音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

病院狂騒曲

2013-04-30 21:01:31 | Weblog

芝桜は、京田辺市役所のロータリーに咲いていました。

今日は、朝から、父の病院に。
29日の夕方近所のモールで買い物をしていると、母から電話。父の導尿管がつまり、おまけに前立腺の腫れがひどく菅を通せない。膀胱に直接針で穴を開けてそこに管を通す処置をしたいので、印鑑持ってきて。
「えっ!内科の先生だけちがうん?」
「そうやけど、仕方ないねんて。」

病院に行ってみると、もう処置は終わっていました。
「看護師さんから、夜も付き添ってくださいって言われたわ。」
「抜いたら、今度はもうすぐ命が危ないから。って」
「私泊まろうか?」「いや、いい。」
「まずい。1日から4日まで、夫と、沖縄に旅行に行く予定やから、手伝えないよ。」
長男は免許を取るために愛媛に16日まで合宿。妹は夜勤続きで無理。


「明日、関西医大に受診に行って、そこで受け入れてもらえたら、転院するって。」
「泌尿器科がないから。」
「どうやって手術したの?」
「内科の先生が、泌尿器科の先生に電話で聞いて。」
「はあ…。」
「それで、あすは泌尿器科のある関西医大に11時半に予約入れてくれたから。」

朝、早めに行ってみると、両親はもう準備出来ているというので、紹介状をもらって、私の車で、出発。
10分以上いったところで、母の携帯に電話が、出てみると田辺中央病院からで、書類を間違って渡したので、取りに帰ってください。
早めにいった効果は消え、連休の谷間の月末で、どこもかしこも渋滞。
たって歩くのもままならない父を乗せて、1時間半。予約時間ギリギリで関西医大につきました。

予約といっても外来の間に受診が、1時間後。
エコーをとって、膀胱鏡というもので、前立腺に管を入れ直し、膀胱に入れた管を抜いてくれました。

結局、膀胱にあいた傷がふさがるまで田辺中央病院に入院して、その後は、しばらくは入院は必要ないとのことですが、導尿のケアーはずっと必要。また、3ヶ月後に手術するかどうか?診断して、もし、必要なら、京都府立医大へ送られることになるので、それなら、導尿のケアー、認知症、手術までできる関西医大に退院したら、かかりつけ医を変わっていただくことにしました。

全部受診終わったら、3時半。
そこから田辺中央病院に引き返し、また入院。
母と話していたらいろいろ出てきました。
まず、先日診断してもらった精神科の先生が提案してくれた薬が、全く出ていなかったこと。
それから、付き添いの母が寝ていたのが、一人がけの待合室用のソファ一つだったこと。

内科の先生に、関西医大での話をお伝えして、認知症の進行を遅らせる薬は処方してくれることになりました。それから、付き添いは難しいことを、看護師さんに伝えると、やっぱりそれは困る。それでは、つきそいさんを頼めないか?と聞くと、つきそいさんは長年見ていないそう。

妹が「父は、慣れてきたし導尿は、緊急なことはないので、大丈夫ではないですか?」というと、「26日に管を抜かれて血だらけになってはりました。」
「そんな話、聞いてない。初めてきいたわ。」と私。
なんで今まで黙っていたのだろう?

看ると言った手前、失敗があってはいけなかったのだろうか?
そのせいで炎症が進み、血腫ができて、あげくに開けなくてはいい穴を膀胱に開けられたっていうこと?

いやいや、そんな風に考えちゃいけない。看護師ははじめから夜間、休日は人数は少ないし、泌尿器科は精神科は非常勤。設備がない中の、緊急処置だったんだから。

退院まではここにお世話になるしかないんだから。

看護師さんにベッドをお願いしても、ない。包括支援室の担当さんに来てもらいましょうと言われて、相談できることになりました。

つきそいさんも探してくれました。高いけど、仕方ない。しかも明日しか無理。

ベッドを何とかしてくれないか?と聞いたら「話してきます。」
で、しばらくして入ってきたのは、待合室に置いてある3人掛けのソファー。

ああ、気になる。これで、大丈夫か、
帰って、次男にも予備校の休みの3日、4日に実家をのぞいて、手伝いに行ってくれるように頼み。
あすから、沖縄・・・。


友達

2013-04-26 22:34:46 | Weblog

看板ができてきました。木曜は、Gさん、Tさんと看板つくり。
完成まであともう少し。

息子の幼稚園のママ友ではじまった二人。
卒園間近の、クリスマス会で、PTAで、他のママたちと音楽会を企画しました。ピアノをTさんが弾いて、私がフルート。ドビュッシーの月の光を生音でのバック演奏、絵本を読んでもらいました。
他には、クリスマスの物語。

