音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

I先生のマスタークラス

2015-11-30 23:30:21 | レクチャー、マスタークラス

土曜日は、梅田でI先生のマスタークラスでした。

基本奏法のレッスン
ロングトーンは、ビブラートを均一にかけながらゆっくり4拍、音の最後はdim.をかけて消します。
pになっても、音が消えるまでビブラートをかけ続けます。

Fdurのスケールは、B はブリチァルディキーを使います。
音の連携をなめらかにするからです。もちろん、スケールではなくHとBが隣り合って使うときには、ブリチアルディキーは離して、右人差し指かAisレバーを使いましょう。

Fのアルペジオは、音の幅に気をつけて、特にCの音が上がりやすいので要注意。Cの後のFの音は反対に低くなりやすいのでそれも合わせて気をつけること。

スケールは上がる時にcresc.下がる時にdim.長い音符はビブラートをかけます。書いてある音の長さでdim.して終わります。

隣あった音をどれだけレガートで吹けるか?運指を気をつけること、指を上げすぎずキーの上から離さないこと。

当たり前で、簡単なことをちゃんとできるようになることが上達の近道。他の方法は無いということが、先生のレッスンからはよくわかります。

基礎の質を上げること。
一音出すのにもI先生の、集中力は並外れています。
それをそばで見せていただけるだけでも幸せです。


NHKカジュアルクラッシクコンサート

2015-11-28 00:10:56 | コンサート

今日はNHKカジュアルクラッシックコンサートに行ってきました。
妹が観客募集に応募して、当たったのですが、仕事で行けなくなり、私にチケットが回ってきたのでした。
一枚で2名入れるのですが、急なことなので、誰も行けず。
今朝レッスンの時にSさんを誘ったら、OK!

ところが、今日は、松井山手で5時40分までレッスン。父に夕食を作ってから駆けつけることになります。
住道の大東サーティーホールまで、山手の実家から徒歩5分、快速で20分ほど、駅5分。30分はかかります。

開演は6時50分には間に合いますが、当日座席券の引換は5時からで、良い席はなくなってしまいます。
Sさんが、「私が先に行って替えて待ってましょうか?」と、言ってくれたので、「お願いします。」とすぐに便乗しました。

さて、実家に早めに行って、レッスンが始まる前に夕飯を作ります。
ちょうど出来上がろうかというときに、父が帰ってきました。
車を降りる時に介助の方が、
「今日、帰る直前に足が痛いと言われて・・・別に転倒したとかないのですが。」
見ると、いつもに増して、ゆっくりしか歩けないようです。
「お父さん、痛いの?」
「うん。痛いんや。」
『困った。脳梗塞とかじゃないかなぁ?どうしよう?』
と、思いながら、父の顔を見るとそう顔色は悪くない。
言語もしっかりしているし・・・様子みよう。とそのままにして、料理をつくりました。
出来上がったら、ちょうど生徒さんが来て、そのままレッスン。

終わったら、直ぐに料理を温めて、机に並べます。
「お父さん、夕飯用意したから食べておいてね、私今からコンサートに行ってくるから。また帰ってくるから。」
と、言うと「コンサート行くんか。わかった。」

さて、予定していた電車に乗れたのでSさんにメールしておいたら、チケットを交換して、住道の改札前で待っていてくれました。

「すみません、わざわざ?」と寒い中待たせて申し訳なくて、言ったら「いえ、チケット交換して、時間があったので駅前のロッテリアで夕食を食べて、ウロウロしていたんです。」
2人でおしゃべりをしながら駅を出ると、Sさん以前に住道に住んでいたことがあるそうで、近道を行ってくれました。至れり尽せりでSさんには本当に感謝です。
それに、お連れがあると、おしゃべりしながら待てたりしてコンサートも二倍楽しいです。

流石に早く変えてくださったので、前から5番目ど真ん中の席で、聞くことができました。

オーボエ、ヴァイオリン2本、ビオラ、チェロ、ピアノという変わった編成ですが、「クラッシックカジュアルコンサート」という題名にふさわしく、肩の凝らない唱歌やディズ二ーの曲などもあり、トークも全員がそれぞれに自分の楽器が一番の見所!と言ったり、とてもおもしろかったです。

