音楽の喜び フルートとともに

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中秋節

2023-09-30 21:02:05 | 近代
今夜9月29日は中秋の名月。
平安時代に中国から伝わったそうです。
太陽太陰暦(新月からの日数)の8月15日。
新月(朔)から満月(望)まで13.9日から15.6日かかるので、必ずしもいつも満月ではないそうです。
驚きました。
今年は満月と重なっていて、快晴らしいです。
先日行ったシンガポールでは、中秋節と言って月餅を食べてお祝いするそうで、その前週から街中、月餅が売られます。

高島屋シンガポール店の中を通ったら
、月餅売り場ができていました。
もうだいぶ、人がきていました。

シンガポール人の友人に聞いたら、もっと近づくと街中の月餅が不足して買えなくなる。
特に「ブンガワンソロ」という老舗の月餅が売れているそうです。
残念ながらブンガワンソロの月餅は買いませんでしたが、こんな感じ。

ちょっといただきましたが、よく日本で売られている月餅よりも、甘さ控えめで、もっちりしていて、いろいろな香りが複雑に絡み合っていて美味しかったです。

月見の宴といえば、2010年と2011年に枚方の淀川河川敷に能舞台を作ってのお能と音楽の「千人の月見の宴」

に協力しました。
フルート二重奏で月にちなんた曲ドビュッシーの「月の光」や「朧月夜」をアレンジして吹かせていただきました。
2011年は10月4日で、随分寒かったのを覚えています。
浴衣だったし…。
千人以上集まってびっくり。
月はきれいで、お能も美しく楽しかったなぁ!
地震で雨降ったとき用の古い市民会館が使えなくなって、その後開けなくなってしまいましたが…。
続いていたら、どうだったろうか?と今でも時々考えてしまいます。

エドワード エルガー(1857-1934年)イギリス イングランド ロウアー・ヒース生まれ、イギリス イングランド ウスター没

「南国にて(アラッシオ)in the South (Alassio)は1903年から1904年にかけてイタリアで、家族と休暇を過ごした時に書いた「演奏会用序曲」です。

アラッシオはイタリアの避暑地リグーリア海岸に面する町の名前です。

アラッシオの海岸
その海辺を散策したエルガーは、「そのとき、全てのことが一度に私の脳裏に閃いた - 小川、花、丘。一方には遠く雪を頂いた山々がそびえ、また一方には地中海が広がる。その時私が立っていた場所はその昔、兵士たちが争ったまさにその場所である - そしてまた次の瞬間、突如として私は現実に立ち返った。その時、私は序曲を作曲してしまっていたのである。後に残されたのは、ただそれを書き留めることだけだった。」と、回想しています。

エルガーはこの曲の中間部のヴィオラ独奏のセレナーデを初演後すぐに切り取り「月明かりで」という歌曲として仕上げました。

その後、「カント ボボラーレ(大衆歌)」として抜き出し、小オーケストラやピアノ、他の様々な楽器のために編曲しました。

アトキンソン グリムショー(1836-1893年)イギリス リーズ生没 


警察の役人の父の元に生まれ、鉄道会社の社員として務めますが、独学で絵を学び25歳で会社をやめて画家になります。
風景画や静物画が評価され、すぐに画家として収入が得られるようになりました。
ラファエル前派に影響を受けながらも、独自の路線を行き、生前から成功します。

エルガーより20歳ほど年上ですが、同じ風景を見ていたと思います。
動画にグリムショーの月明かりの風景画が重ねられているのを見つけました。




クラリネットキャンディ

2023-09-29 21:00:00 | 近代
今出川のル プティ メックのパン。
いつものオレンジくるみに混じって栗と柚子のパンが売られていました。

「季節だなぁ。」とうれしくなって買いましたが、京都も枚方もまだまだ暑いです。
今日も最高気温31度、それでも朝晩は少し和らいで来ました。

さつまいもも美味しい季節、
と思ったら

アイスでした。騙されました😅

明日9月29日は「第4回聴き合い会」です。
忙しくてプログラム作れてません。
今から作ります。(28日13:00)
たいへんっ!…いやサボってただけなんですけど。

リロイ・アンダーソン(1808-1975年)アメリカ合衆国マサチューセッツ ケンブリッジ生まれ、アメリカ合衆国コネチカット州ウッドベリー没

ハーバード大学で音楽を学び、

大学のバンドを率いました。

語学にも興味を示し、ハーバードで何カ国後も学び、あやつり、軍事情報機関で働きました。

作曲家としては、冗談音楽の分野や、ピアノ協奏曲、映画音楽で名を挙げ、2度のトニー賞を受賞した後の1962年「クラリネット キャンディ」を書きました。

B♭クラリネット2本と吹奏楽のための「クラリネット キャンディ」
キャンディを口にした時の楽しさを表現しました。

どうしてクラリネットでキャンディ?と思っていたら、この曲の元になったキャンディは、リコリス、スペイン甘草で味付けした真っ黒な飴。

ハリボーのリコリスキャンディ

スペイン甘草
飴と言ってもグミのように柔らかいものだったそうです。
炭素(カーボンブラック)で着色されています。
アメリカでは長い紐状のものが売られていたそうです。

この色がクラリネットを思わせる?

