じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

梅雨空

2009年06月30日 | 日々のこと

昨夜来から雨が降り続いている。

やっと梅雨らしい雨になった。

 

今日は月命日、早いもので2ヶ月が過ぎた。

棒読みながら「勤行聖典」に沿って1人で長いお経を唱えた。

一時間もかかるから、ソファに座っての勤行である。

   

妻の職場の仲間だった方から、今回も生花を届けてくださった。

私のことを心配してくれる手紙が添えられていた。

ありがたかった。

他にも白い花が届く。

花屋さんに聞くと、毎月娘さんから受け賜っていますと・・。

嬉しかった。

 

 

去年の初めにこの回転ソファーを2脚買った。

お気に入りだったが、妻は少ししか使えなかった。

時々私が座ってテレビを見ていると、

後ろから、「ちょっとー、そこにいると見えないよ」と声が掛かる。

そんな時は、くるっと回って「ごめん」、と両手を合わせる。

   

まだひょっこりと帰ってくるように思うことがある。

枯れたと見える年寄りも、本当は湿っぽいのだ。

梅雨が明けるのはまだ暫くかかりそう。

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時の流れの速いこと

2009年06月29日 | 日々のこと

時は万人に平等に与えられているが、過ぎ行く速さは年齢ととも速くなる。

子供の頃の一年、早く来いこいお正月・♪♪ お正月の巡ってくるまで長かった。

それが今、時の流れの速いこと、早くも半年が過ぎ去り6月も終わろうとしている。

  

一説に、一年の長さが1/年齢 に感じられるようになる、などといわれる。

この歳なら、6,7歳のころの10倍の速さで過ぎ行くということになるのか。

  

  

何年も見開いていなかった古いアルバムをまた開いてみる。

不思議に、この期に及んで思い出されるのはセピア色に変わった20代の独身の頃数年のことが多い。妻との出逢い、想い出、あの頃のことばかりが蘇る。

その後の3,40年のこと、幸せだったが茫漠として、希釈されて瞬く間に過ぎ去った。

そして、直近のこの一年余の看病の期間のことが克明に脳裏に焼きついている。

濃縮された時間が長く永遠に残る。

限られた時間、1日1日をいとおしく生きていきたいもの。

と思いつつも、無為に過ごす時間の多いこと・・・・

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離れていても

2009年06月28日 | 日々のこと

1日も欠かさず毎夜、孫のrikuから電話が掛かってくる。

今度はこちらからSkype(2.4円/1)でかけようと思っているのだけど、たいていその直前に掛かってくる。夜10時前だから、むこうの9時前、寝る直前に架けているらしい。

普通なら70円/分の通話料が掛かるが、毎回10~20分と話し込むことになってしまう。

   

「今日じいじ何食べたの?・・僕はねえ・・・・」定番の会話である。

「じいじはレトルトカレーに漬物だよ」、ここのところ手抜きが多くなった。

   

「ところでじいじ、今日は何人と喋った?」・・・えっ、なにその質問は

「そういえば、誰も・・・そうだ散歩のときにちょっとね。それにラヴとばあば、だね。」

これも娘の入れ口とみえる。

最後に「かあかに代わらなくてもいい?」「じゃ、ちょっとだけ代わって・・」

    

その後娘との会話

私「あのねー、Tシャツは沢山有ったのだけど、短パン(半ズボン)がいくら探しても見つからなくてさ・・、去年のあの大整理の際に捨ててしまったらしい?」

あの時は、血迷ったかのように大胆に古い衣類など確かめもせず廃棄した。

   

娘「だってあれは真夏のことだったでしょう、捨てるわけが無いよ。きっとどこかにしまってあるよ。・・・そうだ、沢山有ったプラの衣装ケースのどれかに入れてない?」

   

・・・・・

有った!有りました。何枚も出てきた。

遠く離れていても、今では娘が妻に代わり頼れる存在である。

  

  

朝の涼しい時間に亡き妻の両親の永代供養寺に出かける。

エレベーターで上がり、広い深閑とした仏壇マンションである。

小さなペットボトルの水と、好きだったという缶入りのドロップ飴を供えてきた。

  

境内の蓮が咲き始めていた。

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がんばれクムスン

2009年06月27日 | 日々のこと

日本のテレビドラマ、とりわけ現代の若者の恋愛を扱ったものは薄っぺらというかすれていると言うか、引き込まれて見続けるものは無い。

 