ポケモンのテーマ曲と、となりのトトロのさんぽでは、Gさんの発案で作ったマペットを手にする人、まっくろくろすけを手にリコーダー演奏や、太鼓、木琴などで子どもたちと大合唱。
おおうけでした。

その子どもたちも、もうはたちを越え、お付き合いも形を越えながら続いています。

「お父さんが、どうもおかしい。」「早く、手続きしたほうがいいよ。介護認定って時間かかるから。」
「看板作りたいけど、もう随分トールご無沙汰で忘れちゃって描けないよ。」「うーん。私も、一緒に思い出しながらやろうか。手伝ってあげるよ。」
「息子の行く末が心配。」「うちも。」

手を動かしながら、話しながら、できてしまうのが惜しいくらい。一緒に何かをつくるのが楽しいです。

今朝は、Sさんと、アンサンブル。
5月26日にする勉強会の打ち合わせ。
ヘンデルのフルートソナタや、アメージンググレイス、魔弾の射手をざっと合わせます。
Sさんはママ友ではありませんが、同じ頃付き合い始めました。
また、ここでも、父の話しをしてから始まり。
あちこちで、同じことを友達に何度も聞いてもらって、だんだん癒されてきます。

今朝、母から電話で、父を転院させるために、田辺病院が関西医大に聞いて、打ち合わせ日を予約したとのこと、GW前にすませたいと、30日。・・・うーん。予定があるのになぁ。
足が無いので、タクシーか、バスっていきなりすぎるでしょ。1時間以上乗り換えなら掛かるし。
導尿してから、一回も外を歩いてないのに。

しかし、次の予約となると、GW終わってから。ベッド代も馬鹿になりません。
やっぱり私が行くしかありません。予定をキャンセル。今月何回目?

仕方ないよ、主婦はそれがしごとだから。責任のある仕事を任されないからって文句言わないことだね。

いい加減な気持ちで音楽をしているわけではありませんが、かと言ってそれほど稼ぎになる仕事でもなく準備や練習などが目に見えない時間が異常に多く、あと回しにしているうちに、時間がなくなって、きています。

一日に一度も吹かないなんて、それだけは自分の中では許せないので、どんなになっても、時間をとっていますが、余裕のあるときに立てた計画のおかげで、何回か飛んでしまっています。

バランスを考え直さなくてはいけない時期に来ているのかもしれません。そんなことも話を聞いてもらっているうちに、気づいてきました。


病院ラプソディ

2013-04-25 22:47:27 | Weblog

ハナミズキがどこも満開です。


日記が今週は一日遅れです。
昨日は、父をやっと精神科に連れて行きました。
22日に退院のはずだったのに、その日の朝、内科の先生が退院を判断するからと言われて病院で待っていると、先生がいらして、「午後の泌尿器科の先生の話を聞いてから判断します。」ということでした。
午後になると、泌尿器科が混んでいるので、4時から6時の外来の間に呼びます。ということで、5時半過ぎてから呼ばれていくと、「泌尿器科としては、退院しても構いません。」
さあ、では退院かと思って聞くと、「内科の先生はもう帰りました。」
「へ?」
「明日はお休みなので、24日に判断されます。」
24日には、精神科の予約と、ケアー施設スタッフとの打合せの予定です。

「では、24日に全部一緒だね。」

ところが、23日。
電話で精神科のあるE病院から「退院していないと、会計が入院中の病院になるので、田辺中央病院とやりとしないといけないので、延期できませんか?」
「看護師の妹がこのために休みを取ってきているので、無理です。」
「わかりました。中央病院とはなします。」

23日の夕方、母から電話。
「昨日、お父さん、また、管が詰まって明日退院できなくなった。退院日が決まらないと、予定が立たないので、ケアー施設の相談はできないんだって。それから、主治医の先生に紹介状を書いてもらわないといけないんだって。それをやっときますからって、それから、泌尿器科の先生に午後見てもらうんだって。」

