています。

ブランルはそのルネサンス期に流行った二拍子系の生き生きした民舞のことです。

リュートで「村のブランル」と、「ブランル シュブォー」(中部フランスのブランル) おそらくブランルはこのように踊られたと思われます。


パッサカリア

2023-04-13 20:58:00 | リズム
うちの裏庭のアザレアが満開!
暮あたりから咲きだし、狂い咲きなので、本番はどうだろうか?と心配していましたが、要らぬ心配だったようです。

うちの今1番の花盛りの3鉢。
癒やされます。

「バッサカリア」Passacagliaは
スペイン語で、Pasear 歩く caile 通りと言う意味の言葉で17.18世紀に流行りました。

17世紀初期にはギターで和音を奏するリトルネッロ(歌の前後、間奏などの器楽演奏部分)を意味していました。

1605年
スペインの文献に初めて現れます。
ジローラモ モンテサルドによるギターのためのタブラチュア(1606年)に収録されています。

その時のパッサカリアはⅠーⅣーⅤーⅠという和音です。

通常の記譜法で書かれたパッサカリアの最初の例はジローラモ フレスコバルディ(1583〜1643年)フェラーラ公国フェラーㇻ生まれ、教皇領ローマ没

の「トッカータ集第2巻」1627年のPartite sopra passacagli
です。

パッサカリアやシャコンヌ(チャッコーナ)は芸術音楽の領域に取り込まれるようになって、共にオスティナート   バス(執拗で頑固な低音の繰り返し)に基づく3拍子の変奏曲になり、関係が深くなっていきました。

主にバッサカリアは短調。シャコンヌは長調の定型が用いられました。

フレスコバルディのCento partite sopra passacagli 1637年ではパッサカリアとシャコンヌが交互に現れる箇所があります。

フランスではバッサカリアは荘重な3拍子の器楽舞曲として扱われるようになりました。
しばしばロンド形式を取り、シャコンヌとの区別は曖昧となりました。

ドイツのパッサカリアはフランスとイタリア領国から影響を受けています。シャコンヌとの関係はより複雑化し、マッテゾン、ヴァルター、クバンツと言ったドイツの理論家はパッサカリアとシャコンヌの違いを明らかにしようとしましたが、無駄でした。

「ヴィーナスとアドニス」

は、ヘンリー デスマレ(1661-1741年)パリ生まれ、リュネビル没
作曲のプロローグと5幕〜なるオペラです。ジャン パティスト ルノーの台本によります。

ルイ14世


の宮廷楽士として早くから才能を表していました。同じ頃リュリも宮廷にいて彼の憧れの存在でした。

17歳で重役を任され、1689年、結婚し、娘が1人生まれます。
しかし、1696年初めの妻が亡くなります。

1695-97年「ビーナスとアドニス」を作曲します。

その間に、19歳の高官の娘マリーマルグリット ド サンゴーベールと恋愛関係になりますが、周囲に猛反対されます。1699年プリュッセルに逃れます。

その後二人はスペインに亡命しますが、マリーの父親は彼を訴え、不在のまま裁判にかけ、肖像画を絞首刑にします。

スペイン、フィリップ5世


の宮廷作曲家として数年間亡命した後、デスマレはロレーヌのレオポルド1世


の宮廷に雇われます。

そこで、「ヴィーナスとアドニス」を復活させ、1707年公爵を祝うために上映します。

ティツィアーノのビーナスとアドニス

ロレーヌ リュネビル城
このオペラは人気で、他にもスウェーデン、リヨンなど各地で上演されました。
ロレーヌ公の宮廷での地位が上がりましたが、ルイ14世からの許しは得られませんでした。

王の死後1720年特赦によって全ての非難が解除され、最終的に結婚契約が締結されました。
デスマレは60歳になっていました。

デスマレのオペラ「ビーナスとアドニス」からパッサカリア



パスピエというリズム

2023-02-14 21:03:00 | リズム
お知らせ
ブログは毎日更新していますが、
朝9時頃に新規投稿。
夜9:00頃に更新、再投稿しています。
時間は、大体です。仕事や家族もいて、時間通りに投稿できないこともあります。ごめんなさい。

以前は一度投稿したら放置でしたが、それだと見逃してしまう人が多いことがわかってきたので、1日一度だけ更新することにしました。

衰退気味のクラッシック音楽の世界の楽しさをなんとか伝えたいと始めました。

浅学なので自分のできることで、入門編で簡単にと思ってはいても、できるだけ間違いを少なくと思うと、資料にあたったりして、時間も労力もとられています。

そんなにたくさん正確に覚えていないし…記憶は得意でないので😭大変です。え〜ん💦

それに、もともとうっかり者で先日は5日分ほど下書きと間違えて投稿したものを消してしまいました。せっかくリアクションしてもらったのに、本当にごめんなさい。もう戻せないよね〜。気力が一気に萎えてしまいました…ガックリ😢

