音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

0歳から、84歳まで。

2013-11-29 22:00:48 | 介助

今日午前中、教育委員会の子育て支援講座のお手伝いで、集団保育をしました。

子育てサポーターをしているので、時々こういうお手伝いがあります。
「泣き声が聞こえると、お母さんたちの気が散るので、部屋の中だけで見てください。」

狭い部屋ですが、赤ちゃんといると、見慣れた光景が、新鮮に感じられます。
小さな子どもは、見飽きた四角い積み木や、車のおもちゃも、じっと見つめたり、手にとってあっちから見たり、こっちから見たり、お口に入れて感触を確かめたり。

小さな音にも、「なんだろう?」と、目を凝らしてみたり。

身体も柔らかくどんな硬いフロアにでも、柔軟に合わせられて、体が痛くなったり寝違えたりしません。

抱っこして窓から景色を見せたら、5階から見える小さな車も見つけて、動きを追ったり、空に浮かぶ白い雲を珍しそうにじっと見たり、
あまりに真剣に見るので、私も気づかなかった場所のメープルの赤い葉や、飛んできた小さな雀、いつもより明るい日差しにも目がいきます。

泣いたり、怒ったり、笑ったと思うとまた泣いたり。

自分が子育て中の時は、そのことに気づかなかったけれど、感性の豊かな人といると、自分の中の感性も影響を受けて、豊かに動き出すみたいです。

赤ちゃんと一緒に動く雲を見ていると、いつもと同じ空でも、雄大な音楽を聴いているようです。

そして、夜は父の番。
「長男は、どうしたんや。」
「2階で寝てるよ。一緒に住んでるんだよ。」
「おお。そうか!」
「お母さんはどこいったんや。」
「今日は、お稽古。」
「おお、そうなんか!」
「次男はどうしたんや。」
「予備校から、帰るところ。」
「おお、そうか!」

父は記憶力が無くなったけれど、感情はなくなっていません。
同じ質問を何回も、何回もしますが、聞く度に驚いています。
毎時間、新鮮。

感性って不思議です。


精米機体験

2013-11-28 21:32:09 | Weblog

17日に、予備校の保護者会に行ってきました。予備校は京都の駅前にあるので、車で向かったら、東寺の門が見えました。中は紅葉しているのか、観光客でいっぱいでした。

浪人中の次男も、30日から、また受験が始まります。
のんびり育てすぎたせいか、全く切迫感のない浪人生活を送り、予備校の模擬試験を見ても、本人としてはがんばったんだろうけど、いやいや、プライバシーがあるので、これくらいでやめますが、
親としては、食べるものを用意して、祈るくらいしかありません。

自分の力ではどうしようもないことは、棚に上げておいて、私は私のことをしましょう。
というわけで、今日も練習です。

夜になって、夕飯をつくろうと思ったら、お米がありません。
いつもは生協さんのお米ですが、今回から、夫が近所の飲み屋で飲んでいたら、たまたま隣の人に頂いたお米30キロの出番です。

これが、玄米のまま頂いたので、精米にいかなくてはなりません。
精米など、生まれてから一度も無いので、、どこへ行ったらいいのかもわかりません。

ネットで調べたら、10キロ100円で、近所にコイン精米所があると書いてありました。

10キロかぁ・・・うちは、5キロずつでないと消費が追いつかない。

測らなくちゃ。10キロ単位かな?

次男が帰ってくるのを待って、袋に5キロずつ2袋測って、5キロでもできれば、5キロだけ持って帰る作戦です。

JAの精米機の前にたってみると、5分づき、7分づき、標準、上白、クリア白米。
???5分づき、7分づきは、いいとして、標準と上白とクリア白米?!
どれがいつものお米?
「どれかな?」
「クリア白米?」と次男。
「それは、無洗米らしいよ。」
「標準がいつものかなぁ?」
「やっぱり上白かなぁ?」
「わかんないから、上白にしよう。」
「精米した米、どこに入れるの?」
見ると、精米したところに袋を引っ掛けて出てくるお米を受けなくてはいけません。
持ってきたのは、お米を入れてきた袋だけ。
「これしかないよ。」袋を二重にしてきたので、一枚を先に空けて引っ掛ける。
「100円で10キロだよ。」
「3キロ以上で行けるから。もったいないけど、5キロだけ入れよう。」

入れたら、ゴーッと、すごい音がして、下に受けた袋に白いお米。
つきたてのお米は温かい。
精米機はなんだかうれしい。
夕食にたいたお米はおいしかったです。










私たちを怖がらせるのは闇ではなく、光である。

2013-11-27 23:47:35 | 哲学

ネルソン・マンデラ大統領就任スピーチの一部分から、

「私たちの持つ最も根深い怖れとは、自分がダメな人間だと思っていることではない。私達の持つ最も根深い怖れとは、自分が自分でも予想できないほどパワフルな存在だということを認めることだ。