その点、韓国ドラマは一味も二味も違う。

日本では失われつつある、家族、親子関係、優しさ・・琴線に響くものがある。

なぜか、ついつい引き込まれてしまうのである。

とはいっても、どれでもというわけでもないし、

見たものもそんなに多くはないから、はまっているというわけではない。

ほぼ全編見たというのはそう多くは無くて、

冬ソナ、オールイン、ホテリアー、春のワルツ、時代物でチャングム 朱蒙、・・など

   

今見ているのが「がんばれクムスン」

これも再々放送らしい。今回は13:30~きっちり録画して見逃さず全編見ている。

「貧しく、両親も知らずに育った田舎娘クムスンの明るくたくましい生き様を中心に、家族のあり方、女性の自立などを描いたホームドラマ。クムスンのけなげさ、純粋無垢ぶりが笑いと涙を誘う」 (写真もBS日テレドラマHPより)

   

またまた若い頃の妻の生き方とどこか重ねて見ていたりして、

思わず「がんばれ!クムスン」と応援しているのである。

クムスンのハン・ヘジンがいいですね。それと祖母役のユン・ヨジョンもいい。

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アガパンサス

2009年06月26日 | 写真

朝一で、庭のアガパンサスの花を撮りました。

いつもコメントを書いてくださっている

菜摘さんに捧げます。 捧げますって????

  

半そで半ズボンの無防備でしたら、

ほんの数分の撮影で、蚊に数箇所刺されました。

このオレンジの花は何でしょう?

  

  

今日はこれから3ヶ月に一度の岡山通院です。

いろいろ思い出しながらのドライブになるだろう・・・・

 

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長生きしたくない

2009年06月25日 | 日々のこと

ドライブや温泉旅行は必ず妻と2人で行っていた。

どこへ行くのも2人ね、と皆に冷やかされていた。

でも1人で時間を潰したり、写真の撮影行なども1人のほうが気楽なこともあった。

ひとりで過ごすのも悪くはないなと思っていた。

   

だが

いざ妻の居ない暮らしは別であった。

写真を撮ったり絵手紙を描いても、料理を作っても・・・

妻が笑顔で褒めてくれた。

褒めてくれることを期待していた、子供のようにそれがなにより嬉しかった。

   

他人に対しても、我が夫を褒める始末であった。

お手伝いをしてくれるとか、こんなこともあんなことも優しいのよ、とか・・

妻は私に対して実に褒め上手、おだて上手であった。

それを励みに色々とやっていたところがあった。

 

私は逆であった。

うちの愚妻が・・というスタンスであった。

私の友人を招き、妻が時間をかけて作った料理も、

「こんなものでよかったらどうぞ」

などと、余り褒めてやったことが無かったなあ・・今になって懺悔している。

本心は褒めて感謝しても足りない、誰よりも自慢だったのだよ。

   

それが無くなった。

この喪失感、1人暮らしの空しさは何だろう・・・

 

妻の居ない生活で長生きはごめんだと思っている。

たとえ元気であっても、80歳(それは断じてないが)まで

生きるなんてことは金輪際まっぴらである。

 

恐らく自分は、ホルモン治療が効く後2,3年の余命と読んでいる。

子供達にもそう言ってある。

そんなバカな と否定されているが・・・。

   

かといって寿命を縮めようなどというのではない、生かされるだけは生きていく。

最後に痛みだけは取ってほしいと願っている。それでよしと思う。

妻が待っていてくれることだし、私はいつ逝ってもいいのだ。

 

 

負け惜しみではない。

長生きは自身にとっても、子供達にとっても

ひいては国家にとっても若者にとっても負担が掛かるばかりである。

決して国の財政や自民党に協力するわけではないが、

ますます進む高齢化社会、社会保障とりわけ老人福祉の負担はうなぎのぼりである。

稀に見る長寿者は別として、有り余る老人は歓迎されざる社会になっていくだろう。

ちょっと自虐的になった・・・

   

   

それにしても

西川社長さんて、お年はいくつなんだろうね。

あれだけボロかすに言われながら、あの御歳で何故あんなしんどい社長業にしがみ付いているのだろうね。

私なら?「好きでやっているんじゃねえ、頼まれたからやってるんじゃねえか!」

って、とうの昔にけつまくっているところ・・・

ご老体に鞭打っての責任感だけではないでしょう。

やっぱり巨大企業の社長って、すごい快感があるのでしょうか。

 

何だか取り止めもなく長文駄文になってしまいました。

暇なもので・・・

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フォトアルバム「追憶」

2009年06月24日 | 写真

少し落ち着いてきて、アルバムなど紐解いて見ていました。

もう20年以上も開いたことが無かった古びたアルバム・・・・

独身の頃の2人の写真は、きっちり整理して、やたら沢山ありました。

結構熱烈だったようです。

白黒モノトーンですが、それが又郷愁を呼び覚ましました。

 