クラリネット キャンディ



オデッセイのオデッセウス

2023-09-28 21:00:00 | バロック
今出川大宮のF先生にレッスンを受けました。
カルリの2つのデュオからデュオ1。
先日の伊藤公一フルートセミナーを受けて、「音色」が課題とわかりました。

「もっと自分の音を聴いて、深堀りする。どんな音が出ているのか?よく考えること。音が出て、指が回っているでOKにしないこと。」
「一生探求するのは楽しいよ。」
出町大橋の前の交差点。
空の向こうは果てしない。

出町の柳も私よりずっと長い間立っています。
まだまだ探求しないと。

クラウディオ モンテヴェルディ(1567-1643年)イタリア クレモナ生まれ、ヴェネツィア共和国ヴェネツィア没

「ウリッセの帰還」は、1639-1640年に初演されたモンテヴェルディの歌劇です。
プロローグと、5幕からなります。
ウリッセというのは、オデッセイのイタリア語読みです。

1641年発行された台本の表紙

オデッセウスはギリシャの英雄でイタカ島の王。

オデッセウスの頭部
トロイア戦争で木馬の戦略でギリシャ軍を勝利に導きました。

その後、長い間苦難して旅を続け故郷に帰ります。
その探求と苦難の旅のことを「オデッセウスのオデッセイア」と表すこともあります。

ホメロスがその旅を「オデッセイア」として書きます。

ロートスという実がなる島に行き、食べると快楽の中で望郷の念も忘れてしまう部下も出る中、無理矢理出港します。

1つ目の巨人キュクロープスの島に立ち寄ったり、風の神のアイオロスの島、魔女キルケーに会い、セイレーンに海底に誘われ、冥界にまで行き様々な冒険の果てに帰還します。

ここからのお話しが「ウリッセ(オデッセウス)の帰還」です。

船をネプチューン海神により石に変えられ、イタケーの海岸に打ち上げられたウリッセ。
助けられて、乞食に変装して宮殿に帰ります。

イタケーの宮殿ではウリッセの妻ペネロペが3人の求婚者に迫られています。
全く受付けないペネロペ。

しかし諦めない求婚者たちにタスクを課します。
ウリッセの残した大弓を弾けたものと結婚すると言います。
求婚者たちは次々に弓を引こうとしますが、ことごとく失敗。最後に乞食に扮したウリッセが弓を引き、成功します。
そして3人の婚約者を射殺します。

3人の婚約者を殺すオデッセウス
ウリッセだと信じられないペネロペは、彼を拒絶しますが、2人だけが知っているベッドのリネンの模様のパターンを聞いて、ようやく「私の太陽、長い間ため息をつきました!私の光!」と熱狂的に再会の喜びを歌います。

ダイジェスト版オペラ「ウリッセの帰還」






花のうた

2023-09-27 21:09:00 | ロマン派
蘭は世界に700属、15000種あるそうです。

ミルトニア属利休

ミルトニア属パンジーオーキッド

v.パット デユライト パンダ

オドントグロッサム

これは何かな?
ヨーロッパに蘭の花が入ってきたのは18世紀だそうです。

1731年西インド産のBletia vercundaという種が初めて紹介され、翌年開花しました。
1800年パンダ、デンドロビウムが紹介されました。
1823-25年スタンホベアやオンシジウムも入って来ました。

様々なランの花 エルンスト・ヘッケル(1834-1919年)