編成が特殊なので、編曲も変わっていて、モンティのチャールダーシュではヴァイオリン2本で主に演奏し、チェロ、ビオラ、オーボエも伴奏に加わっていて膨らみがあっておもしろかったです。

ビオラのために編曲された「浜辺の歌」もピアノもビオラもシンプルで、かえってそれが旋律の美しさを引き出していてよかったです。

あまり演奏されないフランセの「イングリッシュホルン四重奏曲」の一楽章は、軽妙でおしゃれで聞けてお得でした。

アンコールは、山田耕筰の「この道」
楽しかった。

Sさんと、住道で電車を待っていると、「あれ?」という声。
振り返ると列に並んでいるのは「お母さん」
放出のお稽古から帰った母が、偶然住道で乗り継ぎに降りたのでした。
Sさんとは、河内岩船で別れて、「お父さんが、足が痛いっていうのを、置いてきた。」と言うと、「そうやねん、こむら返り。」
「へ?」
「昨日の夜、こむら返りになって、マッサージしたけど筋肉が痛いみたい。」
ほっとしました。よかった。
帰ってみると、父は用意した夕食を食べて、着替えてお布団に入ってテレビを見ていました。
昨日冷えてこむら返りになったので、ちゃんとタイツも履いていました。

ただし、今日は施設でお風呂に入ったはずですが、食後にまたお風呂に入ったみたい。
長男が仕事の前に、お風呂を溜めてくれたみたい。
まあ、よかった。


クレージージングルメドレー

2015-11-26 22:20:23 | 音楽で遊ぼう

クリスマスコンサートでするために、「クレイジージングルメドレー」を作って練習中です。

クリスマスキャロルのメドレー、牧人ひつじをやきよしこの夜、モミの木などのメドレーの間に、ジングルベルのメロディーが入ります。
これに合わせて、子どもたちに体を動かしてもらいます。

ジングルベルは2拍子のアレグロ、テンポの早い縦揺れの曲です。
間に入る曲は大体3拍子のゆったりとした曲。

早くしたり、ゆっくりしたりというテンポの変化と、縦揺れの激しい曲と、ゆったりとした横揺れの曲の違いを身体で味わう作戦です。

それに、子どもたちは繰り返しが大好きです。
ゆっくりした後に、音楽が止めて、少し間をとると、「来るぞ、来るぞ、来るぞ、ほら来た!」という感じで、息を詰めて待っていて、早くなったら大喜び、大笑いします。

サロンに来るのは、3歳までの小さなこどもたちなので、お母さんの膝の上に抱かれて参加します。

あ母さんに触ってもらって、身体を優しく揺すってもらうことや、身体を使って笑うことは、子どもの脳の成長に効果があるそうです。

笑うとシナプス神経細胞が増え、成長ホルモンが分泌し・・・なんてことは、スマホで調べてもらえば、いろんなところに出てきます。
スポーツも、笑いながら走ると、真面目に走るよりも早く走れるそうですし、作業効率はあがるし、ストレスにも強くなる。などなどなど・・・。

まあ、感動することは、全ての行動のエネルギ-になるので、笑いに限ったことではないと思いますが・・・。

そういう成果を求めなくても、笑うことは、楽しい。
人を傷つけない笑い、他愛のないこと、、当たり前のこと、簡単なことで笑ったて何も悪いことはありません。それも、お母さんや、お友達、近所のおばちゃんたち、みんなで笑うのです。
楽しそうでしょ。

クリスマス、クレージーなジングルメドレーで、一緒に笑いましょう。



クリスマスコンサート準備2

2015-11-25 21:45:01 | 音楽

今日は9時半から集まって、クリスマスコンサートの合わせです。

ピアノのTさんは前回持ち帰ったサロンの電子ピアノを車で持ってきてくれました。
ヘルマンハープと、ヘルマンハープスタンドも持参です。
YYさんは、絵本と楽譜持参。
Mさんは、スカーフをアレンジして持ってきてくれました。

前回、朗読の声とフルートの音量がよく合わなかったので、マイクを借りてきました。
校区の委員のNYさんに聞いて見たら、同じ校区の福祉委員会が買っていて、貸してくれたのです。

もっと大きなものかと思ったら、案外小型でした。
マイクを持たなくて済むので、本をめくらなくてはいけないYYさんは大助かり!

