音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

バッハの次男カール エマニュエル バッハ

2021-11-30 22:32:35 | バロック
夫が飼っているメダカの鉢。
ヒレタゴボウが咲いていましたが、さすがに寒くなって来ると花は終わって緑の葉ばかりに。

カール エマニュエル バッハ(1714-1788年)


神聖ローマ帝国ヴァイマル公国生まれ、ハンブルグ没。
ヨハン セバスチャン バッハの初めの妻 マリア バルバラとの息子の1人です。
7人の子どものうちの次男。
成人したのは四人です。
1720年マリア バルバラが亡くなり、バッハは18ヵ月後にマグダレーナ ブルケン
と結婚しました。
彼女との間には13人の子どもをもうけました。

父親から音楽教育を受けましたが、ライプチヒ大学で法学を学びます。
卒業後、音楽を選ぶことをしました。
フリードリヒ大王がフルートを吹き、クラブザンをエマニュエルが弾いています。
1885年に描かれました。

24歳の時にフリードリヒ大王に仕えると世間の評価は一変し、人気の音楽家になりました。

父より人気でしたが、父に学んだことを生涯アピールしていました。

クラヴィーアの名手で、最も曲を残しているのはクラヴィーアのための曲です。

結婚し子どもを成しましたが、三人に制限しています。
父亡き後、妹たちの経済的支援をしていますが、マグダレーナの支援はしていません。

この動画はディヴェルティメントH,642です。


舞楽見て来ましたs。

2021-11-30 00:29:25 | 日本
大阪市役所のイルミネーション。


市庁舎も、

きれいです。

好きなのはイルミネーションの出口にある中之島中央公会堂。
1918年岩本栄之助さんの寄付によって竣工。
以来国内外のアーティストが公演しています。老朽化するも、残す形で耐震性、バリアフリーなどを加える形で修復。今は現役です。


今日は母と天王寺舞楽を見に行って来ました。





美味しい窯やきピザを頂いて、サツマイモのクリームブリュレまで食べてからフェスティバルホールの大ホールへ。








こちらもリニューアル済みできれいです。
プログラムは天王寺舞楽。
今年は聖徳太子御聖忌1400年にあたるそうです。

生没年ははっきりしていませんが、ゆかりのお寺四天王寺さんで来年4/22までを法要期間と決めて、いろいろな法要をされるそうです。

舞楽は笙、篳篥、笛、太鼓で演奏される曲に乗って舞われる舞のことです。

推古天皇(554-628年)の頃からほとんど形を変えずに伝わっています。

蘇利古
太子お目覚めの舞と言われています。

仏教を入れたい太子と反対勢力との戦いの舞。
絢爛豪華な舞楽に目が釘付けに。
今回は百済、林巴国(南ベトナム)から伝わった舞と世俗の酔っぱらいの舞、宮廷作曲家の舞などを披露されました。

4/22には四天王寺さんの法要でたくさん舞われる舞のダイジェスト版だそうです。

四天王寺には聖徳太子時代から伝わる笛が二本あるそうです。

その笛、龍笛と篠笛で、笛の吹き手のトップ奏者が吹くそうです。
聖徳太子の化身のような扱いで、必ず聖徳太子を舞って、仏様の前にその笛をお供えしてから法要を始めるそうです。

舞楽は聖徳太子の時代から仏様に捧げられるだけでなく、外国の賓客をもてなすために舞われたそうです。

国力を示し、侵略を諦めさせる意味もあったと言います。

4拍子の3拍目に、太鼓がなるリズムがおもしろかったです。














リュリのシャコンヌ

2021-11-28 22:04:15 | バロック
ハナガササンゴ属沖縄の海の中にいます。
軽石襲来のせいか、浜辺に打ち上げられていました。



ジャン=バディスト リュリ(1632-1687年)

トスカーナ大公国フィレンツェ生まれ、フランス王国パリ没
ギター、ヴァイオリンを独学で覚え、14歳の時に、ギース公ロジェに見いだされ、フランスへ行きます。

グランドマドモアゼル、アンヌ マリー ルイーズ ドルレアンに仕えながら音楽教育を受けます。
1652年に「王の夜のバレ」に出演するとルイ14世に気に入られ宮廷作曲家、踊り手、器楽奏者になりました。

太陽王ルイ14世(1638-1715年)
以来、バレを一緒に踊るなどして寵愛を一身に受け、次々とバレ、オペラ、コメディバレ、抒情悲劇、宗教曲を書き、上演します。

バロック音楽の通奏低音で音楽を推進していく方法を縦横無尽に使い、その方法を構築して、その後の音楽に多大な影響を与えました。

舞台のクライマックスでシャコンヌやパッサカーユが使われ、メヌエット、ブーレ、パスピエ、ガボット、ジーグ、サラバンドなど新しい舞曲を取り入れ、アルマンドのようなルネサンスの古い舞曲は2/4にするなど、新しくリニューアルして使いました。