 私たちを怖がらせるものは、私たちの中の闇ではなく光である。

「俺が、才能あふれたすごい人間だって?」とあなたは自問自答するかもしれない。しかし、そうじゃないとしたら、あなたはいったい何者なのだ。

 あなたは、神の子である。あなたのやっていることは、ちいさなことかもしれない。世界を変えるには、何の価値もないことだとおもうかもしれない。
しかし、周りの人のことを気にして自分を小さく縮こませてしまうことに、なんの良さもありはしないのだ。

 私たちは、私達ひとりひとりの内なる神の物語を実現するために生まれてきたのだ。繰り返すが、それは何人かの選ばれた人のうちにあるものではなく、すべての人に、ここに居る全員ひとりひとりのうちにあるのだ。

 あなたの光を外へ向けて輝かせることは、他の人にも同じようにすることをすすめることになる。
 私たちのこの根深い怖れから自分を解き放つことによって、私たちは、ただ在るだけで、他の人をも解き放っていくことになるのだ。」

世界を変えるのは、特別な人間ではない。誰もが何かを成し遂げる力がある。
マンデラだけでなく、ガンジー、マザーテレサ、キング牧師、彼らを自分と違う特別な人間とすることに、なんの良さもないと。
あなたの中にも、私の中にも同じような力がある。力を持っている自分への怖れから自分を解き放つ
ことは、周りの人にも影響を与える。
この言葉を読んでも、後から、後から否定やネガティブな言葉が湧き上がってきますが、
それこそが怖れ。
今はただ黙って、この言葉を噛み締めよう。


楽譜、楽譜、楽譜

2013-11-27 00:50:05 | 音楽

クリスマスのモミの木や、ポインセチアとともに、もうひとつの大切な脇役。赤い実と濃い緑の葉を持つ柊は、このあたりでは今頃花が、咲いています。
トゲトゲの葉に似合わない清楚な白い花です。

私の能力の限界のせいで、トリオ譜を作るのが大変すぎて、寝る間もありませんでしたが、時間は確実に過ぎて、もう3人で合わせられるのは3日当日の朝だけ。
結局のところ、時間切れで花のワルツは見送ることにしました。
楽譜ができない。

なんとか、序曲、行進曲、トレパック、葦笛の踊り、トレパック、中国の踊り、アラビアの踊りを作ったものの、頭の中で考えていることと、実際の音との違いで、いろいろ不都合があって、今日、一日中Kさんに調整してもらいましたが、完全な楽譜はまだありません。
・・・じぇじぇじぇ!

PDFにして送ることにして、合わせるのは、当日のみ。できるか?
やるしかない。

いつも突貫工事で、ギリギリになっちゃうのはなぜなんだろう?
困ったもんです。



メサイア公演

2013-11-25 21:35:00 | 音楽

菊の季節。枚方市駅前には、市民会館や市役所が並び、その前の岡東公園には、枚方名物菊人形の流れを汲んで菊のオブジェが並びます。

ひらパーの菊人形は廃止されて数年になりますが、菊士さんが伝えてきた伝統の技術を絶やしてはならないと、小学校で講習会をしたり、あれこれと市で知恵を絞っています。
表現する場がなくては、伝統の技術も廃れていくばかりです。
その意味で公園の菊のオブジェは時の流れへの小さな抵抗です。


季節の名物といえば、枚方では、数年前からヘンデルのメサイアを市民による合唱、枚方市交響楽団にソリストを招いて年末に演奏されています。

今年は、市民会館の改修工事があり、年末ではなく、24日に上演。
音楽を愛する人たちが、こんなにいたのかというほど人が集まってきました。

合唱は年ごとに公募して集めるときいていますが、常連さんも多く、本当にうまくなってきています。
舞台に出る人だけでなく、場内を案内してくれる高校生がいたり、受付やチケット販売も市民によって行われています。

人々の力が集まって歌になって音楽になって響きます。

音楽が実際音となっている時間は、その準備、場作りに比べればほんの一瞬。
本当に大切なことは、場を作りそこに人が集まってくること。
人々が時間を共有し、音楽を通してコミュニケーションすること。
生き生きとした時間をともに過ごすこと。
人の体や、脳や、それぞれの経験や感じていることが音楽を通して全体として伝わってくること。

今年も、素晴らしい場が出来上がりました。





フランスシターとアンサンブル

2013-11-22 01:56:19 | 音楽

子育てサロンに来月来てもらうKさんは、フランスシターという楽器を演奏されます。
クリスマスのある12月にはいつも、フルートを演奏するというと、フランスシターなら演奏できるというので、一緒に合奏することになりました。

古楽器の一つで、ギリシャ時代からあったとか。プサルテリオンと呼ばれたそうです。
アコードチターとも呼ばれます。フランスシターという名は日本独特の呼称だそうです。
左のほうはコード順に弦がが並んでいて
左側面下にレバーがあってマイナーコードにも対応します。