慣れないので、どういうふうに使ったら良いか、演奏朗読してしまうと、客席でどう聞こえているかわからないので、Mさんの出番です。

演じている間に、スマホで撮影しながら、スピーカーの音量を上げたり下げたり、あちらこちらに移動して、どこが聞こえやすいかいろいろ試してくれました。

意外にも、演奏と離れたところの方が聞きやすいという結果です。

メロディベルを子どもたちにもってもらって「きよしこの夜」を一緒に演奏しますが、やっぱり歌いながらした方がいいだろうということで、今回は、YYさんとMさんに歌いながらやってもらったら、「高くて、歌えないよ~!」

ハ長調で作ってあるのですが、低音はドから高音はファまで使います。
ファは大衆歌にしたら、音域が広いのです。
Tさんが「5度下げようか。」
上がシで、下がファ
「ファはいくらなんでも低すぎないかなぁ?」
「3度下げたらラまでで終わるから、3度下げよう。」
歌ったほうが良いと思いながら、歌ったことがなかったのです。やる前にわかってよかった!
早速、楽譜を書き換えて、使うコードのベルを揃えて箱に分けておきます。こうしておくと、取り出すときに早く用意できます。


みんなの時間が取れなかったので、今日は12時までで終わります。
帰ろうとしたら、YYさんが「やっぱり不安だから、もう一日・・・半日だったら、仕事休めるから、やろうと思うんだけど。」
前日にリハをしようと思っていたけれど、YYさんは仕事で来られないということでしたが、休んで練習してくれるということです。

チームのテンションが上がってきました。
絶対いいものにしなくちゃ!


防人の歌狂騒曲

2015-11-24 22:17:23 | 音楽

連休中日は、母のお手伝い。
昭和13年作曲された宮城道雄の「防人の歌」は
尺八、筝独奏、第一筝、第ニ筝、17弦、打物 3声の合唱による大編成の箏曲合奏曲です。

「ちょっと、ちょっと待って、これ見て。」
防人の歌は、大日本音楽会 出版の東京芸術大学 箏曲科用という、ほとんどの宮城の曲が出されている楽譜です。
通常の筝譜は、第一筝が第一筝の調子で歌が付きます。手と歌は違うのが当たり前ですが、調子はそのパートの音で取れるようになっています。
ところが、この楽譜は、合唱団が別についていたので、3声の第一パート第二パート、第三パートと筝独奏と第一筝 第二筝の調子と歌の調子に関連はなく、前回フルートで第一筝を吹いてみると、全てのパートが第一筝の調子で書かれていることがわかったのです。
それで、解決したと思っていたら、「やっぱりおかしい」というのです。

仕方ないので、フルートで5線譜を吹いて、一音づつ確かめて行くことにしました。

お筝の調子は、西洋音楽の調性の理屈とは違います。

この曲の西洋5線譜ではハ長調、変ロ長調、へ長調となっていますが、

お筝は、弦を外側から一弦~十弦までを漢数字で、残り三弦を斗 為 巾と楽譜で表し、他に、弦を弱押し=半音あげるをカタカナのヲ 強押し=一音上げるをオで表します。
     一 二 三 四  五 六  七 八 九 十 斗  為 巾
平調子 レ ソ ラ ラ# レ レ# ソ ラ ラ# レ レ# ソ ラ 

と、まず合わせます。
そこから、途中に四と九 六と斗を半音あげる。
     一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 斗 為 巾
     レ  ソ ラ  シ レ  ミ  ソ ラ  シ  レ ミ  ソ  ラ

また、下げると二箇所書いてありますが、それでは実音と違います。
結局、その調子はもう平調子でも楽調子でもないので、母は鉛筆で、演奏できるように柱を動かして、動かしたことを楽譜の横に書くことにしました。

調性が同じところでも、途中で、変ホが、4小節だけ変ロに変わっていたり、調性が変わっているのに、なぜお筝の調子が変わらないのか?と思ったら、シの音が出てこないので同じ調子で弾けてしまえるところがあったり。

その上、お筝譜、五線譜両方に明らかなミスプリがあったり。
母は、筝独奏でとった調子では、演奏する時に、不便なので、それをまたそのまま第二筝の調子で弾けるように置き換えながら楽譜に書いていくという作業もして、脳に負荷がかかります。
究極の脳トレ。