温室もなく栽培法もわかっていませんでしたが、次第に温室が作られ、水苔も使われるようになり、品種改良も行われるようになりました。

ジュルジュ ビゼー(1838-1875年)フランス王国パリ生まれ、フランス共和国ブージヴァル没

歌劇「カルメン」

タバコ工場で喧嘩をして牢獄に入れられたカルメン。気を引くために花をホセに投げつけます。

婚約者がいながら、まんまと誘惑されたホセはカルメンを牢から逃がします。

その罪で牢に入れられたホセが1ヶ月後、釈放されて酒場で飲んでいるとカルメンが現れ、彼のために踊ります。

カルメンに魅せられたホセが帰営ラッパに気づいて
「軍に帰らないと」と言うと
「さっさと帰れば、あんたの愛なんか信じないわ!」とカルメンに言われます。

そこでホセが歌うのが「花の歌」です。

おまえが投げた この花を
俺は牢の中でも手放さなかった
しぼんで ひからびてしまっても
甘い匂いは変わらなかった

何時間も 何時間も 
じっと まぶたを閉じたまま
その匂いに酔いしれながら
闇の中で おまえを 思い浮かべた

おまえを呪ってやりたいと思った
おまえを憎んで こう言いかけた
なんでまた あんな女に
俺はめぐりあったんだろう?と

そのあとで  そんな自分を責め立てて
気がつけば 俺の望みはただひとつ
ただひとつ 希望はひとつ 
もう一度 おまえに会うこと
おお、カルメン!
おまえに会うことだけ!

なぜなら おまえはやってきて
俺をちらりと見ただけで
もう 俺をとりこにしてしまったんだ
おお!俺のカルメン!
俺はおまえのものだったんだ!
カルメン!おまえを愛している

カルメンが口に加えてホセに向かって捨てた花は赤い薔薇…と思いきや、実は原作では「カッシア」の花

なんだかイメージと違います。

大航海時代が始まり、18世紀はあらゆる植物がヨーロッパに入ってきます。カッシアはブラジル原産。
スペインが舞台の物語。おそらくスペイン経由でヨーロッパに新しく入ってきたと思われます。
ヨーロッパがカッシアを学術的に認識、分類したの1809年。比較的栽培しやすく、どんな気候にも適応した花でした。


ニーチェの音楽

2023-09-26 21:00:00 | 音楽
無憂樹(ムユウジュ)はマメ科インド原産。
学名はSaraca asoca 英名はAshoka
アショカ

インド原産釈迦が生まれたところにあった
と言われています。
インド3大聖樹 無憂樹、菩提樹、沙羅双樹の1種と言われています。

釈迦八相図(部分)
絹本着色 日本・鎌倉時代 13世紀 MOA美術館蔵
出産のため実家に向かう途中、麻耶夫人(まやぶにん)はルンビニの花園で休息する。美しい花を咲かせた無憂樹(むゆうじゅ)の枝に手を伸ばした瞬間、夫人の右脇からシッダ―ルタ王子(釈迦)が生まれます。

ヨーロッパと仏教の関わりは紀元前3世紀、アレクサンドル3世のインド侵攻にまで遡ります。
インドに入植したギリシャ人が当地の仏教と融和し、ヘレニズム文化を開きました。
アレクサンドリアには仏教コミュニティがあったとか。
しかし、中世には一般的に途絶え、また仏教が入ってくるのは1800年代になってからです。

フリードリヒ ニーチェ(1844-1900年)プロイセン王国レッツェン バイ リュッケン生まれ、ドイツ ヴァイマル没

は、

人間は理性的生物でなく、キリスト教的弱者にあっては恨みという負の感情(ルサンチマン)によって突き動かされていること、そのルサンチマンこそが苦悩の原因であり、それを超越した人間が強者であるとしました。

ルサンチマンから開放するものとして仏教を語りました。

「仏教は、老成の人間達にとっての苦悩をあまりにも易々と感受するところの、善良な、温和な、極めて精神化されてしまった種族にとっての宗教である(――ヨーロッパはまだまだ仏教を受け入れるまでに成熟してはいない――)。即ち、仏教はこのような人間達を平和と快活とへ連れ戻して精神的なものにおいては摂生を、肉体的なものにおいては或る種の鍛練を施しかえすのである。キリスト教は猛獣を支配しようと願うが、その手段はそれを病弱ならしめることである。」『反キリスト者』

ニーチェは1872年頃はワーグナーに心酔していましたが、徐々に離れて行きました。反ワーグナーになっても生涯「ワーグナーのことを愛している。」と言っていました。
また、ワーグナーの妻コジマに対して「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と書き送っていて、ワーグナーを離れた原因ではないかと言われています。

ニーチェは音楽家になろうとしていた時期もあり
「音楽が無ければ人生は誤謬になるに違いない」
「音楽と比較して言葉はすべて恥知らずな性質を持っている」
という言葉を残していて、自分自身でも作曲しています。





鳥の伝説

2023-09-25 21:00:00 | ロマン派
日曜日の朝は松井山手の実家で、フルートレッスン。
生徒さんにお土産のチョコレートと家でとれたすだちをプレゼント。