先日ブログに上げたペルー由来の明るく快活な舞曲のシャコンヌに悲哀を与えたのもリュリです。




木製頭部管選定にお付き合い

2021-11-27 22:10:18 | 楽器
今日はKさんの楽器の選定に行きました。
楽器屋さんでは無いので、おもしろいのでついて行きました。


選定の前に、はまぐり庵でランチ。
美味しゅうございました。

木の頭部管をご所望です。
私の黄柘植を吹いて、欲しくなったそうです。

歌口工房Takamuraの高村さんの製作です。
日本の世界に誇る木製頭部管です。
3本用意してくれていました。

一本目は

アフリカセンダン。
SANKYOに着けて試します。
高音も低音もよくなります。
特に高音の立ち上がりが素晴らしく、ストレスフリーで
鳴ります。


山桜。
これは金属のフルートの音に一番近かったです。
安定の吹き心地。


最後はレッドハート。
マメ科のチャクテコックというメキシコ原産。家具によく使われる木材です。

低音がより良く鳴ります。
おもしろい響き。
トラヴェルソに近い木製特有の温かみのある音色がします。

どれも素晴らしい音でしたが、バランスの良いアフリカセンダンとトラヴェルソに近いレッドハートと迷い。
一時間位迷っていました。

私も吹かせてもらいました。
木製なので、ほのかに木の香りがします。

山桜はやっぱり少し甘い桜の香り。
アフリカセンダンは、結構香りが強いです。
白檀と同じ科で用途も同じだそうで、お香に使われているくらいでいい香りです。

レッドハートは控え目な香り。

香りで選んでもいいかも。

これはTakamuraさん製作のメープルウッドです。
さてKさんはどれを選んだのでしょう?









ペルー起源のシャコンヌ

2021-11-26 22:52:50 | リズム
ヒムネオオハシ、
かりゆし水族館にいました。
南米から来たそう。

アルマジロさんもアメリカ原産です。

シャコンヌは、3拍子の舞曲のことです。
バロック時代にはオスティナートバス(低音の執拗な繰り返し)による変奏曲とされていました。

以前にも書きましたが、
起源はペルーのチャッコーナchaconaです。

もっとも古いchaconnaが1598年マテオ ローゼス デ オクェンドMateo Rosas de Oquende スペイン生まれの書いた詩の中に出てきます。

彼は1598年から世界を旅し、ペルーに立ち寄っています。

ペルーは紀元前3000年にはカラルという石造建築の残っている文化国です。
地上絵を書いたナスカ文明は800年頃。

14世紀インカ帝国パチャクテク王の時代には統一と征服を経て黄金期を迎えます。
1200万人の人がクスコ中心に文化的な暮らしをしています。
1529-1532年の内戦で消耗したところにスペインのピサロの侵略に合います。
1533年最後の王が絞首刑になり、インカ帝国は滅亡します。

ヨーロッパからもたらされた疫病の蔓延や、
金銀の炭鉱労働での搾取などでインカ帝国時代に1600万人いた人口は18世紀には100万人にまで減りました。

ペルーの音楽史を調べるとスペイン侵略後の土着の音楽とヨーロッパ音楽が混ざったものである。と出て来ますが、スペイン以前の音楽の記述を探すことができませんでした。

実際には、スペインにもたらされたペルーの音楽はヨーロッパ中を席巻していました。

初めはスペインで性的な含意のある風刺の聞いた陽気な舞曲として流行りました。
その為1615年、政府に禁止され初期の完全な楽譜は残っていません。
五弦ギターの伴奏で、ⅠーⅤーⅥーⅤの和声進行を持つことがわかっています。

イタリアではオスティナートバスがより、自在に変化し、快活でおどけた感じでつたわります。パッサカリアと交互に演奏されたりします。
鍵盤楽器で演奏されるようになりました。

フランスには1650年頃に伝わり、独自の展開を見せます。
安定した抑制のきいたものになり、バスも変化し、器楽独奏やバレで踊られるようになります。短調のシャコンヌも現れるようになります。

