昨日の早朝に2020年のオリンピックの開催地が東京に決定した。
その結果を受けて日本中が歓喜で沸き返るシーンを見ながら
沖縄のヤンバルにある小さな集落の景色を思い出していた。
昭和39年9月7日、「 東京オリンピック 」 の聖火が
開催地の東京から遠く離れた沖縄のヤンバルにある嘉陽という集落にやって来た。
その時に聖火が宿泊したことを記念した碑が嘉陽小学校の入り口に建っている。
数年前に99年の歴史に幕を閉じた嘉陽小学校だが、
子どもたちの手造りの聖火台が今も残っている。
その聖火台を含め、聖火宿泊を記念する碑は、子どもたちはもとより、
嘉陽集落の人たちにとっても誇りになっている。
昭和39年と言えば、沖縄はまだ返還前でアメリカの統治下にあった時代だ。
その時代に東京で開催される聖火が ” 沖縄の地を走る ” ということは、
太平洋戦争で沖縄を捨て石にしたヤマトンチュ ( 内地の人 ) から
ウチナンチュ ( 沖縄の人 ) に対してお詫びを兼ねたせめてもの償いだったのではなかろうか。
でも、そのことは誰も語らない。
もう何度も訪れたこの地に立つと、いつもそのことを思う。