「精神科に11:30、泌尿器科に4時から6時だね。相談はなくなった。ってことだね。」

さて、次の日、外出許可をもらい、紹介状をもって、E病院に。
予約しただけあって、すぐに呼ばれて入ると、「まだ、入院されているんですね。田辺には神経内科があるんですね。」
「神経内科を受診したのですが、うちでは認知症の診断できないので、精神科のある病院を受診してくださいといわれたので。」
「神経内科あるんですね。入院中なんですね。」
「診断できないといわれたので。」
「退院はまだなんですね。」前の、泌尿器科にかかった時のことが頭によぎった。かかりつけ病院以外に行くのはタブーなのだろうか?
「なぜ、診断できないのか、私たちは、向こうの事情はわかりませんが、そう言われたので。」
すると、やっと「認知症の診断はテストがあって、パソコンからその問題を出すので、それで判断します。」・・・誰でもできるってこと。

20問の問題、今の季節はいつ?100から7引いて、もう一度7引いたら?今は何年何月何日?
20問中父が正解したのは13問。
「初期の認知症です。進行を止めるお薬が4種類あって、お父さんの場合は、そのうち3種類をお勧めします。どれくらい前から、ご家族はおかしいな?と思われましたか?」
「2年くらい前からちょくちょく。」
「今、お薬を飲むのが絶好のタイミングです。進行を遅くするので、今の状態がよくなるわけではありません。また、何かあればいつでもお出で下さい。でも、うちでお薬をだすわけではなく、私が田辺中央病院に手紙を書いて、お薬をおすすめするので、それによって、あちらの先生が選んで処方されます。」

久しぶりに、お昼を家で食べて、母と父を妹が病院に送り、私は歯医者なので、家に帰ってきました。
泌尿器科に4時から6時受けるから。
歯医者に行って6時半頃家に帰ると、母からメール。
「泌尿器科の診断は今日はないと今聞きました。これから帰ります。」
はぁ~。
どうなっているのやら。





子育てサロンのパネルシアター作成

2013-04-24 22:37:58 | 子ども

火曜日、自宅で、子育てサロンのスタッフ5人と、パネルシアターさんぽの作成をしました。

あるこ、あるこ。私は元気。歩くの大好きどんどん行こう。
坂道、トンネル、くさっぱら
一本橋にでこぼこ砂利道
くもの巣くぐって下り道

ひなたにとかげ、へびはひるね。

ともだちいっぱい たのしいな


もう、プロ?!
出来栄えの良さに、うっとり。
サロンのスタッフは、どんどん洗練されてきています。
宿題で、Mさんが持ち帰ってくれたみつばちと、ばったも、きっと、いい出来だと思います。
とっても楽しみ。

介護の苦労も、聞いてもらって、いろいろ教えてもらって、軽減します。
こんな場がある私は本当に幸せです。、

5月のサロンは、さんぽとおべんとバスで、ハイキング遊びをします。


樟蔭マンドリンソサエティOG会

2013-04-23 23:53:01 | 音楽

日曜日、樟蔭マンドリンソサエティの創部50周年OG会。
ホテルグランヴィアで宴会でした。

美味しい食事と、懐かしい人たち。それから、アンサンブルフィオーレの演奏。
樟蔭の伝統の美しい音色は健在でした。
やっぱり、いいなぁ。

創部当時のメンバーの一人Kさんのスピーチ。
現役のメンバー不足について、「この人たちと一緒にやりたいという空気が大切よ。」優しく含蓄のあるお話に、感動。

長く現役の練習を見てくださっているK先輩は11期。
進行や、MCは19期同期のSさん、22期のYさん。
写真をとってくれていたのは、43期のYさん。
現役の学生も、来てくれていました。
すべてのメンバーを知っているわけではありません。スタッフとして、はがきをおくったり、準備、お世話をしてくれた人たち、OG会の経理、運営をしてくれている人たちに感謝です。

私は嫁ぎ先の福岡からやってきた同期のMさんと、20期、22期のみんなと同じテーブルで、現役の時にはできなかった子どもの話や、親の話をして旧交を温めました。
同じく同期の3人はスタッフだったので、席に着く間もないくらいで、あまり話せなかったけれど…。

こういうことを当たり前のように、きちんきちんとするとのは、なかなか出来ることではありません。

大勢のメンバーがいると、いろいろなことが起こります。自分たちのやりたいことを、やりたいようにやってOKということもありません。
いろんな人の話しを聞きながら、出来ること、できないことを分類しながら、大きな気持ちで抱きとめて、OG会は続いています。