30~50代の写真も、それはそれは沢山あると思うのだけれど、

全くアルバムに整理していなくて、

多分ネガと一緒に現像焼付けの際のミニアルバム袋に入ったままで、

どこか引き出しか箱に放り込まれ積まれているのでしょう。

 

最近のデジカメ写真はパソコンにありますが、花や自然の写真ばかりです。

これぞという写真は案外少ないもの、

 

そんなわけで、古いものから急に最近の写真へと ちぐはぐですが・・・

フォトアルバムに「追憶」として載せました・・・臆面もなく。

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夏椿

2009年06月22日 | 日々のこと

墓地の件で瑞応寺に出かけた。

一雨降ってみずみずしい緑に包まれていた。

    

今までも季節ごとに写真を撮りに度々訪れていたが、

今回、檀家となってからは、今までと違った心境・心得で訪れることになる。

自然に山門で頭を下げ、本堂で合掌する。

    

墓地の場所は見極めているが、4等分して整地するのにまだ少し期間がかかるらしい。

8月の妻の100日法要までに墓石建立を望んでいたが無理となった。

この上はバタバタとしないで、墓石の仕様など、

妻の希望(横型)と 私の思いの文字などについても、じっくりと考えていくことにしよう。

    

  

境内に夏椿が咲いていた。

沙羅とも呼ばれる、清楚な白い花である。

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父の日

2009年06月21日 | 日々のこと

庭の草取りも、伸び放題の庭木の剪定も、やる気はあるのだけれど

このところの不整脈の発作頻発でその自信が失せている。

何よりもこの暑さの中である、出来るわけはない。

炎天下、河川敷で連日グランドゴルフを楽しんでいる人たちが羨ましい。

 

夕方の買い物と、日が落ちてからのラヴの散歩だけは欠かせないが、

不急の外出や遠出は極力控えている。

 

0906211   

今日は父の日だという。

娘婿のご両親が「お参りをかねて」と、わざわざ神戸から来て下さった。

3人でちょっと豪華なお昼膳に出かけた。

かねてからの娘の計らいである。

息子夫婦からもそれぞれに包みが届いた。皆んな気遣ってくれている。

 

0906212   

 

 

一雨あって庭が潤った。

5月末にrikuと種まきしたアサガオのつる立てネットをした。

夏休みに帰って来た時、ガラス戸越しに一杯花を咲かせて緑陰にしてやりたい。

あと一ヶ月ちょっとだ。

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物忘れ

2009年06月20日 | 日々のこと

1人暮らしで、何が困るといって物の置き忘れのことである。

認知症ではないかと思うほど、昨日置いたものや、ほんの先ほど置いたものまで探さねばならないことが多くて、呆れてしまう。

 

鍵や免許証を入れた財布など大事なものは、置く場所を一応決めているが、それさえも帰宅時など「無意識」にどこかへ置くと、もう探し回ることになる。

玄関先や洗面所やトイレに置き忘れていたり、ズボンのポケットだったりである。

家の中を探していて見つからないときには車の中だったこともある。

いつ、誰がこんな所に置いたのだ、と呆れる・・・・誰がって自分しかいない。

「ここへ置く!」と指差呼称でもすればいいのだろうが、無意識は防ぎようがない。

 

 

先日はメジャー(巻尺)が必要になって探した。2,3日前に使ったばかりである。

確か2つも3つもあったはずなのに一向に出てこない。

こんなものを探し回るのが腹立たしい。

業を煮やして、又買ってしまった。

いつか、ひょっこりと2つも3つも出てくるに違いない。

 

家の中の置き忘れはまだよしとしよう。

寝る前の戸締り、仏壇のロウソクなど火の始末だけは忘れるわけにはいかない。

火煙報知器を3ヶ所に設置し、古くなった消火器も新調した。

 

 

二階への階段壁にも報知器つけました。(写真左)

というよりも、額縁の絵がメインの写真になってしまった・・・

 

そういえば笑い話があった。

この絵を玄関から眺めて誰かが「素晴らしい! どなたの作品ですか?」・・・

そうなんですよ、これ○○画伯の・・・なんちゃって。

実はこれ娘の小学校のときの絵、額縁に入れるとそれなりに見えたかな?

もう2,30年も飾りっぱなしで板についてしまっている。

ほら、ピカッとかドンとか書いているでしょう。

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