消したり書いたりしてましたが、結局できたのかなぁ?
次行ったら、また言われそうです。


琵琶湖一周

2015-11-23 23:02:52 | 紀行

連休中、仕事を片付け、最終日になって、ようやく「どこか行こうか?」「どこがいい?」「道の駅」ということで、出かけました。

「滋賀県最大の道の駅だって。」スマホで検索して着きました。
道の駅 藤樹の里 あどがわ
高島市の安曇川(あどがわ)駅10分にあります。

新鮮な野菜を買って、レストランもあります。
高島は扇作りで有名だそうです。


元禄年間に、京都の貴族が安曇川の近くの技術士に扇骨を頼んだことが起こりだそうで、300年は続いているそうです。
昔は真竹を、扇の骨に加工するお店が安曇川にたくさん並んでいたそうです。
さて、まだ早かったので、おこわを買って車の中で食べて、また出発。
「時間があるから、琵琶湖を一周してみようか?」
近江今津には、竹生島へ向かう観光船の乗り場があります。

埠頭のそばには静かな湾になっていて、そこで、野鳥をみたり、石をひらってみたりしていると、観光船が帰ってきました。


鯖街道と言って、敦賀湾から京都に向かって鯖を運ぶ街道を北上します。右手の奥がさっき通ってきた埠頭のあるところです。

奥琵琶湖と言われるところに来ました。

観光船が目指した竹生島が裏側正面に見えます。
曇の間から、日差しがさしました。

静かです。


奥琵琶湖の道は山が迫っているので、道のほとんどがトンネルになります。

トンネルを何本か抜けると、奥琵琶湖パークウェイに入ります。

急に坂になりヘアピンカーブで山を登っていきます。つづら尾崎展望台からは、琵琶湖を見渡せます。湾曲しているので、全体はとても無理です。半島の向こうも湖ですが、今日はモヤでよくみえません。

登った後は、狭い一方通行のつづら坂を降ります。ところどころ崖崩れで、土嚢で止めてあるようなスリルあふれる山道です。
降りてくると、葦の保存地区。前に行った彦根の近江の葦を使った様々な工芸品を思い出しました。


後は日が暮れてきて、写真はありません。
最後はやはり渋滞でした。
琵琶湖は大きかった!


精神を守ることより、身近な問題。

2015-11-20 21:00:08 | 本・映画など

今朝、掃除をしている途中に、ふと思いついてテレビをつけたら、ちょうどNHK BS映像の世紀をやっていて、ヒトラーがまだ戦争をしていない時代のまっ最中。

一市民の回想
「ヒトラーに反対する人は、ヒトラーが成し遂げた経済的成果を見よと言われた。」
「その時、私たちは、精神を守ることより失業率が何%下がったという自分の身の回りのことに関心があった。」
という言葉が耳に入ってきました。ドキリとしました。

番組全体を見ていなかったので、調べてみました。

その時、1932年37.3%ほどの得票率でナチスが第1党になりました。
経済的混乱から、福祉の拡充を行い、民衆の支持を得、軍備の拡張を行い軍隊の支持を得、資本家からは資本主義の道具になるだろうと思われて支持されました。

しかし、次の選挙(1932年11月)では19議席減らしています。しかし、翌年1月には与党を説得し、ヒトラー内閣を出現させています。

その内閣でナチスの反対票を投じるであろう共産党を徹底的に攻撃、国民の不信と不安をああり、国会議事堂に対するテロ事件を共産党の仕業と決めつけ、警察を使って共産党員を逮捕し、国会に出られないようにしておいて、国会を開きました。

その暴挙が出来たのは、ヴァイマール憲法にあった、下記 緊急法の一文。

緊急法
「『公共の秩序と安定』が危険にさらされ国家が憲法の義務を履行できなくなったとき、大統領は軍隊の援助のもとに緊急令を強行でき、その際に身体の自由、住居不可侵、通信の秘密、言論の自由、集会結社の自由、私有財産の保護の一部または全部を停止することができる」

ヒトラーはこれを利用し、2月27日国会放火事件の翌日

①身体の自由、住居不可侵、通信の秘密、言論の自由、集会結社の自由、私有財産の保護を制限できる。
②武装蜂起・ゼネストに対し必要があれば中央政府が連邦各州の全権を掌握し死刑も科せる