私などはいつも参加させてもらうばかりですが、本当、運営してくださっている人たちに感謝です。
そして、また、こらからもOG会が続き、再会できることを心から祈っています。




樟蔭マンドリンソサエティの蒔いた種 プレイアディ

2013-04-22 23:03:03 | コンサート

実家の庭に、ユスラウメ、山桜桃梅が咲いています。
小さな可愛い花の後、赤い実がつきます、名前のように、さくらんぼと梅の間のような、少し酸っぱめの味がします。
今朝は、病院で、退院後のケアーの体制をつくって退院しよう。ということで10時に介護認定審査、12時に母のCT検査、2時にケアマネージャーと打合せ、3時に、主治医の内科医の先生の診断、6時に泌尿器科の先生の診断。
一日中、病院にいて、結局、全部終わらず、24日に持ち越し。話を聞いていると、それだけでもまだ終わらず、介護ベッドを入れたり、デイサービスを利用できるようになるには、各機関へのたくさんの手続きや、相談が必要だそうです。
妹は、普通にフルタイムの看護士をしていますが、3月末に入院してから、やっと2回目の休み。
その間に、私は、病院に10回以上、市役所、支援センターを回り、支援室の相談、物忘れ外来の予約と、一度、病院に来るとついでに、2、3件の手続きや相談を済ませという状態。
足のない母だけではとても無理。妹も、夜勤明けなどで疲れた中くるので、朝は来なくて良いとメールしたり。退院してからも、少しでも落ち着いて生活をするために、がまんがまん。

土曜日はマンドリンアンサンブル プレイアディの第6回演奏会が日本福音ルーテル大阪教会で行われました。

忙しくても、このコンサートは外せません。
大阪樟蔭マンドリンクラブの、先輩たちがたくさん出演されている上に、今回は樟蔭ブラスバンドクラブ時代の、顧問で恩師橋本剛先生が、リコーダーで出演されました。本当に懐かしく、お会い出来て嬉しかったです。

ムニエルのアダージョとロンド、アンブロジウスのセレナーデのマンドリンオリジナル曲は、よく揃っていて美しかったです。

クラウディオ・マンドニコのリコーダーとマンドリンオーケストラのための協奏曲ファブルスは、1996年に作曲された近代の曲でアーサー王物語の伝説をもとに描かれた曲で、1楽章魔術師マーリン、2楽章妖姫モルガン、3楽章地の精ノームと標題がついています。
リコーダーと、アルトリコーダーを駆使して、伝説の世界が繰り広げられます。
この編成の近代曲は滅多にありませんが、とっても合います。ヴァリエーションがあって面白い。
橋本先生、さすがの演奏でした。

後半はメンデルスゾーンの春の歌、フォーレの子守唄、リストの愛の夢と、春らしい癒される小品。
ギター、マンドチェロの豊かな表現力が出ている作品で、驚きました。

最後はエドゥアルド・アングロのメキシコ組曲
これも、近代1987年の曲だそうですが、メキシコの民族舞踊のハラベ、ウアバンゴ。
セレナータ、ワルツ、ポルカなど、ヨーロッパで特徴的な曲を、メキシコ風に表現したもの。
それぞれの特徴を備えながら、これぞメキシコ。という曲で、とてもおもしろかった。
ラテンや、メキシコは、プレイアディの得意分野になりつつあると思います。

特に撥弦の、一糸乱れぬ連携と、繊細な表現は他のグループではできない、驚異的なこの楽団の持ち味だと、もう言えると思います。

樟蔭マンドリンクラブは50年前に、たった3人で始まりました。
3人で蒔かれた種から、今ではたくさんの芽がでて、あちらこちらからいろいろな花を咲かせています。

卒業生だけで大きなグループを作ってさらに音楽を磨いて大木のようにそこにずっしりとあって活躍しているフィオーレというグループ、プレイアディのように、いろいろな人に出会いながら学び、色を変化させながら展開しているグループ、地方に飛んで、そこで、全く新しいメンバーと種を蒔き、育てているグループ、一人で得た土から芽を出し育てている者たち。
音楽をしても、していなくても、形や色は違っても、人生の中ではたった4年か、2年なのに、そこで、蒔かれて、耕された土と種はそれぞれの人生の中で豊かに大きく育っています。