また、新規をだすと、前の記事はほとんどの人は見ないことがわかってきました。

せっかく書いたので、見て欲しいという欲望もあり、そもそも見ていただかないと音楽ファンも増えない!なんて理屈もつけて、こんなふうにしてみました。
また、変えるかもしれませんが、どうかお赦しください。

昨日はセンメルトリオ。
ヴィオラ金重さん、ピアノ坂田さん、フルート久米の練習日。

昨年から一曲だけ残していたドビュッシーのベルガマスク組曲のパスピエ。

お昼ごはんの肉じゃがと白味噌のお味噌汁。
おしゃべりしながら食べたら、練習。

頂いたもぐらやのどら焼き、美味しい煎茶と頂いて幸せ〜!
それからパスピエ。
頑張ったら次は

それからご持参のヒロタのストロベリーケーキいただきました。
それから再びパスピエ。

パスピエは、passepiedはフランスブルターニュに起源を持つ17世紀パリで、流行った古典舞曲です。

passa-pied
passe-pied
通行する-足。という意味で、この舞曲のもつ軽やかなステップを指します。

古い時代は8/3拍子、8/6拍子の速いリズムでした。
ジグやカナリーに近いものでした。

ドビュッシーのパスピエはもともとはパヴァーヌpavaneとつけられていました。パヴァーヌは並んで行進するための行列舞曲のことです。
なので、4/4拍子です。
なぜパスピエに変えたのか?
実際に聴き比べてみると…納得かな?

これは1700年代のパスピエ。

こちらは、バロック時代のパヴァーヌです。

ドビュッシー「ベルガマスク組曲」パスピエ



クーラント

2022-12-07 09:20:00 | リズム
家にこもって一週間と1日。
写真も尽きてきました。
前に撮ったパンジー。
実家で、咲いています。明後日母を病院に連れて行く予定ですが、回復するのやら?

クーラントというリズムは、3拍子の踊りのリズムです。
拍をはっきり出す曲ではなく、「流れるような」音楽が特徴です。

caurant フランス語 形容詞 流れるような、なめらかな、一般的な、今の、日常の
男性名詞 流れ、電流 (思想 物 人口)の流れ

corrente イタリア語 形容詞 流れる、走っている、すばやい、流暢な、現行の、普及した、反復の
男性名詞 成り行き、傾向、水平梁、縦げた

フランスのピエール ファレーズ(1510-1573年)が1548年に書いたクーラントがもっとも古いものです。

彼は1545年にルーヴェンで出版社を立ち上げました。印刷は外注でしたが、1553年には自分の印刷機で印刷し、その後アントワープに移転しより大きな出版顧客を得て17世紀まで続く印刷会社の基礎を築いた人です。
彼はリュート奏者でもあったと言われています。
180もの楽曲を残しています。

クーラントはこの頃はフランスもイタリアも変わりませんでしたが、独自の発展を見せます。

フランスでは、気品があってすばやい動きの踊りとして発展し、ルイ14世(1638-1715年)フランス王国サン・ジェルマン・アン・レ生まれ、ヴェルサイユ没

の頃には大臣の候補者にクーラントを踊らせ、うまく踊れれば採用!?
ということになったそうです。

クーラントの舞踏譜。半円が頭、短い直線が足、そして曲線は足の動きを表しています。振付家のラウール=オージェ・フイエによる《コレオグラフィ 人物・図形・指示記号による舞踊記述法》より。

イタリアではクーラントはコレンテと言われて、速い上にジグザグに走るような動きもあり、フランスの踊とは違う発展を見せました。

そしてバッハはその2つのクーラントの特徴を使い分けて作曲しています。

フランス風組曲より6分23秒からクーラント


コレントの表記のあるパルティータ第5番
4分49秒からコレント

実際のクーラントの踊り。



ポロネーズ

2022-11-09 08:20:00 | リズム
昨日は京都の後ら渡辺橋サロンドプリンシパルでフルートアンサンブルでした。

ダイビルはクリスマスイルミネーションできれいでした。

筑前橋からは6時前でもうこの通り。

この日は体験の方が二人来られて、久しぶりに五重奏。
実はいつもの処で会った今川さんをお誘いしました。
男性の加入希望者も来られてにぎやかになりました。

カーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドを練習したあと、ボワモルティエのフルート五重奏を練習しました。
楽しかった〜!榎田先生も嬉しそうでした。

「ポロネーズ」は、フランス語でポーランド風という意味です。
「マズルカ」と並んで有名なポーランド由来の踊りのリズムのことです。
ゆっくりした4分の3拍子。

典型的な「ポロネーズ」は荘重でゆっくりしたリズムで、第1拍が16分音符で分割されています。

初期のものは二拍子のものもあります。

ポーランドの貴族の行列から始まったとされています。
16世紀後半ヨーロッパの他の宮廷で広まりました。

バッハ、ベートーヴェン、クサヴァーモーツァルト、ウェーバー、シューベルトも書いています。


パヴァーヌとガイヤルド

2022-09-04 00:23:00 | リズム
淡路島にハマゴウが咲いていました。
小さな離島は干潮のときには繋がるそうですが、この日は水が多く、風も強く流れも疾かったので、一廻りしたら別の釣りポイントに移動しました。