ちょっと驚いたことを聞いてもらいました。
1ドル109円。
コンビニのビールが1000円。
朝食のパンは1個6ドル(660円)〜
ペットボトルのジュースが3ドル(330円)
ダイソーがあったので覗いたら、100円のものは300円になっています。

動物園のランチ

1品1700円

ミニッツメイドのジュースをつけたらプラス330円で2000円越えでした。
本当に円安、円が弱くなったなぁという実感。百貨店のフードコートみたいなところばかり利用していました。


ワンタン麺。麺が5種類から選べます。
チキンライス(チキンはスープで炊いたライスと別なのがシンガポール流)

ここなら、シンガポールのローカル料理が600〜800円位。地元の人でいっぱいでした。
しかし円安過ぎて怖かったてす。

下世話な話しはここまで

世界遺産シンガポール植物園の池にある白鳥のモニュメント

動物園のペリカン。




ペリカンは胸に穴を開けて、自分の血を与えてこどもを育てるという伝説があり、中世ヨーロッパではキリストのシンボルと考えられていました。


昨日行ったコンサートのアンコールがシベリウスの「鶴の情景」でした。

アルヴィド ヤルネフェルトの戯曲「クレオマ」(死)に1903年に作曲した音楽の一部です。
義弟のジャン シベリウスが劇付随音楽にしたことで人気が出ました。

母と息子パーヴェリが主人公。
第1幕 病に倒れた母親が眠っていると夢の中で踊り子が現れ、一緒に踊りますが、疲れて倒れます。
そこに亡き夫に見せかけた死神が現れて彼女に言い寄ります。

第2幕 パーヴェリは青年に成長し、さすらっています。
「年老いた魔女」に出会い未来を見せられます。
そのなかて森の中でエルザと出会い、暮らすようになります。
鶴の群れが2人の頭上を飛び回り、そのうち中の一匹が群れを離れて、赤ちゃんを運んできます。

第3幕 現実に戻ってパーヴェリとエルザはすでに結婚しています。
身銭を切って学校を建てています。
その中、自宅が火事になります。
炎上する炎を見ていると、炎の中から鎌を持った母親が現れ、自宅が倒壊すると同時にパーヴェリは倒れて亡くなります。
村人たちがエルザと遺児を慰め、エルザは「パーヴェリはみんなの心の中に生きている」と歌います。

1904年、シベリウスが第1曲を改定して「哀しきワルツ」op44-1として出版。人気が出ます。

しかし、人気の割に契約のせいで報酬が少なかったため、
1906年 第3曲と第4曲をまとめて「鶴のいる情景」op44-2として出版しましたが一度上演しただけで存命中は再演されませんでした。

「鶴のいる情景」op44-2


セント・マーティンオーケストラ

2023-09-24 21:32:00 | コンサート
伊丹アイフォニックホールに行ってきました。

セント・マーティン・オーケストラのコンサートです。
いつもお世話になっているヴィオラの金重さんが出演されるのと、ヴァイオリンの木村直子先生がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務められます。
阪急電車伊丹線、塚口から初めて乗りました。


プログラムはロッシーニの「泥棒かささぎ」の序曲
一曲目からかたさも見えず楽しんで演奏されているのが伝わってきました。

メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲op.64」は木村直子先生のなめらかでたおやかな演奏で、難曲ということを感じさせないで、素晴らしかった!
アンコールは木村政雄先生との「リベルタンゴ」
編曲は政雄先生のものです。
これが2人だけで空気をガラッと変えて聴衆をグッと惹き付けてしまいました。

後半はジャン シベリウス(1865-1957年)フィンランド大公国ハメ州ハメーンリン生まれ、フィンランドウーシマー州ヤルヴェンパー没



の「交響曲第2番ニ長調op43」
1901年作曲。

1892年アイノ ヤイフェルトと結婚し、6人の女の子が生まれ、1899年に「フィンランディア」を作曲して人気が出てきた後の作品。

交響曲第1番の初演が大成功に終わりました。その頃書かれたフィナーレの主題です。

しばらく放置しシベリウス家族はイタリアへ長期滞在の旅に出ました。
ジェノバ郊外のリゾート ラパッロに住まいと作業小屋を借り、この作品の作曲を進めました。厳寒のフィンランドに比べ温暖なこの国を彼は「魔法がかかった国」とスケッチの筆は急速に進みました。

第2楽章の楽想はフィレンツェでの印象や「ドン ジョバンニ」伝説にインスピレーションを得たと言われています。

また、ローマ滞在中にパレストリーナの音楽に多くを学びました。しかし、シベリウスはこの作品をイタリア滞在中に完成することはできず、フィンランドに戻ってからも筆を入れ続け、また年末に再び大型な改訂を行いました。