一緒に演奏していてもしていなくても、あの3人が始まりで、あの4年間が始まり。
その故郷で喧嘩もした、叱られたし、怒ったし、泣きもした、でもまた笑って仲直りした。

音楽には何もかも昇華して手をつないで、みんなで一つのものに向かって創り上げていく力があった。

音楽を通して、違いを乗り越え、違いを喜び、美しく、厚い友情で、つながることを学んだ。それだけは、忘れないでいよう。











音楽の喜び

2013-04-20 00:52:58 | 音楽

連翹(レンギョウ)4月6日、病院の生垣に咲いていました。黄色は元気が出る色です。病院には、必要だと思います。

5月7日、ドルチェアーティストサロン、6時開演
アルド・バーデン公開レッスンに、申込みました。ベルギーロイヤルフィルの主席フルート奏者。
聞くのも、受講するのも、今回が初めてです。

海外から講師を読んできて、開くのは大変なこと。日本にいながらにして、いろいろなスタイルの奏者に出会えるこんな機会を用意してくださるドルチェ楽器のスタッフに感謝です。
とっても楽しみです。

西洋音楽は日本に根付いていない。と某政治家が言っていますが、毎日毎日、大金をかけて大量に流される音の洪水のなか、広告ベースにも乗らず、よくぞ日本中の人に愛されていると思います。

どんな小さな街にも、コーラスの団体がいくつかあり、都市には、プロ、アマのブラスバンド、交響楽団。室内楽団があり、ピアノ教室、ヴァイオリン教室、フルート教室がいくつあるか?

テレビに出ている人は、テレビで露出していないと、流行っているとカウントしない。
稼げるかどうか?が問題なのです。

音楽を愛し、日々時間とお金をかけて、自分の体や心を高めることに人生の時間を費やすことの楽しさと、満足感。小さな発見や、進歩を喜べること。
人と比べることはない。自分自身の進歩があるだけです。

ほんの些細な違い、たとえ、人が通った道だとしても、自分のこの小さな肉体を通して経験することはすべて新しい。そして自分の心と身体で経験していったことは、たとえ機能が失われたとしても、なくなることはありません。

命を得たものは、必ず最後は失う。それまでの時間を何に費やすか?
私は私の見つけた中で、一番美しいと思ったものに費やしたい。


モーツアルトが吹きたい

2013-04-18 23:08:56 | 音楽

明石潟という椿は、とにかく巨大です。写真ではわかりにくいですが、花一つが子どもの頭くらいの大きさです。これが、木にたくさん咲いている姿は、圧巻。

モーツアルトを、演奏していると、基本奏法について真剣に考えざるを得ません。
ちょっと、音程がずれたり、リズムがずれると、それは、もう気持ち悪い。
他にも似たような音楽を作る人はたくさんいるのに・・・。この気持ち悪さで、モーツアルトほど際立つ曲はない。

なぜ?
モーツアルトの曲では、意外なこと、奇をてらったこと、変わったことは、何もないのです。
五度の和音が、並んでいて、きちんと解決。
DdurならDdurのスケールが順番にきちんと並んでいます。

普通なら、つまんない。真面目なだけの凡庸な曲になりそうなのに、それが、美しく楽しい。
モーツアルトは、きっと、ドレミファソラシドと弾くだけでたのしかったんじゃないかな?

ドレミファソラシドと、次は、レミファソラシド。
そしれ、ドミレファミソファラ、ラソファミレドシ。

音楽を習いたての子どもの頃、順番に吹くだけで、何時間も吹いていたように、単純なこの調和の並びを、あっちから、眺めたり、こっちから眺めたり。

ただそれだけで、美しく満足。

だから、難しい超絶技巧の曲ではなく、モーツアルトがちゃんと吹けていれば、すべての曲が楽々と美しく吹けるということになるのだと、みんな気がついています。

どこっまでいってもモーツアルト、モーツアルト。
まだ、道半ばです。


友達

2013-04-17 21:30:46 | Weblog

ご近所の、トキワマンサク。毎年、見事な紫の花の生垣ができるのを楽しみにしています。
今日は、包括支援室に相談。退院後に、スムーズに支援を受けられるように、いろいろ考えてくれているみたい。
ケアマネージャーさんを派遣してくれるそうです。

母も、援助を受けることをだんだんと納得しているようです。

夕方、Mさん宅で、以前から頼んでいた服のお直しをしてもらいました。Gさんも来ていて、3人でお茶をしながら、老親のこと、子どものこと、いろいろ聞いてもらったり、話したり。
話していると、真っ只中にいるだけでは、ぼうっとしているいろんなことが、整理されたり、別の角度で見れたりします。

