「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

佐賀県神埼市  「 仁比山神社の仁王門と仁王像 」

2012-11-25 00:13:02 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



仁比山神社の仁王門 ( 正面 )









仁王門( 裏側 )








道路から鳥居越しに見た仁王門








向って左側の阿形








向って右側の吽形





仁王門は、仁比山神社参道の入口に位置しており、
本来この地にあった仁比山護国寺の山門であったと考えられている。
仁比山護国寺は、寺院由緒書きによると天平元年(729)
聖武天皇の勅願によって僧行基が草創したといわれており、
現在は「地蔵院」と「仁王門」のみが残っている。
仁比山神社は山の神・農業の神として祭られており、
12年に一度申年に大祭「御田舞」が奉納される。
現在の仁王門は、江戸時代に建設され、3間1戸の八脚門の特徴を持つ。


仁比山神社は、天平元年松尾明神を勧請したことに始まり、
承和十年比叡山日吉山王社を文礼して合祀したと伝えられる古社である。
神宮寺である仁比山護国寺は、千手観音を本尊とし、往時には三十六の僧坊があった。

この仁王像は、左に阿形、右に吽形の二躯一対である。
鎌倉時代の作で、樟材の一木造りで、彫眼・彩色を施しており、
阿形は像高305.2センチ、吽形は像高311.2センチで、
全体に動きの少ない直立した姿勢をとっている。
二体ともに後補の補修が多く見られる。
面貌の硬い表情は鎌倉時代後期の特徴を持っているが、
構造や体勢、太い繩状の腰帯、掌、大腿部の浅く線的に整えられた衣文は
古様をあらわしており、製作年代は平安時代までさかのぼる可能性がある。
佐賀県下でも最大規模の仁王像として非常に重要である。




栗毛列伝 ④  イブキバレリーナ

2012-11-25 00:10:58 | 競馬・ボート






「 愛しのイブキバレリーナ 」




イブキバレリーナ
僕の夏はこの馬のためにあった
暑い 蝉時雨が降る小倉競馬場で
一年に一度この馬に逢う事だけを楽しみに
足を運んだ
その想いはまるで七夕さまみたいに
日ごと大きく膨らんで
僕を有頂天にした
薄く線を引いたように細く流れた流星が
グッと彼女を魅力的にして
美女の雰囲気を漂わせる

このほど生まれ故郷の北海道へ
繁殖にあがったことを知った
僕は失恋の思いでとても悲しかった
九州から北海道は遠すぎます

ならば あと五年待ちましょう
バレリーナの仔が
小倉の馬場に現われる
その日まで





イブキバレリーナ
父 ノーザンテースト
母 シャダイホープ



『 サガントス 』 応援酒 ・ のんのこ

2012-11-25 00:08:32 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒














先日、有田に行った時に買って来た 「 サガントス 」 デザインの焼酎である。
「 佐賀ん鳥栖 」 だから地域あげて応援しているのだろう。
飲み心地はフツーだが、ラベルや瓶に惹かれて買ってみた感じである。

サッカーは、J2のギラヴァンツ北九州を応援している。
三浦泰年監督になってチームは躍進し、
J1への昇格が期待出来そうなチームになって来た。が・・・
そのチームを牽引して来た三浦監督が今季で退任してしまった。
あと1年。あと1年いて指導してくれればJ1昇格も夢でないと思うし、
J1への足がかりを作ってくれると信じていたのに残念でならない。

サガントスのラベルに書かれている 「 夢超戦 」 で、
大分トリニータはJ2の6位からプレーオフで勝ち上がり見事にJ1へ復帰を果たした。
サガン鳥栖もギラヴァンツ北九州も大分に続いて、夢をカタチにしてもらいたい。

ちなみに現在サガン鳥栖は4連勝でJ1で3位である。
このまま行けばACL ( アジア・チャンピオンズ・リーグ ) 出場も夢ではない。
頑張れ!佐賀ん鳥栖。




熊本県三角町  「 JR三角駅 ( みすみえき ) 」

2012-11-25 00:02:57 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣






















戸馳島を出て宇土半島の先端を目指して三角線と平行して走り、
三角の街中に入ると右手に三角駅が見える。

JR三角駅は、宇土半島先端部にある三角港へ接続する路線として三角線が建設された際に、
その終点の駅として開設された。
ただし、本来の三角港は宇土半島の北側にあったが、
港周辺の土地が狭かったことから三角駅は宇土半島の南側に建設された。
また、建設予定地は埋立地であったが、
その手前に暫定的に1899年(明治32年)12月25日に開業し、
1903年(明治36年)9月5日に本来の予定地であった現在地に移転している。
駅前に近距離航路の港が開設され、
駅に近い利便性からやがて本来の三角港との立場が逆転することになった。

三角島原フェリーが1964年(昭和39年)に就航すると、
これと接続して観光ルートを形成するようになった。
その前年から準急「火の山」(1966年から急行格上げ)が乗り入れるようになり、
豊肥本線方面へ直通列車が走るようになった。
しかしモータリゼーションの影響などで需要は減少し、
1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正で「火の山」の三角への乗り入れは終了した。
さらに熊本新港の整備が進んで需要が減少したことから、
三角島原フェリーは2006年(平成18年)8月に運航終了となり、島原方面への接続はなくなった。
2009年(平成21年)4月1日から本渡港との間に天草宝島ラインが就航している。


1899年(明治32年)12月25日 - 九州鉄道(初代)により初代駅が開設。
1903年(明治36年)9月5日 - 天草島原方面近距離航路の港が整備開設されたために現地点に駅移動。
1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され、国有鉄道(帝国鉄道庁)の駅になる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR九州が継承。