壮大な曲です。
この演奏を最後にコンミスの高畠さんは卒業されて東京に移られるそうです。
次期コンミスは直子先生が引き継がれるそうです。
そういう意味で、送別と歓迎の素晴らしい曲となりました。



シンガポールの音楽事情

2023-09-23 21:00:00 | 音楽
金曜の朝3:00起きして、5:45のフライトでした。
飛行機に6時間
昼過ぎに成田に着きましたが次の伊丹が17:05。ANAのラウンジでサンドイッチとおにぎりを食べて、2時間半ほど過ごして伊丹へ。
牧野に着いたのは20時過ぎでした。

遊びですが、



実は持っていってました。
いつものフルートではなく、パウエルの洋銀製の本体と薩摩黄楊の頭部管。

いつものフルートに比べたら、軽くて丈夫。
音量はほとんど変わりませんが、少し小さ目。
19〜22日 4日間丸々吹けないのはやはり…。
それでも移動日は吹けないので、実際に吹いたのは2日。
ホテルで弱音で吹きました。

吹くとすっきりして遊びにも身が入ります。



ION(アイオン)っていう

すごいビルの51階から観たシンガポール。
720平方キロメートル(東京23区より少し大きい位)に564万人(兵庫県7位540万人)が住んでいます。

人口密度は8359人/km(東京神奈川に継ぎ大阪府3位8787人)

そこに ヨン シウ トウ音楽院(国立シンガポール大学の敷地の中にあります。)
ラサール芸術大学、南洋芸術大学、
国立教育大学の他11校。
レベル高いです。









シンガポール植物園にて

2023-09-22 21:00:00 | ロマン派
シンガポール3日目は植物園。
1859年に開園しました。
面積82ヘクタール。
ユネスコ世界遺産に登録されています。

熱帯の不思議な植物の数々。


広大な敷地には

白鳥

噴水

温室ではなくて冷室(Cool house)

最も多いのが蘭の花でした。





そして



rain forest
熱帯雨林。
たくさん歩いてクタクタになったけれど、半分しか見れなかった。
東屋で休んでいると



こんな子がやってきました。
じっとしていると近づいてきて私達のを不思議そうに見て、ゆっくり歩いて周ってから椅子の上に登ってこんな感じ。
ジャワハッカと言うそうです。九官鳥の一種みたいです。

おもしろかった。
明日早い便で帰ります。
いろいろ宿題が残ってしまいました。
また来なくちゃ。

テオドール アントン ブルーマー(1881-1964年)ドレスデン生まれ、ドイツ ベルリン没

ドレスデン音楽院でドレーセケと、ブルックマンに学びました。
1931年ドレスデン放送管弦楽団の指揮者になります。
1931年からドイツ帝国の楽長として
ライプツィヒで11年の間、ドイツ放送管弦楽団の指揮を取ります。
1941年戦争のため放送されなくなります。1942年には健康上の理由から引退しますが、戦後、彼はライプツィヒで定職を見つけることができませんでした。

残りの人生をベルリンで過ごします。

彼の室内楽は有名ですが、特に木管五重奏曲op52は有名です。
なぜブルーマーを選んだかって?
彼は植物世界という作品を書いていて、その中のorchid蘭というフルートとピアノの作品を書いています。
動画が無いので書いてから断念。

森の木をたくさん使って作った木管の曲を選びました…く、苦しい…。





動物園のスター

2023-09-21 23:06:00 | 近代
2日目は朝からシンガポール動物園に行ってきました。
28ヘクタール、270種類4800頭の動物がいるちょっと考えられない規模の動物園。



ジャングルの中に動物園を作ってしまった。
虎が泳ぐの始めてみました。

道を歩いていると鳥がやってきます。

この子もすぐ側に来ました。

近いです。


この子は本当に野生?


もちろんオランウータンさんは、ガラス越しですが、 

ペリカンは柵がありません。

ダンナの好きなペンギンはさすがに温度管理のためかガラスのむこう。
園内を走るバスも利用しましたが、1日では周り切れません。

キリンもオリはありません。
やっぱり動物はいいなぁ~!
癒やされました!

サン・サーンスの「動物の謝肉祭」から「象」
象さんは動物園のスターですが、ちょうどお休み中で見れませんでした。

Allegretto pomposo 3/8拍子 変ホ長調
コントラバスがワルツを演奏します。
ベルリオーズの『ファウストの劫罰』「妖精のワルツ」、メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』から「スケルツォ」が重低音で演奏されます。
コントラバスとピアノ。