右側には、音階順の弦。


右手で旋律、左手で伴奏という風に本来は一人で演奏します。教会などで、宗教音楽を演奏するために発達したそうです。

右のホールの中には、マリア様

左には楽箏の天使。


繊細な音量で、オーケストラには残りませんでしたが、古楽器の人気とともに、復活したそうです。
Kさんは、枚方では教える人がいず、神戸まで習いにいっているそうです。

フルートともとても合います。次のサロンが楽しみです。


トリオ譜完成

2013-11-20 23:52:41 | 音楽

金曜日に、トリオの楽譜を作成しだして、その間に他の事も当然、いろいろありながら、せっせとスコアメーカーで打ち込み。
フルート3本、フルート2本とアルトフルート、フルートとバスフルートなど管を持ち替えるので;
金曜の夜は、2時まで、土曜日2時半、日曜3時、月曜2時、ついに昨日は4時半まで、それでも朝は7時に起きて、掃除も食事も洗濯もし、レッスンがあって、買い物も行き・・・実は私は超人かもしれないと思いかけた今日、夕方5時前になんとか完成。

マクサンス・ラリューリサイタルで、Tさんに無事渡すことに成功。
とりあえずはできた。ばんざい!

眠たいを通り過ぎて全く別のテンションがやってきて、妙に元気になってきます。
昔は、徹夜もありましたが、久しぶりの夜作業。
自己限界への挑戦です。
昨日はさすがにブログも飛ばしてしまいました。

見直す時間がなかったので、間違いも多いと思いますが、今夜のところはます渡すことが
一番。

ほっとしました。おやすみなさい。


We can work it out!

2013-11-19 02:23:30 | 哲学

いろいろあって、トリオ符が間に合わないといけないので、眠れないし、ブログをなかなか書けません。
今日は、マジック・ジョンソンから黒人の子供達絵の言葉を紹介します。

「お前は無理だよ」という人の言うことを聞いてはいけない。

もし、自分で何かを成し遂げたかったら、できなかった時に、他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
多くの人が、僕にもお前にも無理だよ、と言った。
何故なら彼らは成功できなかったから、途中で諦めてしまったから、
だから、君にもその夢を諦めて欲しいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。

決して諦めてはダメだ。
自分のまわりをエネルギーにあふれ、プラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人にアドバイスを求めなさい。

君の人生を考えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。


FMひらかたでトリオを演奏しよう

2013-11-15 23:27:34 | 音楽

12月14日(日)メセナひらかた14時開演の「くるみ割り人形」の準備をしていると、FMひらかたhttp://www.kiku-fm779.com/に出演して宣伝させてもらえることになりました。

「12月3日の10時から15時までの、かふぇ・ど・すてーしょんに出てください。25分、25分の50分間の生放送です。」
「え、そんなに・・・。話せるでしょうか?」
「大丈夫です。世間話でいいので、それに、コンサートをされるなら、演奏していただけないでしょうか?」
「フルートでよければ。」
「いいですねぇ。」
ということで、12月3日演奏することになりました。

「どうしよう?」と実行委員に話すと、「フルート、トリオがいいんじゃない?」
「デュオでは、音が足りないし、私とあなた、Tさんも誘いましょう。」

しかし、楽譜がありません。フルート2本とピアノの楽譜、カルテットなら市販のものがありますが、トリオは無い。

それでは、作りましょう。となりました。誰が?編曲が得意なKさんは、くるみ割りのブラス譜の手直しで精一杯。
「スコアメーカーがあるじゃない。」
「とりあえず、20日までに作って。」

ガーン、できるかな?
「私に比べれば、全然。」って、そりゃそうだ。
えらいことになりました。
しかし、やるしかない。
今晩から徹夜です。


出会い

2013-11-14 23:45:06 | 哲学

私たちはいつも何かを選択して生きています。
一つを選ぶということは、他の何かを諦めるということです。

一人に出会ったら、その時間は他の人とは出会えない。
だから、私たちは、その出会いを、どんなものであろうと、大切にしなくてはならない。
でも、実のところいつも私たちは二股をかけているような気持ちでいることが多いのです。

その時、その場にいれるのは、他の誰でもない自分だけなのに、本当は、私は実はもっと大切な仕事をするために、いるのであって、今は少し寄り道しているだけ。
他に大切なことがあるから、いつも忙しい。

起こるはずのことが起きなかったり、出会いたい人と出会えないのは、実は、こういうことかもしれない。

いつも、もっとほかにある気がしている間中、出会いの質は悪い。
どんなにいいものを持っていようと、出会いの質で、私たちは次に深めるかどうか?を決めてしまうのです。
その時に集中していなければ、次の出会いはもっと質の悪いものになってしまう。質の悪いところに人は集まらない。質の悪いレベルにあった人や物が集まってくる。

さて、質とは何か?
自分をちゃんと観ることとか、相手の存在をちゃんと味わう事とか、そのような瞬時瞬時の積み重ねの中にあるような気がします。