ハマゴウは浜香と書くそうで、良い香りがするそうです。

葉は乾燥させて蚊取りに使い、精油をとり、お風呂に入れると血行促進。
実は解熱、鎮痛消炎の漢方薬として使われるそうです。

知らなかった〜。
せめて香ってくるんだった。

パヴァーヌはルネサンス期に流行ったゆっくりした行列の時に使われる音楽です。
オッタヴィアーノ ペトルッチ(1466-1539年)フォッソンブローネ生まれ、ヴェネツィア没の印刷業者がベニスで出版した楽譜オデカドンによると

落ち着いた威厳のあるカップルダンス(二人で踊る)です。


それが時間がたつにつれ速くなりました。
パヴァーヌはパドヴァの音楽という意味でヴェネツィアの西、イタリア起源だということを示しています。
もう一つの説はpavon孔雀を意味するという説。

1676年にはダンスとしての人気は衰えていました。
音楽の中にはリズムとして残り続けました。

ガイヤルドは活発なダンスで16世紀イタリア、フランス、イギリス、ドイツで流行りました。
跳躍、ジャンプ、ホップが入っていて、特徴的なのは大きなジャンプが入っていることです。

エリザベス一世(1533-1603年)イングランドグリニッジ生まれ、リッチモンド宮殿没


のお気に入りのダンスでした。
音楽の勉強、歌、6〜7曲のガイヤルドを踊るのが彼女の日課でした。

ガイヤルドには、ラヴォルタという女性を抱えて空中に持ち上げ回転することが含まれていたり、
タッセルキックといって180度、360度の回転、複数の連続したスピンや540度までのスピンが含まれることがあります。

このスピンの終わりには腰の高さに吊り下げられたタッセルを

足で触ることから、その名前がつけられました。

これらのジャンプは上品ではないと見られていたのでおそらくエリザベス一世は採用していないでしょう。

アントニー ホルボーン(1545-1602年)イングランド詳細不明
シターン、リュート、ヴアィオル コンソート(管弦楽、歌をふくむ合奏)のための曲を作曲。
音楽理論書を書きダウランドから「いつも気高きホルボーン」と呼ばれていたエリザベス一世の宮殿での音楽における中心人物でした。

16世紀最大の楽譜印刷舞曲集


1599年発行、大半を彼の「パヴァーヌとガイヤルド」がしめています。






フォリアとサラバンド

2022-07-20 20:24:00 | リズム
ヤブカラシ、蠟燭花とも言うそうです。
ピンクのところが雌しべで黄色い真ん中のが雄しべ。
花びらはその周りに緑色の葉のようなものだそうですが、それは半日で落ちてしまいます。
残った姿が蠟燭のように見えるから蠟燭花と言うそうです。
見えますか?

ヤブカラシは蔓性の植物ですが、巻き付く相手とそうでない相手を分けているそうです。
シュウ酸を含んでいるかいないかをつるの先で見分けてその量が多いほど巻き付かないそうです。

以前にも取り上げましたが
サラバンドと言うリズムは、南米由来でパナマに起源があります。
スペインの侵略でヨーロッパに持ち込まれました。

原型は残っていませんが、速いリズム、猥雑で卑猥な動きを伴うリズムで、1596年にスペインの人文学者アロンゾ ロペス ピンシアーノが書いているところによると、

「若い女の子がギターと一緒に踊り歌い、横では中年の女性が、その汚い口から卑猥な言葉を発しながら、いやらしい動きで踊る……その動きに合わせてサラバンドも激しさを増す……」

1583年にはスペインフェリペ2世によって禁止令が出るほどでした。

そうして入ってきたサラバンドは17世紀フランスでは、ゆったりとした遅いテンポで演奏されるようになりました。

一方、ラ・フォリアという舞曲は、15世紀末、イベリア半島由来の踊りで、三拍子。

フォリアという意味は「狂気」「常軌を逸した」というスペイン語で、かつては速いテンポで演奏されたことを暗示していますが、時代が下るに連れてゆっくりしたテンポで演奏されるようになります。

17世紀、イタリアに入り大流行しました。変奏曲方式で、フォリアの和声進行を取り入れ、コレルリ、マレー、リュリ、スカルラッティ、ヴィヴルディなど多くの作曲家が残しています。


フォリアは、短音階で進行する。音名で表すと、イ短調の場合、A-E-A-G-C-G-A-Eという調子である。

サラバンドは

  • 重々しい3拍子のリズム(しばしば2分の3拍子)
  • 4小節単位の小楽節2つからなる8小節分の大楽節
  • 開始小節に先立ってアウフタクトがおかれる場合もあります。

ゲオルグ フリードリヒ ヘンデル(1685-1759年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領ハレ生まれ、グレートブリテン王国イングランド ロンドン没



は、その両方を兼ねたサラバンドを書いています。

ハープシコード組曲第2集HWV437第4曲がそうですが、そこにはフォリア、スペイン風の舞曲とあります。ゆっくりした、荘厳な曲になっています。