という2つの緊急令を制定。

国会議員を含む多数共産党員・社会民主党員を逮捕・予防拘禁した。つまり、証拠もなく、疑いだけで4000人ほどを逮捕しました。

そして「民族と国家防衛のための緊急令」を制定しました。
それは、総統ヒトラー、裁判所、政府、民族共同体に対する大逆罪、背犯罪、軍に対する妨害行為、スパイ行為を取り締まる民族法定、民族裁判所の制定です。

この後、「最後の総選挙」が行われました。ナチスとしては、ここで絶対多数を獲得して、「民主的手続」を経て一党独裁にもっていこうとしたのです。標的は共産党であり、ナチスは選挙運動中、一般市民に共産党に対する恐怖感をあおり、さらにそれ以外の民主主義政党の集会も軒並みSA隊員に襲わせ、逮捕者は監禁あるいは殺傷されるなど、徹底的な選挙干渉が行われる中行われました。

3月5日、3分の2どころか、ナチス党は過半数にも達しませんでした。
しかし、ナチス党に反対の姿勢をとる社会民主党が欠席戦術に出て、法案審議自体をストップさせる危険を回避するために、カトリック勢力との接近姿勢を示すことによって中央党の協力を得て、裁決直前に改正議院規則を施行し、無断欠席議員を出席扱いにする議長(ゲーリング、ナチス党)の裁量権を認めました。

そうやっておいて、3月23日の国会において、全権賦与法案は、賛成441で可決され、ナチスの独裁は完成したのです。
全権委任法(ぜんけんいにんほう)
つまり、ヒトラー首相による政府がヴァイマル憲法に拘束されない無制限の立法権を手にしました。

「われわれは、民主主義の教練場で民主主義という名の武器を身につけるために、議会に参加する。毒をもって毒を制する様な方法で…われわれは国会議員になる。われわれがここに来るのは、…敵として来るのだ。狼が羊の群におどりこむように、われわれはやってくるのだ」(ゲッペルス、1928年)

もちろん、ここで、ナチスが行ったことは民主主義とはほど遠いものですが、その体制下、法律の下でその穴をかいくぐり、利用し、合法的に、国家権力=
警察の力を借りて行われたことは間違いありません。
そして、その間、大半の国民は失業率の改善と経済だけに関心があり、何が起こっていても沈黙していたということです。


ゲオルグ・フィリップ・テレマン

2015-11-19 22:53:07 | 名曲

ゲオルグ・フィリップ・テレマン(1681-1767年マクデブルク独)は、作曲するのが早く、86歳まで生き、生涯現役だったのでたくさんの曲を残しています。

3600曲余りが確認されていますが、紛失したものなどを含めると実際には4000曲も作曲したのではないかと言われていますが全貌はまだわかっていません。

最初の妻との間に子どもが一人、次の妻との間に9人の子どもがいて、その上、その妻マリア・カテリーナはギャンブルにのめり込み、莫大な借金をつくったので、せっせと働かなくてはいけなかったこともあるのかと思います。1733年離婚して、借金はハンブルクの商人たちの助けでなんとかなったそうです。

宮廷音楽士をあちこち努めたあと、ハンブルグ市の音楽監督を務めています。
当時、最も成功していた音楽家で、ライプツィヒの教会の音楽長に誘われた時はテレマンは断り、教会は仕方なくバッハを雇ったそうです。

ハープシコード、オルガン、リュート、リコーダーを演奏したこともあって、今残っているフルートの曲はリコーダーの曲であることも多いです。
1728年に作曲されたSonata Fdur TWV41F2 も元はアルトリコーダーと通奏低音のために書かれました。
楽譜の予約販売を考え出し成功したほかに、隔週の音楽雑誌、忠実な楽長"Der getreue Music-Meister”を1728-29年 刊行し、その中に毎号新作楽譜を掲載して、一部を載せ、続きを次週という形で販売を伸ばしたそうです。

この曲もその音楽雑誌に掲載されたものです。

バッハとヘンデルが4歳下にいて、どちらとも親交があり、関係はよかったり、難解な曲をあまり書かず、演奏しやすかったことから、民衆に受けて売れやすかった。
テレマンの才能は、楽譜の予約販売、注文販売によって、大衆の好みに合わせることによって磨かれたのかもしれません。
テレマンは、人の中で生き、人の中で音楽を続けた作曲家だと思います。


白鳥

2015-11-18 23:42:53 | Weblog

街の中に獣や鳥を住めないようにしておいて、やっぱり寂しくて、鳥や魚をどこかからひいてきて、餌をあげて愛でる。
本当に人間のすることって!