ドイツでは、イタリアのチャッコーナを模倣するような形で入り、オルガンで演奏されます。
器楽アンサンブルはフランス風の抑制のきいたシャコンヌが入ります。

バッハの無伴奏パルティータ第2番の終曲シャコンヌはフランス風とドイツ風が融合したところにあります。

ヨーロッパによってもたらされた凄まじい破壊で失なわれたペルーの音楽が、ヨーロッパの中でこのような形で生きている。哀しく、でも力強さを感じます。



アリア

2021-11-25 22:53:48 | 音楽様式

飛行機に乗ったら、撮ってしまいます。

アリアaria
と言うイタリア語の意味は、空気、態度という意味の他、
音楽の節、旋律を意味し、抒情的、旋律的な歌という意味があります。

舞曲ではない歌。

レシタティーボ(語りのような歌)の中の旋律的な部分を指しました。

伝統的なイギリス民謡の歌を指すこともあります。
歴史が下るにつれて、オペラの中の抒情的な歌を指すようになりました。

モーツァルトの「魔笛」の中の夜の女王のアリア。
ソプラノの超絶技巧です。
オペラ歌手を目指す人なら誰もが一度は挑戦したことのある曲ですが、誰もが歌えるわけではありません。

復讐の炎は地獄のように燃え
と、歌い娘のパミーナに夫ザラストロを殺すように迫る。恐ろしいアリアです。


ホフマンの舟歌

2021-11-24 23:20:52 | ロマン派
かりゆし水族館の大水槽。
上から見ることができます。
足下に広がる世界はいつまでも見ていられます。

ジャック オッフェンバック
(1819-1880年)

プロイセン ケルン生まれ、フランス共和国 パリ没。
ユダヤ系の音楽家の息子のとして生まれ、父から音楽手ほどきを受けます。
母からチェロを学ぶとヴィルトゥオーゾとして活躍します。

パリ音楽院に入学するも一年で中退。オペラコミックのチェリストとして働くうちに、オペラ コミック座でオペラを書きます。
最初は失敗して、8年間筆を折ります。
その間チェロのパガニーニとして名声を得ます。
1844年カトリックに改宗し、エルミニー ダルカンと結婚します。
1855年ブフパリジャン劇場を設立、経営に乗り出します。

オペラ上演に次第に成功し出します。
1864年から十年間、フランス帝政下で成功に継ぐ成功で、ブフ・パリジャン座、ヴァリエテ座、パレ=ロワイヤル劇場、オペラコミック座の各劇場でオッフェンバックの作品が同時に上演されるということが幾度もありました。
1871年普仏戦争で第二共和国が成立すると、オッフェンバックは国民を退廃させたと槍玉にあげられます。
オペラ座は破産、オペラは成功しなくなります。
それでも、この十年間で40ものオペラを書き続けます。
最晩年の成功作の一曲が「ホフマン物語」です。

1851年ホフマンを主人公にした戯曲をオデオン座で見てオペラ化を決めます。
放蕩を繰り返し、いくつもの恋に破れ、絶望の中からまた著作を初めるホフマンに自分を重ねたと言われています。

本人は1880年に亡くなり、81年エルネスト ギローにより初演されました。
実際には何枚もの楽譜や何パターンものストーリーのモチーフが残され、その上火事で初稿が失なわれ、いろいろな人が補筆を試みいろいろな版が存在しています。

ホフマンの「舟歌」はホフマンの恋人で娼婦のジュリエッタと詩のミューズ(女神)がヴェネチアで歌うデュエット。
誘惑的でありながら、不吉な恋の行方を示唆する魅力的な歌です。


本番5曲お礼

2021-11-23 23:52:32 | コンサート
夙川公民館の前の道。
桜の古木の紅葉がきれいでした。

今日は、西宮ギター練習会発表会コンサート本番でした。

私が演奏する初めは
テデスコの「ソナチネH205」
明るく、さわやかな1楽章、透明感な哀愁の2楽章、スペイン風の狂想曲風の3楽章。
岡山さんのギターが絶品でした!

プホールの「ブエノスアイレス組曲」
決然とした勇敢な1楽章、光と影の2楽章、近代の忙しさと一抹の哀しみの3楽章。

繊細で緻密な川原さんのギター、フォローもバッチリ!

チャイコフスキーの絶望のどん底「舟歌」
人生の幸せを歌うレハールの「メリーウィドウのワルツ」

安定感抜群のチェロの渡瀬さん、愛嬌たっぷりのサックスを縦横無尽に操る増川さん、変わった編成の編曲をこなし、朴訥なギターの古橋さん、フルートとの相性も素敵でした。

最後は若いシューベルトとマティエガの合作「カルテット」
ジェットコースターギターの渡邊さんに引っ張られて、フルートもサックスの増川さんもチェロの渡瀬さんも羽根を生やさずにいられません。
4楽章のジャンガラにいたっては、ジプシー奏法で荒々しさを表現してフィニッシュ。

ああ、おもしろかった!

