「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

一足はやい 「 今帰仁 ( なきじん ) の桜 」

2014-01-11 05:33:41 | 花・鳥・虫・魚・猫



一足はやい 「 今帰仁の寒緋桜 」

































沖縄でクラーを入れて走った沖縄自動車道がウソのような寒さになった。
それはまるで、ハワイからアラスカである。

一昨日も昨日も0度近くまで気温が下がり、氷が張ってかなり冷えた。
現場に出ると、つま先がジンジンする寒さだった。
沖縄の暑さがウソみたいな気温の変化である。
沖縄に行く日の朝の気温は6度。
それが那覇空港に着いた時は23度だった。
そんな気温は日増しに上がり、8日は25度近くまで上がり、
Tシャツ一枚で墓めぐりをして山に入ったが汗だくになった。
1時間も2時間も墓場の中を歩き続ければ汗だってかくだろうが、
それにしても1月の上旬とは思えない気温だった。
それでも地元の人たちはジャンパーやコートを羽織っているのには驚いた。

そうそう、寒緋桜の話やった。
7日に今帰仁グスクに訪れた時、グスクの城門のそばに一本だけ花をつけた桜の木があった。
桜花を観に訪れたわけではないが、人よりも早く開花が観れるのはウレシイ限りである。
その ” 桜便り ” を、一足早くご覧いただければと思って掲載した次第である。



浦添市大平  「 三様 ( みさま ) の墓 」

2014-01-11 05:32:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



浦添市大平にある 「 三様の墓 」












浦添市のパイプラインの小湾バス停から東へゆるやかな坂道を約200mほど行くと、
安信運輸の後方に 「 小湾共同墓地 」 があり、
その入り口の左側に 「 三様之墓 」 がある。
向かい側には御嶽や泉井を合祀した拝所がある。

小湾は、戦前は勢理客 ( じっちゃく ) の隣にあって、海に面していた。
風光明媚なところで、王家の御殿や別荘、上級士族の別荘が並んでいた。
戦後米軍基地の接収にあい、住民は字宮城や字大平に移住させられた。


昔、小湾川の河口には山原舟 ( やんばるせん ) が出入りしていた。
波が荒れると舟はV字形の湾口に避難して来た。
ある日、仲西村の外間の娘が海水を汲みに湾口に来てみると、
舟が割れて陸に打ち上げられ、3人の男が浜に伏せていた。
娘が介抱して3人は助かりこの地に住んだ。
名前は、新屋、外間、勢理といい、小湾を村づくりしたという。
その子孫の宮城、外間、大城の三門中が祀る三様の墓に、
字民は正月初拝みや、旧暦5月ウチマーの時に拝んでいる。



「 墓めぐり 」 について

2014-01-11 05:31:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所








ブログに墓の写真を掲載することは、
このブログに訪問して下さる方々の家族や親族、
または大切な人との死を関連させるようで、
なかなか受け入れられないものだと思う。
だから 「 見たくないものは開かずにおこう 」 と思うのは当然だと思う。

ただ、死者の尊厳を尊重するだけではなく、
その歴史上の人物がどのように生き、
どのような場所でどのような死に方をしたかということや、
その墓がどんな形をした墓なのかなど、とても興味深いことである。

識名墓園ではないが、見渡す限り墓、墓、墓。
抜けても歩いても墓、墓、墓である。
その中で、自分が探す墓を見つけ出すことは至難の業であるが、
それを見つけ出したときは、グスクと同じように達成感がある。

墓地や岩陰墓を廻っていると、どの墓も一種独特の雰囲気を醸し出しているが、
人を寄せ付けないような凄味や威圧感などは感じられず、
むしろ底知れぬ寂しさと、訪れてくれた歓迎にも似た空気を感じるのである。
それは、墓のある環境や墓を訪れた時の
自分の心の在りようが反映されているのだと思う。

ただ、グスクの探訪中に偶然出くわす按司墓とは違い、
最初から墓を訪れる目的だから覚悟の上の墓はむしろ歓迎である。


人を知り、歴史を知り、墓を知る。