花鳥画のようでしょ。ウィリアム・モリスの文様にもなりそうな。


白鳥は 哀しからずや 海の青 空の青にも 染まず ただよふ



シベリウスのトウネラの白鳥、
フィンランドの叙事詩カレワラの中のレミンカイネンが白鳥を射ようとすると、盲目の老人がレミンカイネンを射て殺してしまう。川に沈んだレミンカイネン、何事もなかったように、白鳥たちが川の上で静かに漂っています。


その後、レミンカイネンの母が、息子の死を聞いてやってくると、川の中を探し息子のかけらを探し当て、繋いで再生させますが、シベリウスの白鳥はレミンカイネンの死、葬送曲のイメージです。

孤高の美しさを感じる写真ですが、実は5mもないこの川の岸辺には、観光客が多勢いて、記念写真を撮っています。

それでも、孤高の美を感じさせるこの佇まいは、私のようなミーハーな観光客の胸をも打ちます。
誰しも足をしばし留めて心静かに、我が身を振り返させる。
それが、文化の力。


父の帽子

2015-11-18 00:07:20 | 哲学

Mさんから、頂いたカブ。
薄くスライスして、塩をして、少し置いて、こんぶとトウガラシと一緒に甘酢につけました。


おいしくて、ついつい食べてしまいます。

夕方雨の中、母に頼まれて平和堂へ行きました。
雨がすごすぎて、センターラインが見えません。
怖いので徐行運転。
平和堂デイで、全館割引。
父のズボン、父のセーター、父の靴下、父のパンツ。
母と2人で買うのは父のものばかり。
母がレジに並んでいる間に、近くをウロウロしていると、
「今からタイムサービス、この中央廊下全品半額!」の声。

行ってみると、レディスのボトムや、トップスがたくさんぶら下げてあります。
安いけれど、ちょっと今の時期にすれば薄手。
ダウンジャケットは、昨年の流行り。

「男性小物、スカーフ、帽子も半額!」
と、ワゴンが増えました。

見ると、いつも父がかぶっている帽子の定番品が。
「お母さん。」と母を呼んだら、「ああ。これこれ。」とやっぱりそうでした。
半額で買えました。

さて帰ろうと、車で外に出ると、やはりすごい雨。サーチライトで照らしてもそう明るくなりません。
怖いです。
平和堂の中にいるうちは少しも気づきませんでした。

決死の買い物の成果を持ち帰ると、父が帽子をとても気に入って、夕飯を作っていると、「どうしたん?これ、わしに買ってきてくれたんか。」
と見つけてかぶっています。

「お父さんに平和堂で買ってきた。」と母。
「へー!いいやんか。」と父はニコニコ笑ってかぶってみます。
その笑顔を見ると、「ほらね、買ってよかった。」と母。私も手伝ったのでうれしいです。

認知症がいいのは、忘れてしまうこと。
10分ほどしたら、また、同じ感動、同じテンションで「どうしたんやこれ?」と始まります。

なんども、感動を伝えてくれます。

かつては「ありがとう」も「うれしい」も一回言えば、それで良いと思っていたり、言わなくても伝わると思ったり。
「ごめんなさい」や「すみません」という言葉ですませてしまったり。
父もあまり言わない方でしたが、最近は何回も喜んでくれるので、喜びは何倍にも、何時間にもなります。

それで、私たちが調子に乗ったり、父を馬鹿にしたい気持ちになるか?というと、全く反対で、こういうことをすると、父が喜ぶのかということがはっきりわかり、また繰り返して喜んでもらいたい気持ちになるのです。

このことから、周りの人を喜ばせたり、感謝したりはどんどんやった方が、自分が楽しく生きられるようになる。ということがはっきりとわかります。

認知症になった父から学ぶことは多いです。