ご来場の皆さん、応援頂いた皆さん、共演の皆さん本当にありがとうございました。




シューベルトの家族

2021-11-22 23:16:57 | ロマン派
今日は、明日11月3日(祝)
西宮ギター練習会発表会コンサート
11:00~夙川公民館ホール

に向けてシューベルトのカルテット最後の合わせ練習でした。

フルート、ヴィオラ、ギター、チェロという珍しい編成の曲をさらにヴィオラをアルトサックスで演奏します。
メンバーはフルート久米、サックス増川さん、ギター渡邊さん、チェロ渡瀬さん。

後、昨日フルート、サックス、ギターのトリオにチェロを加えてチャイコフスキーの「舟歌」とレハールの「メリーウィドウのワルツ」を演奏することになりました。

チェロの渡瀬さんは初めてなので、編曲者でこちらのギター奏者の古橋さんが途中で参加。
こちら組の練習もしました。

マティエガのフルート、ギター、ヴィオラの曲に チェロと三楽章をシューベルト(1797-1828年)が加えて編曲しました。

チェロのパートがとにかく難しい。
チェロのカデンツァがあちこちにあるし、三楽章、五楽章のチェロの使い方にいたってはかなり難しいです。

シューベルトはヴィオラを弾き、兄がヴァイオリン、ギターはゲストで、父親がチェロを演奏して教会で行っていたファミリーコンサートのために編曲したのですが、17歳のシューベルトの父親に対する挑戦?
フランツ テオドールシューベルト(1794-1859年)

ハイティーンの息子の書いた挑戦状を父親はどう思ったのでしょう?

シューベルトは後に父親のチェロの腕前に不満があったと書いていますが、このような曲をすらすら弾いたとすれば、かなりの腕前だったと思います。

そんな家族関係まで推察されるようなカルテットです。

兄のフェルディナンド シューベルト(1794-1859年)は、

二番目の兄でヴァイオリンを担当していました。
教師でシューベルトの死後に楽譜を管理していました。

イグナーツ シューベルト(1785-1844年)
長兄で第二ヴァイオリンを担当。父親の小学校の経営を引き継ぎました。





星は光りぬ

2021-11-21 20:50:12 | ロマン派
かりゆし水族館で出会ったアオヒトデ。英語ではCommen comet star
まさに地上の星。
コブヒトデ Horn star

マンジュウヒトデCojin star
さまざまな地上…いえ海中の星たち

ジャコモ プッチーニ(1858-1924年)

トスカーナ大公国ルッカ生まれ、ベルギー ブリュッセル没

18世紀から続く宗教音楽家の家系ですが、オペラを書いたのは彼だけだそうです。
5歳で父を亡くし叔父に育てられます。
教会オルガニストの職を得ますが、ヴェルディの「アイーダ」をみて、オペラ作曲家を目指します。

ミラノ音楽院を出て、1852年コンクールに作品を出しますが受賞を逃します。
しかし、楽譜出版のリコルディが注目し委嘱作品「エドゥガール」を作り、トスカーナ地方の家を買い、そこで「マノン レスコー」を書き大成功します。

続けて「ラ ボエーム」「トスカ」「蝶々婦人」を書きます。

「トスカ」は1900年
ヴィクトリアン サルドゥの戯曲をもとに
ルイージ イリッカとジュゼッペ ジャコーザ二人の台本で作曲されました。

リコルディの依頼で、初めはヴェルディ、次にフランケッティが作曲することになっていましたが、ヴェルディは断り、フランケッティは完成できずプッチーニにまわって来ました。

プッチーニは感情を害して断りましたが、尊敬するヴェルディに勧められ受諾します。

3年間の苦闘の末、1899年上演し、大成功をおさめます。

この「トスカ」の中で歌われる「星は光ぬ」
有名な歌手トスカの恋人画家のカヴァラドッシは、政治犯の友人をかばい投獄されてしまいます。

トスカは彼を救うために警視総監スカルピアに助けを求めます。

スカルピアはカヴァラドッシを拷問にかけ、政治犯の友人の居どころをトスカから聞き出します。

そしてトスカが身を任せるなら、銃殺するふりをしてカヴァラドッシを助けることを約束します。

トスカは取引に応じ、スカルピアは部下に助けることを命じます。

牢ではカヴァラドッシが死刑を前に絶望して「星は光ぬ」を歌います。

トスカはスカルピアに迫られ「これがトスカのキスよ。」と食卓にあったナイフをスカルピアに突き刺し絶命させます。

その後カヴァラドッシに助かるのでうまく倒れてねと伝えます。
サンタンジェロ城で

銃殺が行われ、カヴァラドッシに駆け寄るトスカ。
しかし、スカルピアは助ける気など初めからなく、銃殺は本物でカヴァラドッシは死んでいました。

警備隊が殺人に気づき、トスカを逮捕にやって来ます。
しかしトスカはサンタンジェロ城の上から身を投げて死んでしまうのでした。