話しながらも、Mさんの手はどんどん動いて、身体に合わないトップスがいい具合に直されていきます。
服が直ったら、今度は、台所で「ちょっと、作業させてね。」とMさん。
帰る頃には、パックに詰めたおはぎが2軒分。

外に出ると、お庭に植えてあった三つ葉を「持って帰って。」と切ってくれました。

ご近所の友達は、こういう時のオアシスです。
おはぎは、すぐに予備校から帰ってきた息子のお腹の中におさまり。

三つ葉は、薄揚げと炒めて、だしとお醤油で味付け、ハート型のパスタと絡めて、和風パスタサラダとして頂きました。
とれたてで、香りの高い三つ葉。おいしかった。

味も心も温まりました。ありがとう。



終わらない介護保険手続き

2013-04-16 20:55:18 | 日記


チオノドクサ ルシリアエ。日本語のような気がする学名は、ギリシャ語で、チオン「雪」、ドクサ「輝き」、英名で、Gloly of the snow。というそうです。ルシリアエは、発見者の奥様の名前からとったそうです。

昨年、100円均一で3個入っていた球根を買って植えたら、咲くどころか、芽もでなかった。
100均はやっぱりダメだと、がっかりしました。
それでも、生きているかもしれないと、捨てずに空いていた小さな鉢に移して、ほかの鉢に水をやるときに、ついでに水をかけていたら今年は、咲きました。名前だけでなく、和の鉢が似合う、山野草のような花で、もうけた気分です。

今日は、田辺市役所に介護保険の手続きの続きをして、そのあと、父が入院している病院で認知症を診断してくれる神経内科の先生が、1時にみてくれると聞いて、母と、病室で待っていたら、なかなか来られません。

ナースステーションで聞いたら、「外来が混んでいるので、そこに入れ込んでいくので、遅くなります。」ということで、父の体をふいたり、お茶を飲んだりしていました。

2時半頃になっても来ない。「ちょっと、様子をきいてくるわ。」ともう一度ナースステーションに行くと、ちょうどそこにいた看護師さんが、「もう、受診しましたよ。私付き添いました。」「どういうことですか?父が診断を聞いてもわからないし覚えていないので、私たち待っていたのですが。」
「そうだったのですか、もう終わってしまいました。それに、神経内科の先生は、認知症の診断はできないということです。お薬も非常勤は出せないので、内科の先生に出せるかどうか聞いてみますということでした。」

「・・・え?内科のN先生から、認知症の受診を今日ここでと勧められたので、来て待っていたのです。市役所から、介護保険の診断書で、先生の所見を書く用紙ももう、お預けしています。もし、診断できないのなら、ほかの先生に頼まないと。神経内科でなければ、どこですか?」
「さあ、私はよくわからないのですが、精神科と言っておられました。」
「精神科はここにはないですね。ここから、診断にいけるのですか?」
「いけますよ、外出許可を取ってください。」
「認知書の診断をしてもらわないと、介護保険がおりず、退院後の生活ができないので、急ぎます。診断できないのなら、すぐにも、書類を返してください。」
「そうですね、聞きますね。」
「明日、包括支援センターに来るので、その時に診断ができないなら、書類が手に入るように手配お願いします。」
「それから、お薬って何のお薬ですか?」
「興奮をおさめるような薬です。」
「父は、興奮したり、暴れたりということは全く無く、ただ、覚えてられないだけなんです。そのお薬は必要ないですよね。」
「はあ、そうですねぇ。」

お医者さんは、自分の科以外のことはわからない。看護師さんは、どの科が、適当なのかもわからない。
カテーテルを入れた痕の、母の腕の内出血は広がっていて、収まってくるとしか先生は言わないし。病院に不信を感じるできごとが募っています。


明日は包括支援センターの相談で、認知症の診断をしてくれるところにまた連れて行かなくては。
私が車を運転できて時間の自由度が高いから、いいようなものの、車を運転できなかったり、仕事を休めない人の世帯や、年寄りだけの世帯だったら、どうなるんだろう?もうこの辺で、ギブアップじゃないかしら?いやいや、もう、初めの一週間で、ギブだなぁ。
介護って、本当に主婦頼み前提なんだと、感じます。