「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

広島県廿日市市宮島  「 宮島へ渡る。 」

2012-11-27 00:12:15 | 離島めぐり





























日曜日に宮島と岩国の錦帯橋に行って来た。

錦帯橋はともかく、毎度の事ながら島へ渡るとワクワクする。
電車や車で行けないからこそ、島の魅力を感じるのである。
その島が小さい大きいに関わらず、
「 そこに島があるけん行ってみたか! 」 。
ただ、それだけのことである。





大分県山国町  ・  献体解剖を申し出た 「 山本登久 」 の墓

2012-11-27 00:10:49 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )














大分県の山国町から福岡県の添田町の英彦山に通じる国道496号線沿いに
献体解剖に申し出た山本登久の看板がある。


山本登久の墓

ここより少し下りた所に山本家の墓地があり、
その一番奥が山本登久の墓である。
登久は小屋川村の山本佐平の妻であり、47歳で死去。
上腹部の腫瘍におかされ、生きるのぞみもないことから
「 私が死んだら私の体を解剖して医術の進歩に役立ててほしい 」 と、
熊谷静雄医師に申し出たため、明治19年5月12日県庁の許可を得て、
熊谷静雄、山永得二、両医師が死後翌日に解剖した。
記録は峰 貢、三好玄次、清田保弘が担当し、
解剖には9時間を要したと墓に記されている。

中津で初の献体解剖が明治22年であることから、
九州では最も早い時期の献体解剖であっただろうといわれている。
山あいの地、山国にあって献体を申し出た登久の志は素晴らしいものであり、
現在に伝える話として私たちの胸を打つばかりである。

               山国町教育委員会



こんな山奥で暮らしながら、医学の発展のために献体した女性が居ること自体が驚きであった。
尽くした亡骸も魂も故郷山国の地で静かに眠っている。
僕ら後世に残る者は、登久の気持ちを埋もれさせてはならないと思っている。



「 宗 政 」 飲みくらべ

2012-11-27 00:05:55 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒
































有田で買って帰った「のみくらべ」を牡蠣を肴に飲んだ。
どれも一合瓶 ( 180mm ) なので、あっという間に無くなってしまった。
最初は、ひと口ひと口味わって、まろやかさや軽さなどを感じながら飲んでいたが、
2本目、3本目になると、どれがどうだったか解らなくなってしまった。
というよりも、いちいち覚えるのが面倒臭くなって
「 どげんでんよか! 」 って気持ちになった。
日本酒は嫌いじゃないけれど、やっぱ基本は泡盛 ( 焼酎 ) やね。




我が家の 「 モミジの小路 」

2012-11-27 00:03:42 | 日記 ・ イベント







夕べからの雨で我が家のモミジが散っていた。
その名残りが通路に敷き詰められた。

足の裏の感覚が、それを感じた。
かつて筵が敷かれた後を歩くような
足の裏だけが知っている感覚に・・・





バッタの変身、へんし~ん。

2012-11-27 00:02:10 | 花・鳥・虫・魚・猫





















今日、庭でムサシと遊んでいると、
バッタが玄関の柱に止まっていた。
面から出ていたので気付いたが、
これが凹凸のある木などだったら、
おそらく気付かなかっただろう。

「 上手く同化したぞ! 」 と、
季節外れのバッタは思っているかも?知れないな。

変身は、ともかく、
これからの寒さに耐えれるかどうか、
ボクはそれが心配だった。
一日でも長く生きて欲しいが、
一日でも長く苦しい思いをさせるのはつらい。

生きるも地獄、死ぬのも地獄なのか?
死んだら次の世界で生まれ変わるのだったら、
地獄ではないかも知れないな。
だとしたら、バッタも怖くないかも?